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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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黒糖プリンは、言葉より先に笑顔を連れてくる ――しおかぜ、国籍不明の老夫婦を平久保岬へ送る

その午後の「しおかぜ」は、いつも通り穏やかだった。


窓の外には南ぬ島の光。

軒先の風鈴が、ちりん、と控えめに鳴っている。

常連のおばあたちは黒糖プリンを食べながら世間話をし、亮介はホールを軽やかに回っていた。


そこへ、一組の老夫婦が入ってきた。


七十代くらいだろうか。

夫は麦わら帽子を手に持ち、妻は首から小さなカメラを下げている。上品で旅慣れた雰囲気はあるのに、二人とも少し困った顔をしていた。


亮介はいつもの笑顔で迎えた。


「いらっしゃいませ」


老夫婦もにこやかに頷いた。

しかし、次の瞬間から問題が始まった。


言葉が通じない。


亮介が英語で聞く。


「Can I help you?」


夫婦は顔を見合わせる。


玲奈がスマホ翻訳を出す。

だが、何語を選べばいいのか分からない。


「英語圏ではありませんね」


「フランス語?」


「違うみたいです」


「スペイン語?」


「反応が薄いです」


常連のおばあたちまで集まってくる。


「どこから来たね?」


当然、島ことばも通じない。


店内は、笑顔だけがあるのに会話が一切成立しない、不思議な混乱に包まれた。


老夫婦は地図を広げ、パンフレットを指差した。


そこに写っていたのは、平久保岬だった。


玲奈の目が光る。


「目的地は平久保岬です」


「ようやく分かりましたね」


亮介がほっとする。


しかし問題はここからだった。


バスの時間。

乗り場。

帰りの便。

途中で迷わないか。


玲奈は時刻表を確認し、亮介は身振り手振りで説明する。おじいは紙にバスの絵を描き、おばあは「大丈夫さぁ!」と笑顔で励ます。


もちろん通じていない。


でも、なぜか老夫婦も笑っていた。


玲奈は冷静に判断する。


「バスでは難しいです。このままでは平久保岬より先に迷子になります」


亮介は頷く。


「タクシーを呼びましょう」


その前に、玲奈は黒糖プリンを二つ出した。


「まず、落ち着いてもらいます」


老夫婦は不思議そうにスプーンを取る。


一口。


二人の表情が変わった。


妻が目を丸くし、夫が胸に手を当てる。


「Oh……!」


それだけは、全員に通じた。


常連のおばあが笑う。


「ほら、通じたさぁ!」


亮介も笑う。


「黒糖プリン、翻訳機より早いですね」


玲奈は少しだけ目元を緩めた。


「味覚は国際的です」


その後、亮介は顔なじみのタクシー会社へ電話した。


「しおかぜからです。平久保岬まで、海外のお客様二名。言葉はほぼ通じません」


電話の向こうで運転手が笑う。


「しおかぜの頼みなら行くさぁ」


タクシーが来るまでの間、老夫婦は店内の風鈴やエネミヅキのノベルティを眺め、常連たちと身振り手振りで交流した。


言葉はない。

でも、笑顔はあった。


出発前、妻がスマホを取り出した。


どうやら、みんなで写真を撮りたいらしい。


亮介、玲奈、常連のおじい、おばあたち。

全員がぎゅっと集まる。


おばあが言う。


「海外デビューさぁ!」


玲奈は苦笑する。


「どこに掲載されるかは不明です」


写真の中で、老夫婦は満面の笑みだった。


やがてタクシーが到着する。


亮介は運転手に行程を説明し、玲奈は簡単な英語と地図でメモを書く。


Hirakubo Cape. Taxi. Return safely.


老夫婦は何度も頭を下げた。


最後に、夫がゆっくりと言った。


「Thank you」


その一言だけは、はっきり聞き取れた。


タクシーが走り去ると、店内には少しだけ余韻が残った。


亮介が言う。


「結局、何語だったんでしょうね」


玲奈はカップを片づけながら答える。


「分かりません」


「でも、何とかなりましたね」


「黒糖プリンがありましたから」


常連のおばあが頷く。


「美味しいは、言葉いらんさぁ」


数週間後。


「しおかぜ」に一枚の絵葉書が届いた。


平久保岬の写真。

その裏には、少し不思議な日本語と英語が混ざっていた。


Best Pudding. Best People.

ありがとう。


玲奈はそれを静かに読み、店内の棚へ飾った。

エネミヅキの隣。

手作り風鈴の下。

忘れ物を届けた女の子の絵葉書の横。


亮介が笑う。


「また思い出の棚が増えましたね」


玲奈は短く答える。


「重要記録です」


「今度は何の記録ですか」


玲奈は少し考えた。


「言葉が通じなくても、何とかなる記録です」


風鈴が、ちりんと鳴った。


南ぬ島の午後。

黒糖プリンの甘さは、今日も少しだけ誰かの旅を助けている。

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