集落清掃の日、しおかぜ臨時休憩所になる ――玲奈、島に根を下ろすための朝
南ぬ島の朝は、早い。
まだ観光客がホテルの朝食を食べている頃、集落ではもう人が動き始めていた。道路脇の草を刈る音、ゴミ袋を広げる音、おばあたちの明るい声。海からは湿った風が吹き、空は高く、今日も暑くなりそうだった。
その日は、集落の一斉清掃の日だった。
玲奈は、軍手、帽子、タオル、飲み物、ゴミ袋をきっちり揃えて「しおかぜ」の前に立っていた。
亮介は眠そうに目をこする。
「今日は定休日では?」
「地域清掃です」
「つまり労働ですね」
「地域参加です」
「言い方が綺麗になっただけで労働ですね」
「参加します」
「はい」
玲奈は、島に来てからずっとこういう行事を大切にしていた。
まだ亮介が来る前、ひとりで「しおかぜ」を切り盛りしていた頃から、集落清掃、台風前の準備、旧盆の手伝い、小さな行事にはできる限り顔を出した。
この島で店を開く。
この島の人に来てもらう。
この島の風景を借りて暮らす。
ならば、自分も島の一部として動く。
それが玲奈なりのけじめだった。
清掃が始まると、玲奈は完全に現場指揮官だった。
「燃えるゴミ、缶、瓶、危険物。混ぜないでください」
常連のおじいが笑う。
「玲奈ちゃん、清掃でも警部補さぁ」
「元です」
亮介はおばあたちの荷物持ちと草刈り補助を担当した。
「リョウちゃん、こっち持って」
「はい」
「そこ踏まんで」
「はい」
「若いから動けるさぁ」
「若い扱いありがとうございます」
最初は軽口を叩いていた亮介も、南ぬ島の朝日に照らされ、すぐ汗だくになった。
「これ、思ったより本気ですね」
おばあが笑う。
「島は勝手には綺麗にならんさぁ」
その言葉に、亮介は少し黙った。
海岸には、観光写真には写らないものも流れ着いていた。ペットボトル、発泡スチロール、ロープ片、割れたプラスチック。玲奈は黙々と拾い、亮介も隣で袋を広げる。
「玲奈さん、昔からこういうの参加してたんですか?」
「はい」
「ひとりの時から?」
「はい」
「なんでそこまで?」
玲奈は手を止めずに答えた。
「ここで暮らすと決めたからです」
短い答えだった。
でも亮介には、それで十分だった。
清掃が終わる頃、皆ぐったりしていた。
そこで「しおかぜ」が臨時休憩所になった。
玲奈は冷たいさんぴん茶を用意し、亮介は黒糖プリンを小さめに切り分けて出した。おばあたちはおにぎりや漬物を広げ、おじいは「今日の草刈りは腰に来たさぁ」と笑う。
若い移住者も、昔からの島の人も、漁師のおじいも、観光業の人も、同じテーブルで汗を拭いた。
「玲奈ちゃん、いつもありがとうねぇ」
「いえ。こちらこそ」
「リョウちゃんも、だいぶ島の男になってきたさぁ」
亮介は嬉しそうにする。
「仮認定くらいですか?」
玲奈が即答する。
「仮です」
店内に笑いが起きた。
おばあが黒糖プリンを食べながら言う。
「しおかぜがあると、清掃のあとが楽しみさぁ」
おじいも頷く。
「ここで休めると思うと、草刈りも頑張れる」
玲奈は少し照れた。
「休憩所としては、設備が不十分です」
「十分さぁ。玲奈ちゃんのさんぴん茶と黒糖プリンがあれば」
亮介が笑う。
「また営業形態が増えましたね」
「臨時休憩所です」
「もう何でもありますね」
「地域貢献です」
夕方。
片づけが終わったあと、玲奈と亮介は店の軒先に立った。
清掃された道は、少しだけ明るく見えた。海岸もすっきりしている。風鈴が、ちりんと鳴った。
亮介が言う。
「島に住むって、綺麗な海を見るだけじゃないんですね」
玲奈は頷いた。
「綺麗な海を、綺麗なままにする側に回ることです」
「それ、いい言葉ですね」
「取材では使わないでください」
少し笑ってから、玲奈は静かに続けた。
「この島に来た時、私は待つために店を作りました。でも今は、それだけではありません」
亮介は横顔を見る。
「暮らす場所になった?」
「はい」
玲奈は、清掃を終えた集落を見つめた。
「これからも、ずっとこの場所でしおかぜを続けたいです」
亮介は少し黙って、それから柔らかく笑った。
「俺もです。ここで、皿を下げて、プリンを運んで、畑を手伝って、清掃で汗かいて……そういうの、悪くないです」
「かなり具体的ですね」
「俺の担当業務ですから」
玲奈は小さく笑った。
「では、これからもお願いします」
「はい。喜んで――」
玲奈が横を見る。
亮介は慌てて言い直す。
「……承知しました」
二人は並んで、夕暮れの集落を眺めた。
「しおかぜ」は、黒糖プリンを出す店だ。
でも、それだけではない。
汗をかいた人に冷たいさんぴん茶を出す場所。
地域の行事のあとに、人が自然と集まる場所。
よそから来た二人が、少しずつ島の人になっていく場所。
南ぬ島の風が、静かに看板を揺らした。
玲奈と亮介は、もう誰かを待つだけではなかった。
ここで暮らし、ここで働き、ここで人と笑っていく。
その朝の清掃は、ただの地域行事ではなかった。
二人がこの島に根を下ろしていることを、静かに確かめる一日だった。




