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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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黒糖プリンのカラメル戦争 ――しおかぜ、おしどり未満の夫婦喧嘩を島中で仲裁される

「しおかぜ」は、今日も平和だった。


玲奈は厨房で黒糖プリンを仕込み、亮介はホールで常連のおばあに水を出している。観光客に「ご夫婦ですか?」と聞かれると、玲奈は即座に「違います」と答える。亮介は隣で少し嬉しそうに笑う。


「違うんですか?」


観光客が笑う。


玲奈は淡々と黒糖プリンを皿に乗せた。


「業務上の共同運営者です」


常連のおじいが新聞を畳んだ。


「それ、島では夫婦って言うさぁ」


「言いません」


「じゃあ、おしどり未満さぁ」


亮介が笑う。


「未満なら、ちょっと近いですね」


玲奈の耳が赤くなる。


「勤務中です。私語を控えてください」


そんなやり取りが、もう「しおかぜ」の日常になっていた。


ところが、その平和な店で、実にくだらない喧嘩が起きた。


原因は、黒糖プリンのカラメルだった。


昼の客足が少し落ち着いた頃、亮介が試作品を一口食べて、何気なく言った。


「今日のカラメル、ちょっと苦めですね」


玲奈の手が止まる。


「今日の火加減が正解です」


「いや、美味しいんですよ。ただ、観光客には昨日くらいの優しい苦味の方がウケるかも」


「今日が正解です」


「でも、味の好みって人それぞれで」


「亮介さん」


玲奈は静かに振り向いた。


「黒糖プリンに関する最終判断権は私にあります」


亮介は一瞬、しまったという顔をした。

だが、そこで引けばよかったのに、少しだけ口が滑った。


「でも、ホールでお客さんの反応を見ているのは俺なので」


空気が止まった。


常連のおばあが、小さく「あら」と言った。


玲奈は無表情だった。


「では、厨房も担当されますか」


「そういう意味ではなくて」


「カラメルの火加減は、秒単位です」


「それは分かっています」


「分かっている人の発言ではありません」


亮介は黙った。


そこから、店内の空気が少しぎくしゃくした。


亮介はホールでいつもより静かだった。

玲奈は厨房で、いつもよりカップを置く音が硬かった。

黒糖プリンは変わらず美味しいのに、店全体に微妙な緊張が漂っている。


常連のおばあは、もちろん見逃さない。


「リョウちゃん、玲奈ちゃんと喧嘩したね?」


「してません」


厨房から玲奈も即答する。


「していません」


おじいが新聞を畳む。


「二人とも同じ硬さで否定したさぁ。これは喧嘩さぁ」


「原因は何ね?」


「カラメルです」


亮介が正直に答える。


店内が静まる。


そして、次の瞬間。


「カラメルね?」


「それだけね?」


「平和すぎる喧嘩さぁ!」


常連たちは大爆笑した。


しかし本人たちは真剣だった。


亮介は腕を組む。


「お客さん目線も大事だと思うんです」


玲奈も譲らない。


「職人の基準も大事です」


「少し優しい味の方が、初めての人には入りやすいです」


「苦味があるから黒糖の甘さが立ちます」


「それは分かりますけど」


「分かっていません」


おばあたちは、すぐに仲裁へ乗り出した。


「じゃあ、食べ比べればいいさぁ」


「昨日の優しい版と、今日の苦め版」


「しおかぜ黒糖プリン・カラメル住民投票さぁ!」


玲奈は眉を寄せる。


「住民投票にする規模の問題ではありません」


亮介は少し乗り気になる。


「でも、データは取れますよ」


「統計母数が不足しています」


「プリンで統計って言わないでください」


だが、もう遅かった。


常連のおばあたちは完全に盛り上がり、観光客まで巻き込まれた。

いつの間にか店内では、小さな試食会が始まっていた。


玲奈は苦め版を用意する。

亮介は昨日に近いやさしい版を用意する。


おじいは苦め版を食べて頷いた。


「こっちが大人の味さぁ」


おばあはやさしい版を食べる。


「私はこっちが好き。ほっとする味ね」


若い観光客は迷う。


