閉店する写真館と、黒糖プリンの記念写真 ――しおかぜ、島の時間を拾い集める
南ぬ島の商店街に、古い写真館があった。
名前は、島袋写真館。
観光客向けの華やかな店ではない。
七五三、入学式、成人式、結婚式、還暦祝い、運動会、夏祭り。島の誰かの人生の節目を、何十年も静かに撮り続けてきた店だった。
しかし、店主の島袋のおじいも高齢になった。
スマホで誰でも写真を撮る時代になり、写真館を訪れる人は減った。後継ぎもいない。ついに、島袋写真館は店を閉めることになった。
その話を「しおかぜ」に持ち込んだのは、常連のおばあだった。
「島袋写真館が閉まるさぁ。寂しいねぇ」
玲奈は黒糖プリンの皿を置きながら、静かに聞いていた。
「長く続いたお店なんですね」
「島の人なら、みんな一回は撮ってもらっとるよ」
亮介が興味深そうに言う。
「写真館って、古い写真とか残ってるんですか?」
おばあは頷いた。
「それがねぇ、整理してたら、受け取りに来なかった卒業写真や記念写真がいっぱい出てきたらしいさぁ。もう古すぎて、誰のものか分からんのも多いって」
島袋のおじいは、捨てるしかないと諦めかけているという。
その言葉に、玲奈の目が少し変わった。
「捨てる前に、持ち主を探しましょう」
亮介もすぐ乗った。
「しおかぜで預かって、掲示してみましょう。ここなら島の人が集まります」
こうして、「しおかぜ」はしばらくの間、島の思い出捜索本部になった。
玲奈は元警部補らしく、写真を年代別、学校別、行事別に分類した。
封筒の古い文字、台紙の印字、制服、校章、背景の体育館、写っているバスの型、髪型まで手がかりにする。
「これは昭和五十八年前後ですね。こちらは平成初期。背景は旧中学校の体育館です」
亮介が感心する。
「卒業アルバムで現場検証してる」
「記録資料の整理です」
一方、亮介は持ち前の人たらし力で島中に声をかけた。
朝市、漁港、公民館、商店、民宿。
「この写真、見覚えありませんか?」
「この制服、どこの学校ですか?」
「この人、今どこにいます?」
最初はみんな半信半疑だった。
だが写真を見た瞬間、島の空気は変わった。
「これ、うちの兄さんじゃないね?」
「この子、今は那覇にいるさぁ」
「この先生、懐かしい!」
「この写真、青年会の遠足だ!」
「しおかぜ」の壁には、古い写真のコピーが貼られた。
付箋が増え、名前が増え、思い出が増えていく。
ある日、常連のおじいが一枚の卒業写真の前で立ち止まった。
写真は、五十年近く前の中学校の卒業写真だった。
端は少し折れ、色も褪せている。
そこに、まだ少年だったおじいが写っていた。
「これ……俺さぁ」
店内がどっと沸いた。
「ええっ、この子がおじい?」
「髪があるさぁ!」
「痩せてるさぁ!」
おじいは照れながらも、どこか嬉しそうだった。
その写真をきっかけに、同級生たちの名前が次々と分かっていく。島に残っている人、那覇にいる人、本土へ出た人、もう亡くなった人。
玲奈は丁寧に記録を取り、亮介は連絡係になった。
やがて、しおかぜで小さな「思い出返却会」が開かれることになった。
当日、店内には古い卒業アルバムや集合写真が並んだ。黒糖プリンとコーヒーも用意された。
還暦を過ぎた元同級生たちが、写真を囲んで大騒ぎする。
「この頃、あんたモテてたさぁ」
「やめなさい、孫が聞いてる」
「この先生、怖かったねぇ」
「運動会で転んだの覚えてる?」
笑い声が絶えなかった。
一方で、亡くなった友人の写真を見つけて、静かに涙ぐむ人もいた。
何十年ぶりに若い頃の自分と再会し、黙って写真を撫でる人もいた。
玲奈は少し離れて、その光景を見ていた。
亮介が隣に立つ。
「捨てなくてよかったですね」
玲奈は頷いた。
「写真は、紙ではなく時間です」
「いい言葉ですね」
「取材では使わないでください」
そして、閉店を決めた島袋のおじいも招かれていた。
自分が撮った写真を囲んで、島の人たちが笑い、泣き、昔話をしている。
島袋のおじいは、少し震える声で言った。
「捨てんでよかったさぁ」
玲奈は静かに答える。
「残しておいてくださったから、戻せました」
亮介も笑った。
「島袋さんの写真、ちゃんと島に帰りましたね」
その日、島袋のおじいは最後に一つだけ頼みごとをした。
「玲奈ちゃん、リョウちゃん。最後の仕事として、この店を撮らせてくれんかね」
玲奈は少し戸惑った。
「私たちを、ですか」
「そうさぁ。しおかぜと、二人を」
亮介は少し照れながらも笑った。
「光栄です」
島袋のおじいは、古いカメラを構えた。
カウンターに並ぶ黒糖プリン。
窓辺の風鈴。
棚に飾られたエネミヅキ。
常連たちの笑顔。
そして、玲奈と亮介。
玲奈は少し硬い顔をしていた。
亮介はいつものように笑っていた。
島袋のおじいは言った。
「玲奈ちゃん、もう少し柔らかく。リョウちゃん、笑いすぎさぁ」
店内が笑う。
シャッターが切られた。
それは、島袋写真館の最後の一枚になった。
数日後、現像された写真が「しおかぜ」に届いた。
写っていたのは、店の空気そのものだった。
黒糖プリンの甘い匂いまで写り込んでいそうな、温かい一枚だった。
玲奈と亮介は、少し照れくさそうに並んでいる。
その背後には、常連のおじい、おばあたちが笑っている。
窓からは南ぬ島の光が入っていた。
玲奈は何も言わず、その写真を店の一番目立つ場所に飾った。
亮介が驚く。
「そこに飾るんですね」
「島袋写真館の最後の仕事ですから」
常連のおばあたちは、写真を見るなり大絶賛だった。
「島袋さんが撮ったから、玲奈ちゃんもリョウちゃんもいつもより良く撮れてるさぁ」
「ほんと、美男美女のカップルだねぇ」
「おしどり夫婦みたいさぁ」
玲奈の耳が赤くなる。
「夫婦ではありません」
亮介も少し顔を赤くしながら笑う。
「でも、いい写真ですね」
玲奈は写真を見上げた。
「ええ。良い写真です」
閉店後。
二人はその写真の前で、しばらく黙っていた。
亮介がぽつりと言う。
「しおかぜにも、ちゃんと記念写真ができましたね」
玲奈は小さく頷いた。
「はい」
消えかけていた島の思い出を拾うつもりが、最後には自分たちも島の一枚になっていた。
南ぬ島の夜風が、軒先の風鈴を鳴らす。
ちりん。
閉店した写真館の卒業アルバムは、ただの古い紙ではなかった。
それは、島の人たちが若かった頃の笑い声であり、もう会えない人の面影であり、今を生きる人たちをもう一度つなぐ小さな橋だった。
そして「しおかぜ」の壁には今日も、島袋写真館が最後に撮った一枚が飾られている。
黒糖プリンと、潮風と、少し照れた玲奈と亮介を映した、島の新しい思い出として。




