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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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西表島でヤマネコを探せ ――リョウちゃん、幻の猫に振り回される

「しおかぜ」の定休日は、玲奈にとって休みではない。


朝は家庭菜園。島オクラ、ミニトマト、島らっきょうの様子を見て、土を触り、雑草を抜く。昼にはハンドメイド雑貨の仕上げ。天気がよければスキューバダイビング。玲奈の休日は、静かで、丁寧で、意外と忙しい。


一方、亮介は暇だった。


海釣りは覚えた。おじいに連れられて防波堤にも行く。たまにパチンコにも行くが、帰ってくると玲奈の視線が少し冷たい。


そんなある夜、閉店後の「しおかぜ」で、亮介が突然言った。


「玲奈さん。俺、西表島に行きたいです」


玲奈はカップを拭きながら言う。


「理由は?」


「イリオモテヤマネコを見たいんです」


「猫が見たいなら、南ぬ浜町緑地公園に行けばいいです」


石垣港近くの人工島にある南ぬ浜町緑地公園。海沿いの散歩道があり、釣り人も多く、夕暮れの空と海が綺麗で、猫もよく見かける。市街地から気軽に行ける、ゆるい癒やしスポットだ。


亮介は首を振る。


「普通の猫じゃなくて、イリオモテヤマネコです」


「昼間に会える確率は極めて低いです」


「でも行かなきゃゼロです」


「駄々をこねていますね」


「はい。大人の駄々です」


玲奈はため息をついた。


「では、地域理解研修として行きます」


「デートですね」


「野生動物観察研修です」


「分類が硬いなあ」


翌朝、二人は石垣港離島ターミナルへ向かった。


朝のターミナルは、船を待つ人々でほどよく賑わっていた。観光客、島へ帰る人、荷物を抱えた地元の人。潮の匂いとエンジン音が混ざる。


そこで声をかけてきたのは、常連の宮良拓海だった。


「玲奈さん、リョウさん。今日は西表ですか?」


亮介は嬉しそうに答える。


「はい。イリオモテヤマネコを探しに」


拓海は苦笑した。


「昼間はまず無理ですよ。でも西表はヤマネコだけじゃないです。仲間川のマングローブ、滝、由布島、水牛車。島そのものが別世界です」


玲奈が頷く。


「良い説明です」


「あと、リョウさん。ヤマネコは道路に出ることもあるので、レンタカーは本当に気をつけてください。島では速度を落として走ってくださいね」


亮介は急に真面目な顔になる。


「分かりました。猫にも島にも迷惑かけません」


「それが一番です」


フェリーは石垣港を離れ、大原港へ向かった。


西表島に着いた瞬間、亮介は少し黙った。

石垣島とは空気が違う。緑が濃い。森が近い。島全体が大きな生き物のように、ゆっくり呼吸している。


レンタカーを借り、まず仲間川マングローブクルーズへ。


船は静かな水面を進む。両岸にはマングローブの根が複雑に絡まり、濃い緑が川面に映る。ガイドの説明を聞きながら、亮介は子どものように目を輝かせていた。


「すごいな……日本じゃないみたいだ」


玲奈は即答する。


「日本です」


「感動に正論を挟まないでください」


「事実確認です」


その後、滝へ向かうトレッキングへ。

湿った森の匂い、鳥の声、足元の泥、木漏れ日。玲奈は涼しい顔で歩く。亮介は途中から息を切らす。


「玲奈さん、速いです」


「自然観察は体力です」


「俺、ヤマネコの前に森に負けそうです」


「水牛以下ですね」


「まだ水牛に会ってないのに比較されてる」


昼過ぎ、二人は由布島へ向かった。


浅い海を、水牛車がゆっくり進む。水牛は大きく、堂々としていて、急がない。けれど、合図にはきちんと従い、迷わず道を進む。


亮介は感心した。


「すごい従順ですね。俺より言うこと聞くかも」


玲奈は淡々と答える。


「比較対象としては、水牛に失礼です」


「俺、そんなに負けてます?」


「水牛は余計なことを言いません」


「そこですか」


「若い女性客に愛想を振りまきません」


「まだ根に持ってる」


「記録しています」


「警察時代の記録癖、怖いなあ」


三線の音が流れ、浅瀬の水がきらきら光る。

ゆっくり進む水牛車の揺れは、時間そのものを遅くするようだった。


由布島の植物園では、南国の花々が鮮やかに咲いていた。ブーゲンビリア、ハイビスカス、ヤシの緑。蝶がふわりと飛び、潮風が葉を揺らす。


亮介は花の前で立ち止まる。


「ここ、しおかぜの庭にしたいですね」


「規模が違いすぎます」


「玲奈さんなら、家庭菜園から植物園までいけます」


「人を勝手に拡張しないでください」


「でも、島野菜サンド植物園店とか」


「却下です」


そして、肝心のイリオモテヤマネコ。


地元の人に聞くと、丁寧に教えてくれた。


イリオモテヤマネコは西表島だけに棲む希少な野生ネコ。基本的には夜行性で、森や湿地、川沿いを生活圏にしている。鳥、小動物、爬虫類、魚なども食べる。道路に出ることもあり、交通事故が大きな問題になっているため、島では速度を落として走ることが大切だという。


「昼間に観光で見ようと思っても、まず無理さぁ。数年前に夜道で見たような気がする、くらいの人も多いよ。見られたら相当ラッキー。でも、見られないくらいが野生にはちょうどいいさぁ」


亮介は露骨に肩を落とした。


「やっぱり無理か……」


玲奈は静かに言った。


「簡単に見られないから、守られているんです」


亮介は少し黙った。


「そうですね。会えないことにも意味があるんですね」


夕方、二人は石垣へ戻った。


「しおかぜ」に帰ると、店は閉まっているのに、どこか懐かしい匂いがした。黒糖、コーヒー、木のカウンター。旅から帰る場所があるというのは、不思議に落ち着く。


翌日の仕込みをしながら、亮介はまだ少し未練がましく言った。


「玲奈さん。次は警部補の勘で、イリオモテヤマネコを捜索しましょう」


玲奈は黒糖プリンの型を並べながら即答した。


「野生動物は対象外です」


「元警部補の捜査力でも?」


「対象外です」


「手がかりは?」


「森全体です」


「広すぎる」


「聞き込み対象は?」


「木、川、マングローブ、水牛です」


「水牛は協力してくれそうです」


「あなたよりは」


「また負けた」


玲奈は少しだけ笑った。


「でも、西表島は良かったですね」


亮介も頷く。


「はい。ヤマネコは見られなかったけど、島そのものがすごかった」


「それで十分です」


亮介は窓の外を見た。


「見えなかったから、また行きたくなりますね」


玲奈は少し考えてから言った。


「それは、悪くありません」


「次もデートですか?」


「地域理解研修です」


「はいはい」


「返事が軽いです」


「水牛を見習います」


「それは良い心がけです」


南ぬ島の夜風が、軒先の風鈴を鳴らした。


西表島の濃い緑。

仲間川の静かな水。

由布島へ渡る水牛車。

見られなかった幻の猫。


その全部が、黒糖プリンの甘い香りの中に、しばらく静かに残っていた。

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