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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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月夜の漁港で、夜釣りと黒糖コーヒー ――リョウちゃん、島の男たちの輪に入る

南ぬ島の夜は静かだ。


昼間は観光客で賑わう港も、夜になると波の音が主役になる。


その日、「しおかぜ」の閉店作業を終えた亮介のスマートフォンに電話が入った。


相手は海釣りの師匠のおじいだった。


「リョウちゃん、今夜来るか?」


「どこへです?」


「漁港さぁ。夜釣り」


亮介の顔がぱっと明るくなる。


「行きます!」


電話を切ると、玲奈がカウンターを拭きながら聞いた。


「子どもみたいですね」


「男はいくつになっても夜釣りに弱いんです」


「知りません」


「玲奈さんも来ます?」


「仕込みがあります」


即答だった。


しかし亮介は気付いていた。


こういう時の玲奈は、あとから必ず何か持って来る。


夜の漁港。


月が高く上がっていた。


海面には銀色の道が伸びている。


防波堤には師匠のおじいをはじめ、常連のおじいたちが並んでいた。


竿を出している者。


折り畳み椅子に座る者。


泡盛の入った水筒を持っている者。


誰も急いでいない。


島の夜だった。


「リョウちゃん来たさぁ」


「こんばんは」


「今日は魚より話だな」


誰かが笑う。


亮介も竿を出した。


しばらくすると、おじいたちの昔話が始まった。


「俺なんか若い頃、港の喧嘩で五人まとめて病院送りにしたさぁ」


「それ武勇伝じゃないですよ」


「時効さぁ」


周囲が笑う。


別のおじいが言う。


「俺は船を勝手に借りて遊びに行ったさぁ」


「怒られたでしょう」


「海保に捕まったさぁ」


「笑い話じゃない」


さらに別のおじい。


「俺は泡盛飲んで泳いで隣の集落まで帰ろうとしたさぁ」


「死にますよ」


「途中で寝たさぁ」


「もっと危ないです」


漁港に笑い声が広がる。


今では穏やかなおじいたちだが、若い頃はなかなか無茶をしていたらしい。


その中で、一番静かだったおじいがいた。


関東から移住してきた七十代後半のおじいだった。


普段は寡黙で、あまり自分のことを話さない。


そのおじいが、ぽつりと言った。


「俺は服役してたよ」


周囲が静かになる。


亮介も顔を上げた。


「若い頃な」


おじいは海を見たまま続けた。


「喧嘩だった。傷害だ」


波の音だけが聞こえる。


「若かったし、馬鹿だった」


「……」


「人を殴って、人生も壊して、自分も壊した」


誰も口を挟まない。


おじいは月を見上げた。


「出てからも色々あったよ」


「東京におった」


「横浜にもおった」


「仕事転々としてな」


「結局、南ぬ島まで流れてきた」


そして少し笑った。


「いろんなことがあったよ」


短い言葉だった。


だが、その一言に何十年分もの人生が詰まっているようだった。


しばらく沈黙が続いた。


やがて師匠のおじいが言う。


「リョウちゃんは?」


亮介は竿先を見る。


海面が揺れている。


「俺も……」


言葉を探した。


「失敗しました」


誰も急かさない。


「結婚も失敗しました」


「仕事も失敗しました」


「刑務所にも入りました」


「家族にも迷惑をかけました」


月明かりが海を照らす。


「今でも後悔してます」


誰も何も言わない。


説教もない。


励ましもない。


ただ黙って聞いている。


亮介は少しずつ話した。


四国の山奥で育ったこと。


ラグビーばかりしていた高校時代。


社会人になってからの失敗。


服役。


門司港で働いたこと。


そして玲奈のいる島へ来たこと。


全部話し終える頃には、自分でも驚くほど肩の力が抜けていた。


関東出身のおじいが静かに言う。


「生きてるじゃないか」


亮介は顔を上げる。


「はい」


「それで十分だよ」


それだけだった。


だが、その言葉は不思議と胸に残った。


師匠のおじいも頷く。


「ここにおるさぁ」


別のおじいも頷く。


「魚も釣れるようになったさぁ」


「それは関係あります?」


「あるさぁ」


みんな笑った。


その頃。


遠くから懐中電灯の灯りが近付いてくる。


玲奈だった。


両手に保温ポットと紙袋を抱えている。


「差し入れです」


夜食のおにぎり。


島野菜サンド。


そして温かい黒糖コーヒー。


おじいたちは歓声を上げた。


「玲奈ちゃん最高さぁ!」


「夜中のコーヒーは染みるさぁ!」


「しおかぜ開店しろさぁ!」


玲奈は苦笑する。


「営業時間外です」


亮介もコーヒーを受け取る。


黒糖の優しい甘さが広がる。


冷え始めた夜風によく合った。


おじいたちは相変わらず騒がしい。


昔話はどんどん盛られていく。


「俺なんか若い頃、恋人に三回逃げられたさぁ」


「それは自業自得です」


「四回だったかもしれん」


「増えてます」


玲奈まで少し笑った。


その顔を見て、亮介は思う。


この場所はいいな、と。


帰り道。


月明かりの下を二人で歩く。


「楽しそうでしたね」


玲奈が言う。


「はい」


亮介は少し考えた。


「初めてかもしれません」


「何がですか」


「自分の過去を隠さず話したの」


玲奈は静かに聞いていた。


「それで?」


「少し楽になりました」


玲奈は小さく頷く。


「良かったですね」


それだけだった。


でも十分だった。


しおかぜへ戻る。


灯りの消えた店。


静かな夜。


海から吹く風。


亮介は振り返った。


漁港にはまだ小さな灯りが見える。


魚はそれほど釣れなかった。


大物もいなかった。


でも、その夜の収穫は別のところにあった。


遠回りした男たちが、月夜の漁港で人生を語る。


失敗も。


後悔も。


笑い話も。


全部抱えたまま生きている。


その輪の中に、亮介も少しだけ入ることができた。


そして玲奈が淹れた黒糖コーヒーは、どんな魚よりも温かく、その夜の漁港に静かな余韻を残していた。

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