雨の日のプロポーズ写真 ――しおかぜ、旅の一枚を撮り直す
梅雨明け前の南ぬ島は、朝から静かな雨だった。
「しおかぜ」の窓には細かな雨粒がつき、いつもなら海へ向かって明るく抜ける景色も、今日は銀色に霞んでいる。ハイビスカスは濡れて色を深くし、軒先の風鈴は湿った風に揺れて、控えめに鳴った。
玲奈はそんな雨を、案外嫌いではなかった。
「観光客には気の毒ですが、雨の日の島も悪くありません」
コーヒーを淹れながら、いつもの涼しい顔で言う。
亮介は窓の外を見た。
「晴れの海を期待して来た人には、ちょっと残念でしょうね」
「天候は管理不能です」
「言い方が元警部補」
「事実です」
そんな午後、一組の若いカップルが入ってきた。
男性はどこか落ち着かず、女性はそれを察しているように少しだけ苦笑している。濡れた傘、少し湿ったパンフレット、スマホに残る川平湾の検索画面。
亮介はすぐに気づいた。
「玲奈さん、あのお二人、何かありますね」
「ありますね」
「どうします?」
「まず黒糖プリンです」
「いつも通りですね」
二人に黒糖プリンとコーヒーを出すと、男性はようやくぽつりと打ち明けた。
「本当は今日、川平湾でプロポーズするつもりだったんです」
女性はやっぱり、という顔で彼を見る。
「何か隠してると思った」
男性は気まずそうに笑う。
「晴れた海を背景に写真も撮って……って考えてたんです。でも、この雨で」
その声には、がっかりが滲んでいた。
亮介は少し身を乗り出す。
「雨なら、雨の日の写真を撮ればいいんです」
男性はぽかんとする。
「雨の日の写真?」
玲奈が店内を見回した。
「しおかぜの軒先。風鈴。濡れたハイビスカス。雨粒のついた窓。遠くに少しだけ霞んだ海。晴天の代替ではなく、雨天専用の構図を考えます」
亮介が笑う。
「玲奈さん、撮影監督ですね」
「記録写真は構図が大事です」
すると、常連のおばあたちが黙っていなかった。
「ハイビスカスなら、外の鉢をこっちへ持ってくるさぁ」
「風鈴も入れた方がええねぇ」
「お兄さん、膝つくならタオル敷きなさい。ズボン濡れるよ」
おじいまで新聞を畳んで立ち上がる。
「この角度なら、海が少し入るさぁ」
「おじい、詳しいですね」
亮介が驚くと、おじいは胸を張る。
「昔、写真クラブだったさぁ」
あっという間に、「しおかぜ」は雨の日プロポーズ作戦本部になった。
玲奈は構図と段取り担当。
亮介は男性の緊張をほぐす担当。
おばあたちは花と小物担当。
おじいは謎の撮影監修担当。
玲奈は男性に言った。
「言葉は短くて大丈夫です。長く話すと噛みます」
亮介が補足する。
「でも、気持ちはちゃんと伝えましょう」
おばあが横から言う。
「泣いたら泣いたでいい写真になるさぁ」
女性はもう少し泣きそうだった。
やがて、軒先に小さな場所が整えられた。
濡れたハイビスカス。
静かに鳴る風鈴。
窓辺には二つの黒糖プリン。
雨粒越しに見える、銀色の海。
男性は深呼吸した。
「本当は、晴れた川平湾で言うつもりだった」
女性は頷く。
「でも、今日の雨も、たぶん忘れないと思う」
男性は指輪を取り出した。
「これから先、晴れの日だけじゃないと思うけど、一緒にいてくれますか」
女性は泣き笑いで答えた。
「はい」
おばあたちは拍手し、亮介は完全にもらい泣き寸前。
玲奈は静かにカメラを構え、雨粒越しの一枚を撮った。
写真には、青い絶景は写っていない。
けれど、濡れた花、風鈴、銀色の海、泣き笑いの女性、不器用に笑う男性が写っていた。
晴れの日では撮れなかった一枚だった。
後日、「しおかぜ」に写真付きの手紙が届く。
雨でよかったと思える日になりました。
あの写真は、私たちの一番大切な一枚です。
玲奈はそれを読み、ほんの少し微笑んだ。
亮介が言う。
「いい仕事でしたね」
「共同作業です」
「俺も入ってます?」
「緊張緩和係としては有効でした」
「常連さんたちは?」
玲奈は窓辺の風鈴を見る。
「正式な撮影補助員です」
その日も、南ぬ島にはやわらかな雨が降っていた。
晴れの日だけが旅ではない。
晴れの日だけが恋でもない。
「しおかぜ」は今日も、雨に濡れた誰かの予定を、少しだけ美しい思い出に撮り直している。




