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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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リョウちゃん、初めての大物を釣る ――しおかぜ、海の恵みで小さな宴会場になる

亮介は、島に来てから海釣りを覚えた。


生まれ育った四国の山奥では、子どもの頃から川釣りをしていた。澄んだ沢の音、石の下に潜む小魚、夕暮れの山道。釣りそのものは好きだった。


けれど、南ぬ島の海はまったく別物だった。


潮の流れ。

風向き。

餌の種類。

仕掛けの重さ。

魚の引き。


川で覚えた感覚は、海ではほとんど通用しなかった。


亮介に海釣りを教えてくれたのは、常連の師匠格のおじいだった。防波堤に毎朝のように立つ、日焼けした無口な釣り名人である。


最初の頃の亮介は、散々だった。


糸を絡ませる。

餌だけ取られる。

仕掛けを岩に引っかける。

小さな魚を釣って大騒ぎする。

波を読めず、足元を濡らす。


おじいは笑った。


「リョウちゃん、川の男は海では赤ちゃんさぁ」


「赤ちゃんですか」


「竿持った赤ちゃんさぁ」


「師匠、言い方がきついですね」


「海はもっときついさぁ」


それでも亮介は投げ出さなかった。


定休日の朝、少し早く起きて防波堤へ行く。潮を見る。仕掛けを覚える。おじいの言葉を聞く。


「魚を釣る前に、海を見るさぁ」


最初は意味が分からなかった。


けれど、少しずつ分かってきた。

風が変わる。潮が動く。水面の色が変わる。魚が寄る時間がある。


ある定休日の朝。


いつもの防波堤で、おじいが珍しく真面目な顔をした。


「今日は来るかもしれんね」


「何がですか」


「大きいのさぁ」


しばらくして、亮介の竿が大きくしなった。


今までとは違う重さだった。


「師匠!」


「慌てるな! 竿立てろ! 糸出しすぎるな!」


亮介は必死に耐えた。


魚は海の底へ潜ろうとする。腕に力が入り、足が踏ん張る。何度も持っていかれそうになる。


「無理に巻くな! 遊ばせろ!」


十数分の格闘の末、海面に銀と赤の混じった大きな魚が浮いた。


地元でアカジンと呼ばれる高級魚、スジアラだった。

しかもかなり立派なサイズで、師匠のおじいも目を丸くした。


「リョウちゃん……これは大物さぁ」


亮介は息を切らしながら笑った。


「やりました?」


「やったどころじゃないさぁ。今日はリョウちゃんの勝ちさぁ」


亮介は子どものように喜んだ。


「玲奈さんに見せます!」


昼前。


亮介は大きなアカジンを抱えて「しおかぜ」に戻った。


玲奈は厨房から出てきて、魚を見るなり少し目を見開いた。


「……これは本当にあなたが?」


「疑いから入ります?」


「確認です」


後ろから師匠のおじいが言った。


「今日は本物さぁ。リョウちゃん、よう釣った」


玲奈は魚を見つめ、珍しく素直に言った。


「すごいですね」


亮介は固まった。


「今、褒めました?」


「褒めました」


「もう一回お願いします」


「減点します」


「一回で十分です!」


お調子者の亮介は、もう完全に大満足だった。

店の前で魚を持って記念写真まで撮ろうとし、玲奈に止められる。


「飲食店の前で過剰に魚を掲げないでください」


「今日くらい良くないですか」


「三十秒以内です」


「短い!」


問題は、この大物をどうするかだった。


玲奈は料理はできるが、大きな魚を本格的にさばく経験は少ない。そこで常連のおばあが登場した。


「玲奈ちゃん、こういうのは腹から落ち着いてやるさぁ」


「腹から落ち着く、とは」


「怖がるなってことさぁ」


おばあの指導のもと、玲奈は真剣に包丁を入れた。亮介は横で得意げに見守っていたが、すぐに叱られた。


「リョウちゃん、邪魔。皿出して」


「はい」


「あと、魚釣ったくらいで大将面しない」


「師匠にもおばあにも厳しくされる……」


夕方、「しおかぜ」はちょっとした宴会場になった。


アカジンの刺身。

あら汁。

島野菜と合わせた焼き物。

少しだけ出した特別なまかない。


常連のおじい、おばあが集まり、師匠のおじいは誇らしげに亮介を紹介した。


「今日の魚は、リョウちゃんが釣ったさぁ」


「おお、リョウちゃん出世したねぇ」


「川の赤ちゃんが海の男になったさぁ」


亮介は照れながらも、顔は完全ににやけていた。


「まだ赤ちゃん卒業くらいです」


玲奈は料理を出しながら言った。


「少なくとも、今日の成果は認めます」


亮介はすぐ反応する。


「評価は?」


「九十点です」


店内がどよめいた。


「玲奈ちゃんが九十点出したさぁ!」


「これは大事件さぁ!」


玲奈は少し顔を赤くした。


「魚の評価です」


亮介は胸を張った。


「魚込みでも九十点なら十分です」


「調子に乗らないでください」


「今日は少しだけ乗らせてください」


夜が更けるまで、「しおかぜ」には笑い声が続いた。


黒糖プリンの店は、その日だけ少し魚の匂いがする島の食堂になった。

アカジンは皿の上で見事に姿を変え、常連たちの腹と笑顔を満たしていった。


閉店後。


片づけをしながら、亮介がぽつりと言った。


「今日、ちょっと島の男になれた気がします」


玲奈は静かに答える。


「まだ仮認定です」


「仮ですか」


「でも、悪くありません」


亮介は笑った。


「それ、かなり褒めてますよね」


玲奈は視線を逸らした。


「調子に乗らないでください」


「もう乗ってます」


「では減点です」


二人は少し笑った。


窓の外では、夜の海が静かに揺れている。


亮介が初めて釣った大物は、ただの魚ではなかった。

彼が島の海に少しだけ認められた証であり、師匠のおじいとの時間の実りであり、「しおかぜ」がまたひとつ島の暮らしに近づいた証でもあった。


潮風の中に、今日の宴の余韻がまだ残っている。


黒糖プリンと島野菜サンドの店「しおかぜ」は、その夜だけ、海の恵みと笑い声で満ちていた。

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