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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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風より速く走った日、筋肉痛は二日後に来た ――島の運動会と、元戦隊ヒロイン店主

秋が近づき始めた南ぬ島の朝。


空は高く、潮風は少しだけやわらかくなっていた。


その日は集落の運動会だった。


小学校のグラウンドには色とりどりのテントが並び、おじい、おばあ、子どもたち、若い移住者、漁師、商店の人たちが朝から集まっている。


島に来て数年。


玲奈と亮介も、すっかり顔なじみだった。


とはいえ、二人はあくまで見学のつもりだった。


「今日は休みですから」


玲奈はクーラーボックスに冷えたさんぴん茶を入れながら言う。


「しおかぜ特製応援隊ですね」


亮介も頷く。


「黒糖プリンの差し入れもありますし」


完全に観客モードだった。


少なくとも、この時までは。


午前中。


玉入れ。


綱引き。


パン食い競争。


おじいたちのゲートボールリレー。


島らしいのんびりした競技が続く。


亮介は大笑いしていた。


「おじい、ガチですね」


「負けず嫌いですから」


玲奈も少しだけ笑う。


こういう時間が好きだった。


誰かと競うためではなく、みんなで笑うための運動会。


都会ではなかなか見なくなった風景だ。


ところが午後になって事件が起きる。


地区対抗リレー。


出場予定だった若者が仕事で来られなくなったのだ。


困った役員たちの視線が、一斉にこちらへ向く。


玲奈は嫌な予感がした。


おばあが笑顔で言う。


「玲奈ちゃん」


「はい」


「走れるでしょう?」


「見学です」


即答だった。


しかしおじいが追撃する。


「リョウちゃん、高校ラグビーやっとったんだろ?」


亮介が固まる。


「……なぜ知ってるんですか」


「飲み会で聞いたさぁ」


「情報管理が甘かった」


「若いんだから走りなさい」


「若くないです」


「若い若い」


「四十代です」


「島じゃ若手さぁ」


結局。


二人は強制的にリレーメンバーになった。


スタート前。


亮介は少し緊張していた。


玲奈を見る。


「玲奈さん」


「なんですか」


「本気出します?」


玲奈は帽子を被り直す。


「運動会です」


「つまり?」


「怪我しない程度にです」


その顔を見た亮介は思った。


ああ、この人。


たぶん本気だ。


レースが始まった。


前半。


二人のチームは少し遅れていた。


観客席から声が飛ぶ。


「玲奈ちゃん頼むさぁ!」


「元ヒーロー頑張れ!」


「リョウちゃん転ぶなよー!」


失礼な応援も混ざっていた。


そして。


玲奈にバトンが渡った。


次の瞬間だった。


空気が変わる。


速い。


とにかく速い。


元兵庫県警交通課。


元警部補。


さらに戦隊ヒロイン。


逃走犯を追いかけた経験まである。


普段の落ち着いた姿からは想像できない加速だった。


ぐんぐん差が縮まる。


一人抜く。


また一人抜く。


おじいが立ち上がる。


「玲奈ちゃん速いさぁ!」


おばあも大興奮。


「あれ完全に犯人追いかけとるさぁ!」


亮介は吹き出した。


「間違ってない」


玲奈は無表情のまま走る。


だが明らかに本気だった。


そしてトップ集団まで追いついてバトンを渡す。


歓声が上がる。


次は亮介だった。


元ラグビー部。


高校時代は快速フランカー。


普段はお調子者だが、走る姿は意外なほど綺麗だった。


大股で地面を蹴る。


腕を振る。


まっすぐ前を見る。


「リョウちゃん速い!」


「皿下げる時より速い!」


「それ比較対象がおかしいです!」


走りながら亮介が叫ぶ。


会場は大爆笑だった。


結果。


チームは見事な上位入賞。


島中が拍手に包まれた。


おばあたちは嬉しそうだった。


「玲奈ちゃんすごかったさぁ」


「リョウちゃんも速かった」


「若いっていいねぇ」


玲奈は首を振る。


「本気ではありません」


亮介が即座に言う。


「嘘です」


「違います」


「完全に本気でした」


「業務外の緊急対応です」


「運動会です」


周囲が笑った。


その夜。


しおかぜでは運動会の話で持ち切りだった。


「玲奈ちゃん速かったねぇ」


「リョウちゃんも見直したさぁ」


「来年も出るさぁ」


玲奈は困った顔をする。


亮介は調子に乗る。


「いやぁ、まだまだ若いですね」


「そうですね」


玲奈も珍しく同意した。


翌日。


何ともなかった。


二人とも元気だった。


「まだいけますね」


亮介は得意げだった。


玲奈も頷く。


「日頃の成果です」


しかし。


本当の敵は遅れてやって来た。


二日後の朝。


「……」


厨房で玲奈が固まる。


「……」


ホールで亮介も固まる。


動けない。


足が痛い。


腰も痛い。


しゃがめない。


立ち上がれない。


完全な筋肉痛だった。


おばあはすぐ見抜いた。


「来たねぇ」


「来ました」


亮介は正直だった。


玲奈は最後まで抵抗する。


「軽微な筋繊維の違和感です」


「筋肉痛さぁ」


「違います」


「筋肉痛さぁ」


「……」


否定できなかった。


結局。


その日は早仕舞いになった。


張り紙には、


『本日は都合により少し早めに閉店します』


と書かれている。


亮介が聞く。


「筋肉痛って書かないんですか」


「書きません」


「正直に生きましょう」


「却下です」


夕暮れ。


閉店後。


二人は店先の椅子に座っていた。


風鈴が揺れる。


遠くで波の音が聞こえる。


亮介が笑った。


「無理のできない歳になりましたね」


玲奈も笑う。


「そうですね」


「気持ちは二十代なんですけど」


「身体は正直です」


二人はしばらく笑った。


そして亮介が言う。


「でも、楽しかったですね」


玲奈は頷く。


「はい」


集落の人たちの笑顔。


歓声。


拍手。


一緒に走った時間。


それらを思い出していた。


「来年も出ます?」


亮介が聞く。


玲奈は少し考えた。


そして小さく笑う。


「その時に考えます」


「出る顔ですね」


「知りません」


南ぬ島の夕風が吹いた。


黒糖プリンの店「しおかぜ」。


その店主と店員は、もうすっかり島の人だった。


走って。


笑って。


筋肉痛になって。


それでもまた来年も同じ場所で笑うのだろう。


そんな未来が、ごく自然に思える夕暮れだった。

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