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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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潮風のカウンターで、もう一度後輩になる ――先輩が運んできた、少し昔の潮風

午後の「しおかぜ」は、ほどよく賑わっていた。


窓際では常連のおばあたちが黒糖プリンを食べ、奥の席では観光客が地図を広げている。亮介はホールを軽やかに回り、玲奈は厨房でコーヒーを淹れていた。


その時、店の前にレンタカーが止まった。


ドアが開き、明るい声がした。


「玲奈ちゃん、久しぶりやねぇ!」


玲奈の手が止まった。


「……先輩?」


そこに立っていたのは、兵庫県警カラーガード隊時代の先輩だった。玲奈より少し年上で、当時リーダー格だった女性。隣には無口そうな夫、そして元気いっぱいの幼い姉弟がいる。


玲奈の表情が、いつもより少し柔らかくなった。


「南ぬ島まで……来てくださったんですか」


「そら来るよ。玲奈ちゃんの店やもん。霧笛で修業してた時も見に行ったやろ?」


玲奈は静かに頭を下げた。


「本当に、嬉しいです」


警察官時代、玲奈は容姿端麗という理由だけでカラーガード隊へ入れられた。経験も興味もなかった。それなのに「美人すぎる警察官」としてポスターに起用され、周囲から疎まれた。些細なことで叱られることも多かった。


そんな中、この先輩だけは違った。


失敗しても庇ってくれた。

ひとりで浮いていた玲奈を、普通の後輩として扱ってくれた。


玲奈は、その人を心底から慕っていた。


「先輩には、当時、本当に助けられました」


玲奈が真面目に言うと、先輩はあっけらかんと笑った。


「何言うてんの。後輩が困っとったら助けるやろ。普通やん」


「その普通が、嬉しかったんです」


先輩は照れたように手を振った。


「もう、玲奈ちゃんは相変わらず真面目やねぇ」


そして先輩は、常連のおじいおばあに向かって喋り始めた。


「この子な、昔からめっちゃ綺麗やったんよ。県警のポスターに出た時なんか、署内ざわざわしてなぁ」


おばあたちが身を乗り出す。


「玲奈ちゃん、ポスターになってたの?」


「きりっと立ってな。そらもう女優さんみたいやったわ」


玲奈の耳が赤くなる。


「先輩、その話は……」


「まだまだあるで。最初の演技練習の時な、玲奈ちゃん、顔は完璧にクールやのに、旗の回し方だけぎこちなくてな。ほんで終わった後に小声で“これは業務上必要なんでしょうか”って言うてたんよ」


店内が大笑いになる。


「玲奈ちゃんらしいさぁ!」


玲奈は耐えきれず、カップを持って厨房へ逃げた。


「コーヒーを淹れてきます」


おばあが笑う。


「照れとるさぁ」


厨房の奥から声が返る。


「聞こえています」


一方、亮介は子どもたちに捕まっていた。


「リョウちゃん、警察ごっこしよ!」


「うちのお父ちゃん、警察官なんやで!」


姉弟はおもちゃの手錠を取り出す。


「リョウちゃん逮捕!」


亮介は固まった。


「その遊びは、個人的に少し複雑ですね」


玲奈が厨房から顔を出す。


「実体験がありますからね」


「玲奈さん、子どもの前でやめてください」


それでも亮介はすぐに膝をつき、犯人役を引き受けた。

子どもたちは大喜びで、亮介の腕を捕まえる。


「抵抗したらあかんで!」


「はい。更生中なので抵抗しません」


先輩の夫は無口だった。

ただ窓際に座り、玲奈の淹れたコーヒーをゆっくり飲んでいる。やがて一言だけ言った。


「いい店ですね」


玲奈は少し嬉しそうに答えた。


「ありがとうございます」


帰り際、先輩は店内を見回した。


「ほんま素敵なお店やね。また来るわ」


「ぜひ」


子どもたちは亮介に大きく手を振った。


「リョウちゃん、ばいばーい!」


「また逮捕してな!」


亮介も笑って手を振る。


「次は任意同行でお願いします」


家族が去ったあと、「しおかぜ」は少し静かになった。


閉店作業の途中、玲奈がぽつりと言った。


「子供って、可愛いね」


亮介は少し驚いたように見る。


「好きなんですか?」


「うん。見てると……幸せになる」


亮介は静かに頷いた。


「俺も子供、好きですよ」


その言葉の後、少しだけ沈黙が流れた。


玲奈は知っている。

亮介には前妻との間に、重度障害のある子どもがいることを。今も養育費を払い続けていることを。そして、その存在が、彼が人生を踏み外した理由の一つだったことを。


玲奈は何も問い詰めなかった。


ただ、コーヒーを一杯淹れて、亮介の前に置いた。


「お疲れさま」


亮介はカップを受け取る。


「ありがとうございます」


窓の外では、夕暮れの海が静かに光っていた。


子どもたちの笑い声はもうない。

けれど、その余韻だけが店に残っている。


玲奈は思った。


昔、あの先輩が自分に居場所をくれた。

今、自分はこの島で、誰かが少し休める場所を作っている。


潮風が、軒先の風鈴を小さく鳴らした。

「しおかぜ」は今日も、過去の記憶と、今の黒糖プリンの香りを、静かに同じカウンターへ並べている。

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