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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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エネミヅキ、しおかぜに来る ――美月と彩香、南ぬ島で相変わらず喧嘩する

「しおかぜ」は、すっかり島の店になっていた。


玲奈は厨房で黒糖プリンを仕込み、亮介はホールで客を迎える。常連のおじい、おばあは、もはや自分の家の縁側のようにくつろぎ、観光客は「美人店主と陽気なウェイターがいる店」として写真を撮って帰っていく。


玲奈自身も、いつの間にか忘れかけていた。


自分がかつて警部補だったこと。

戦隊ヒロインとして人前に立っていたこと。

NSTの任務で、冷徹なる美貌のボスと呼ばれていたこと。


今の玲奈は、黒糖プリンの火加減と、島野菜サンドの仕込みと、亮介の接客過多を管理する店主だった。


そんな昼下がり。


扉が勢いよく開いた。


「玲奈さーん! 来たでぇ!」


玲奈の手が止まった。


「……美月?」


その隣で、背筋を伸ばした女性がため息をつく。


「美月、声が大きい。店内やぞ」


「ええやん、久しぶりなんやから!」


「久しぶりでも礼儀はある」


「出た、播州の堅物」


「なんやと」


赤嶺美月と西川彩香だった。


二人とも、大人になっていた。


美月は大学卒業後、地元関西の大手ガス会社に就職し、広報部で働いている。かつてのようなツインテールではなく、少し落ち着いた髪型になり、社会人らしい大人の色気も出ていた。とはいえ、話し出すと昔のままだった。


彩香は、玲奈に憧れて兵庫県警の警察官になった。今も県警広報の一環として戦隊ヒロインプロジェクトに関わっている。凛とした立ち姿は、以前よりさらに研ぎ澄まされていた。


