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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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迷子の三線が連れてきた歌 ――しおかぜ、安里のおじいの声をもう一度聞く

昼下がりの「しおかぜ」に、一本の古い三線が置き忘れられた。


黒いケースは年季が入り、持ち手は少し擦り切れていた。けれど、中の三線は古びていながらも、丁寧に磨かれていた。長く使われた道具だけが持つ、静かな品があった。


玲奈はそれを見るなり、表情を引き締めた。


「亮介さん、遺失物記録を作ります。発見時刻、席番号、外観、特徴」


亮介は苦笑する。


「完全に元警察ですね」


「返却には記録が必要です」


そこへ、常連のおばあが覗き込んだ。


「あれ……これ、安里のおじいの三線じゃないね?」


安里のおじいは、昔、島の祭りや祝いの席で三線を弾き、島唄を歌っていた名人だったという。だが、妻を亡くしてから、ぱたりと歌わなくなった。最近は祭りにも顔を出さず、家にこもりがちだった。


調べると、三線を忘れたのは安里のおじいの親戚だった。預かっていたものを、うっかり「しおかぜ」に置いていったらしい。


数日後、安里のおじいが店にやってきた。


小柄で、日焼けした顔に深い皺が刻まれている。

目は優しいが、どこか遠くを見ているようだった。


「迷惑かけたね」


おじいは三線を受け取ると、そのまま帰ろうとした。


亮介が、やわらかく声をかける。


「せっかくですから、コーヒーだけでも」


玲奈も黒糖プリンを置いた。


「返却確認のため、少しお時間をください」


おじいは苦笑する。


「それ、ただ座らせたいだけさぁ」


常連のおばあたちが笑った。


店内には、いつの間にか昔を知る人たちが集まっていた。誰かが若い頃の祭りの話をし、誰かが安里のおじいの歌声を懐かしんだ。


「昔はこの人が歌うと、みんな踊ったさぁ」


「奥さんが一番嬉しそうに聞いてたねぇ」


おじいは黙って聞いていた。


やがて、そっと三線をケースから出した。


ぽろん。


小さな音が鳴った。


その一音だけで、店内が静かになる。


おじいは照れたように笑った。


「もう声は出んさぁ」


それでも、指は弦を覚えていた。


ゆっくり、確かめるように弾き始める。

そして、亡き妻が好きだった島唄を、かすれた声で歌い出した。


若い頃の張りはない。

音も、少し揺れていた。

けれど、その歌には長い時間があった。


失った人を思う寂しさ。

島で生きてきた誇り。

もう一度、人前で声を出す小さな勇気。


黒糖プリンの甘い香りと、三線の音と、午後の光が、静かに混ざった。


常連のおばあは涙ぐみ、亮介は黙って聞いていた。

玲奈も厨房の奥で、手を止めて目を伏せていた。


歌い終えると、誰かが拍手した。


その拍手は、すぐに店中へ広がった。

派手ではない。けれど、温かい拍手だった。


安里のおじいは困ったように笑った。


「もう下手になったさぁ」


玲奈は静かに答えた。


「十分、届きました」


その日を境に、安里のおじいは少しずつ外へ出るようになった。


最初は「しおかぜ」で一曲だけ。

次は、常連のおばあの誕生日に二曲。

やがて島の小さな集まりでも、三線を抱えて姿を見せるようになった。


「迷子の三線が、おじいの声を連れて帰ってきたさぁ」


おばあがそう言うと、亮介は嬉しそうに笑った。


「しおかぜ、今度は民謡喫茶ですね」


玲奈は即答する。


「営業形態を勝手に変更しないでください」


「でも、悪くないですよ」


「……検討対象外です」


そう言いながら、玲奈は安里のおじいのために、いつもより少し濃いめのコーヒーを淹れるようになった。


夕方。


安里のおじいが三線を抱えて帰る時、店の前で振り返った。


「また、気が向いたら弾きに来るさぁ」


亮介が手を振る。


「いつでもどうぞ」


玲奈も小さく頷いた。


「黒糖プリン、用意しておきます」


おじいは少し照れたように笑い、ゆっくり歩いていった。


南ぬ島の風が、木製看板を揺らす。

その風の中に、さっきの三線の余韻がまだ残っているようだった。


迷子の三線は、ただ持ち主の元へ戻っただけではない。

失われかけていた歌を、もう一度、島へ連れて帰ってきた。


「しおかぜ」は今日も、誰かの忘れ物を預かり、誰かの思い出をそっと温める。


黒糖プリンとコーヒーと、少しだけ懐かしい歌とともに。

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