島レモンのプロポーズ未満 ――しおかぜ、若い二人のすれ違いを甘酸っぱくほどく
島レモンは、見た目よりずっと正直な果実だった。
小ぶりで、皮は少し厚い。切ると、南ぬ島の陽射しを閉じ込めたような香りがふわりと立つ。甘いだけではない。酸っぱくて、少し苦くて、でも後味は明るい。
その日、「しおかぜ」に島レモンを持ち込んだのは、島の青年・新里航平だった。
航平は地元の観光船会社で働く、口数の少ない青年だった。日に焼けた顔で、真面目で、不器用。常連のおじいからは「いい男だけど、言葉が足りんさぁ」と評されている。
航平には、付き合って半年になる恋人がいた。
本土から移住してきた雑貨店勤務の莉子である。
莉子は明るく、感性が柔らかく、島の景色や手仕事を心から愛していた。けれど最近、二人は少しぎくしゃくしていた。
航平は、莉子がいつか本土へ帰ってしまうのではないかと不安だった。
莉子は、航平から「島に残る覚悟」を問われることが怖かった。
好きなのに、言葉が噛み合わない。
ある日、航平が「しおかぜ」に来て、亮介にぽつりと言った。
「俺、何言えばいいか分からんです」
亮介は水を置きながら頷く。
「男は、言わないと伝わらないですよ。俺は言いすぎて失敗した側ですけど」
厨房の玲奈が即座に言う。
「かなり失敗しました」
「そこ強調します?」
「事実です」
その数日後、莉子も「しおかぜ」に来た。
黒糖プリンを前に、彼女は玲奈に小さく打ち明ける。
「島は好きなんです。でも、ずっといるって今すぐ決めなきゃいけないのかなって思うと、少し苦しくて」
玲奈は静かにコーヒーを置いた。
「残るか帰るかより、まず今日どうしたいかを話せばいいと思います」
「今日、ですか」
「大きな答えは、小さな会話を積み重ねた後でいいです」
その夜、玲奈と亮介は閉店後のカウンターで作戦会議をした。
「航平さんと莉子さんを同じ日に呼びます」
玲奈が言う。
亮介が笑う。
「仲直り作戦ですね」
「違います。島レモンを使った新作ドリンク試作会です」
「建前が硬い」
「必要です」
こうして、「しおかぜ」初の共同作業が始まった。
玲奈は島レモンを丁寧に絞り、蜂蜜と少しの黒糖で酸味を整えた。亮介は炭酸の強さ、グラスの見せ方、客への説明文を考える。
「甘酸っぱいけど、後味はすっきり。恋人同士のすれ違いにもおすすめです」
「却下です」
「良いコピーなのに」
「露骨すぎます」
当日、航平と莉子は、少し気まずそうに同じテーブルへ座った。
玲奈は澄ました顔でグラスを置く。
「試作品です。率直な感想をお願いします」
亮介はにこやかに補足する。
「島レモンの新作ソーダです。甘さと酸っぱさのバランスを見たいので、できれば二人で話しながら飲んでください」
莉子が少し笑う。
「それ、もしかして仕組まれてます?」
玲奈は即答する。
「商品開発です」
亮介が小声で言う。
「八割くらい仕組んでます」
「亮介さん」
「すみません」
最初はぎこちなかった二人も、島レモンソーダを飲むうちに、少しずつ言葉を戻していった。
航平がぽつりと言う。
「俺、莉子が本土に帰るんじゃないかと思って、怖かった」
莉子はグラスを見つめる。
「私は、今すぐ島に残るって決めなきゃいけない気がして、怖かった」
「重かった?」
「少し。でも、航平くんが嫌なわけじゃない」
「俺も、莉子に無理させたいわけじゃない」
二人の間に、長い沈黙が落ちた。
けれど、その沈黙はもう冷たくなかった。
莉子が言った。
「答えは急がない。でも、また一緒にここへ来たい」
航平は小さく頷いた。
「うん。また来よう」
玲奈は厨房の奥で、ほんの少しだけ目元を緩めた。
亮介は得意げに小さくガッツポーズをする。
「初の共同作業、成功ですね」
「商品開発としては、です」
「仲直りとしては?」
「……悪くありません」
後日、そのドリンクは数量限定で出されることになった。
名前は、亮介案が通った。
島レモンの仲直りソーダ
玲奈は最後まで不満そうだった。
「名称が直接的すぎます」
「売れてます」
「それは認めます」
常連のおばあたちは大喜びだった。
「若い恋の味さぁ」
「甘酸っぱいねぇ」
「玲奈ちゃんとリョウちゃんもこれ飲みなさい」
玲奈は即答する。
「私たちには不要です」
亮介が笑う。
「いや、俺たちは結構必要だったと思います」
「あなたの場合、すれ違いではなく逃亡です」
「厳しい」
「でも、戻ってきたので減点は保留です」
閉店後、二人は残った島レモンソーダを分け合った。
グラスの中で、淡い黄色の泡が静かに弾ける。
一口飲むと、酸っぱさが先に来て、あとから黒糖のやさしい甘みが追いかけてくる。
亮介が言う。
「恋って、こういう味なんですかね」
玲奈は少し考えた。
「甘いだけでは、たぶん続きません」
「酸っぱいだけでも?」
「疲れます」
「じゃあ、ちょうどいいですね」
玲奈はグラスを見つめ、静かに頷いた。
「ええ。ちょうどいいです」
南ぬ島の夜風が、窓を少し揺らした。
若い二人の恋は、まだプロポーズには遠い。
けれど、今日のところはそれでよかった。
「しおかぜ」は、黒糖プリンと島レモンで、誰かの気持ちを少しだけほどく。
そして玲奈と亮介もまた、甘酸っぱい日常を、少しずつ自分たちの味にしていくのだった。