二人とも、もう第一線の少女たちではない。

それぞれの場所で働く大人だった。


ただし。


「彩香、荷物の置き方まで堅いねん」


「荷物の置き方に堅いも柔らかいもあるか」


「あるわ。あんたの鞄、直角に置かれとるやん」


「美月の鞄がだらしないだけや」


「うわ、警察官こわ」


「あんた、社会人になっても口だけは変わらんな」


玲奈は深く息を吐いた。


「あんたら、相変わらずやなぁ」


鉄仮面のような表情が、ほんの少しだけ崩れた。


亮介は黒糖プリンを運びながら、にこにこしている。


「玲奈さんの後輩さんたちですか?」


「後輩であり、騒音源です」


「玲奈さん、ひどい!」


美月が笑う。


彩香は亮介を見て、少し表情を引き締める。


「水野さんですね。お話は聞いています」


亮介はすぐに頭を下げた。


「はい。現在は更生済み……と言い切れるよう、黒糖プリンを運んでおります」


美月は亮介の顔を見て、ふと目を丸くした。


「あれ? 亮介さんやん。うち、大学生の時に投資セミナーで見たことあるわ」


亮介の笑顔が一瞬固まる。


「その節は……」


「大学生向けの投資セミナー、めっちゃ分かりやすかったで」


玲奈の視線が冷たくなる。


「美月、それは褒めてはいけないやつです」


彩香も冷静に頷く。


「完全にアウト寄りの褒め言葉やな」


美月は悪びれない。


「でもほんまに説明は上手かったんやもん」


亮介は苦笑した。


「今は、その説明力を黒糖プリンと観光案内に限定使用しています」


常連のおばあたちは大笑いだった。


しばらくして、話題は美月の近況になった。


「美月ちゃん、今は何しとるの?」


おばあが尋ねる。


美月は少し胸を張る。


「地元のガス会社で広報やってます。ガスの安全利用とか、省エネとか、イベントとか」


彩香がすかさず口を挟む。


「あと、“エネミヅキ”やろ」


美月の眉がぴくりと動いた。


「彩香、それ今言う必要ある?」


「あるやろ。関西ではそこそこ有名やん」


「そこそこって何やねん!」


彩香は涼しい顔で説明する。


「エネミヅキは、美月をモデルにしたガスの妖精です。ガスの適正利用を呼びかけるゆるキャラで、関西のあちこちにステッカーが貼られています」


店内がざわつく。


「ガスの妖精?」


「美月ちゃん、妖精なの?」


亮介は腹を抱えそうになっている。


美月は顔を赤くする。


「ちゃうねん! モデルになっただけやねん! うちが妖精なわけやない!」


彩香はさらに畳みかける。


「でも髪型とか目元とか、かなり美月やん。しかも口癖も微妙に河内弁」


「やめぇ!」


「“ガスは正しく使わなあかんでぇ”って言うんやろ?」


「それは広報文言や!」


常連のおばあたちは大爆笑。


「美月ちゃん、ガスの妖精さぁ!」


「かわいいねぇ」


亮介もつい吹き出す。


「エネミヅキ、見たいですね」


美月は鞄から、なぜかノベルティグッズを取り出した。

缶バッジ、ステッカー、小さなアクリルスタンド。


「一応、持ってきてるけど」


彩香が呆れる。


「宣伝する気満々やないか」


「ちゃうわ! たまたまや!」


「たまたまアクスタ持ち歩く広報担当、怖いわ」


玲奈はそのやり取りを見て、とうとう小さく笑った。


ほんの一瞬だったが、常連たちは見逃さなかった。


「玲奈ちゃん、笑ったさぁ」


「これは珍しい」


玲奈はすぐ真顔に戻る。


「業務中です」


だが、その声には少し懐かしさが混じっていた。


黒糖プリンを食べながら、彩香は静かに玲奈へ言った。


「私は今も、玲奈さんの背中を追っています」


店内の空気が、少しだけ落ち着いた。


彩香の目は真剣だった。


「県警に入ったのも、玲奈さんみたいになりたかったからです。でも、やってみると難しいですね。玲奈さんのようにはできません」


玲奈は少し黙った。


それから、柔らかく答えた。


「彩香らしくやればええ。それだけのポテンシャルがあるんやから」


彩香の表情が少し緩む。


美月も、茶化さずに聞いていた。


「美月も、よう頑張ってるやん。広報の仕事、向いてると思うで」


玲奈が言うと、美月は照れ隠しに笑った。


「ほんまですか? エネミヅキも?」


「それは……判断を保留します」


「そこは褒めてくださいよ!」


再び店内に笑いが戻った。


帰り際、二人は少し真面目な顔になる。


「玲奈さん、戦隊ヒロインOGイベントを企画してるんです」


彩香が言う。


「遥室長や隼人補佐官も動いてます。玲奈さんにも、できれば来てほしい」


美月も続ける。


「無理には言わへんけど、みんな玲奈さんに会いたがってます」


玲奈はすぐには答えなかった。


「……考えておきます」


それだけだった。


だが、美月も彩香も、それ以上は押さなかった。


二人が帰ったあと、「しおかぜ」は少し静かになった。


閉店後。


玲奈はカウンターの棚を片づけながら、美月が置いていったエネミヅキのアクリルスタンドを手に取った。


亮介が首を傾げる。


「飾るんですか?」


玲奈は何も言わず、棚の一角に置いた。


そこには、玲奈自身の戦隊ヒロイン時代の写真も、県警カラーガード時代の記念品も、NST関連のものも、一つも飾られていない。


なのに、エネミヅキだけが、黒糖プリンのメニュー札の横にちょこんと置かれた。


亮介は笑いをこらえる。


「謎行動ですね」


玲奈は平然と言った。


「魔除けです」


「何から守るんですか」


「過剰なガス使用から」


「それ、エネミヅキの本来業務ですね」


玲奈は少しだけ笑った。


「美月も彩香も、ちゃんと前に進んでるんやね」


亮介は隣に立つ。


「玲奈さんも、進んでますよ」


「そうかな」


「はい。少なくとも、昔のものは飾らないのに、後輩のゆるキャラを飾るくらいには」


玲奈は棚の上のエネミヅキを見つめた。


「昔の自分を飾るのは、少し気恥ずかしいです」


「でも、後輩の今なら飾れる?」


「そうかもしれません」


窓の外では、南ぬ島の夜風が看板を揺らしていた。


過去は遠くなった。

けれど、懐かしい声は時々、何の前触れもなく扉を開けてやってくる。


美月の明るい声。

彩香の真っ直ぐな目。

エネミヅキという謎のノベルティ。


玲奈は、ほんの少しだけ目元を緩めた。


「OGイベント……少しだけ、考えてみます」


亮介は静かに頷いた。


「いいと思います」


棚の上で、ガスの妖精エネミヅキが、妙に堂々と立っていた。

「しおかぜ」の新しい守り神のように。

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