「苦めも美味しいけど、やさしい方が写真撮ったあとに食べやすいかも」


別の常連が言う。


「でも、玲奈ちゃんの苦い方はクセになるさぁ」


投票は割れた。


亮介は少し得意げになる。


「ほら、やさしい味派も多いです」


玲奈は無表情。


「票差は僅差です。結論を急ぐべきではありません」


「負けず嫌いですね」


「品質管理です」


すると、最年長のおばあがぽんと手を打った。


「じゃあ、二つ作ればいいさぁ」


店内が静かになった。


「玲奈ちゃんの苦めも美味しい。リョウちゃんの言うやさしいのも美味しい。なら、日によって選べるようにしたらいいさぁ」


おじいも頷く。


「夫婦喧嘩から新商品さぁ」


玲奈は即座に言う。


「夫婦ではありません」


亮介も笑う。


「でも、新商品は良さそうですね」


玲奈は少し考えた。


確かに、悪くない。

通常版はこれまで通り、黒糖の甘みを引き立てる少し苦めのカラメル。

そして数量限定で、初めての客にも食べやすい、やさしいカラメル版。


「……採用します」


亮介の顔が明るくなる。


「本当ですか」


「ただし、名称は慎重に決めます」


おばあが言う。


「夫婦喧嘩プリンは?」


「却下です」


「仲直りプリンは?」


亮介が笑う。


「それ、いいですね」


玲奈は少し頬を赤くした。


「検討対象外です」


結局、名前は無難に決まった。


やさしいカラメル黒糖プリン


翌日から数量限定で出すと、これが思いのほか評判になった。

通常版の苦めの余韻を好む常連もいれば、やさしい版を気に入る観光客もいる。


常連たちは、もちろん毎回からかった。


「今日は喧嘩プリンあるね?」


「その名称ではありません」


「仲直りプリンちょうだい」


「正式名称でお願いします」


亮介は横で笑う。


「やさしいカラメル黒糖プリン、一点ですね」


「リョウちゃん、分かってるさぁ」


玲奈は厨房で少しだけ不満そうにしていたが、売れ行きが良いので文句は言えなかった。


閉店後。


店内には、二種類の黒糖プリンの試作品が並んでいた。


玲奈と亮介はカウンターに座り、静かに食べ比べる。


亮介が言う。


「喧嘩したおかげで新商品ができましたね」


玲奈はコーヒーを飲む。


「喧嘩ではありません。商品開発上の意見交換です」


「かなり感情的でしたよ」


「亮介さんが余計なことを言ったからです」


「すみません」


亮介は素直に頭を下げた。


「言い方が悪かったです。玲奈さんのカラメル、俺、本当に好きなんです。ただ、お客さんによっては別の入口もあっていいかなって」


玲奈は少しだけ黙った。


「私も、少し強く言いました」


「珍しいですね。玲奈さんが謝るの」


「謝ってはいません。事実確認です」


「はい」


亮介は笑った。


玲奈は、やさしいカラメル版をひと口食べた。


「でも、今日のあなたの意見は……悪くありませんでした」


亮介の顔が明るくなる。


「評価は?」


「八十二点です」


「細かい」


「ただし、ホールの意見としては有用でした」


「ありがとうございます」


少し沈黙。


亮介は通常版の黒糖プリンを食べて、柔らかく言った。


「でも、俺はやっぱり玲奈さんの苦めのカラメルが好きです」


玲奈の手が止まる。


「それは、プリンの話ですか?」


亮介は少し笑った。


「プリンの話です。今は」


玲奈は視線を逸らす。


「……減点します」


「なんでですか」


「言い方がずるいです」


「褒めたのに」


「ずるい褒め方です」


亮介は嬉しそうに笑った。


玲奈も、ほんの少しだけ口元を緩めた。


黒糖プリンのカラメルひとつで喧嘩して、島のおじいおばあに仲直りさせられる。

そんな、何でもない一日。


けれど、玲奈にとってそれは、少し不思議な幸せだった。


誰かと意見がぶつかる。

少し拗ねる。

周りに笑われる。

仲直りして、明日のメニューが増える。


それは、ひとりで待っていた頃にはなかった時間だった。


南ぬ島の夜風が、窓をやさしく揺らす。


「しおかぜ」は、明日も開く。

苦めの黒糖プリンと、やさしいカラメル黒糖プリン。

そして、おしどり未満の二人の、少し甘くて少し苦い日常とともに。

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