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地下の貯蔵庫

 琥珀色の髪を靡かせ、少年は歩いていた。

 目を引く容貌でありながら、彼を気にかける者はいない。

 それ程までに少年――アリアス・メリクトは広間の風景に溶け込んでいた。

 本来ならここにいるはずのない客。

 それが彼だった。

 使節団がメザーニャに帰った後、王宮に残ったアリアスは、半ば監禁されるような状態で生活を送っていた。

 外出の許可など下りるはずもなく、狭い部屋に囚われるだけ。

 けれど、少年には特技があった。

 周囲の風景に溶け込み、誰にも認識されないという特技が。そうして、この会場まで足を運んだのだ。

 退屈しのぎの戯れ。そんな軽い気持ちだった。


「ごきげんよう、クラシェイド伯爵」


 そう、彼女が現れるまでは。


――あの人は……。


 ライカに銀杯を迫る彼女は、アリアスにとって伯母にあたる女性だった。以前、マルリックにより引き合わされそうになったが直前で逃亡を図り、結局は顔を合わせることなく今に至る。


――どうやらその判断は正しかったようだな。


 手に持った銀の杯。

 それを見たエルドガールの貴族たちの顔からは、血の気が引いていた。あれは碌なものではない。他国の出身であるアリアスにも十分なほど伝わった。


「王国の秩序を蔑ろにし、貴族の権威を脅かす伯爵、ライカネル・クラシェイド。

 彼を排除し、この国を浄化する。

 これほどの祝福があるだろうか?」


 ルーカディアスのその言葉に、他の貴族からもライカをなじる言葉が続く。彼女に扇動されたのか、あるいは、元から仕込まれていたのか。それでも、全体の割合で言えば半数には遠く及ばない。


「どうやら皆、君のことを問題に思っているようだ」


 けれど、あたかも大多数の意見のように彼女は告げる。ライカが追い詰められているのがアリアスにもわかった。

 銀色の杯を差し出し、ルーカディアスは笑う。


「今夜は月の綺麗な夜だから」


 絡みつくような声がライカの耳を撫でる。けれど彼女は毅然とした態度で断った。


――飲む方がどうかしている。


 そんなライカを、アリアスは遠くから見つめていた。この場の空気がどれ程ライカを追い詰めようとも、彼女自身が揺らがないだろう。――そう思った。

 しかし、ライカは震える手でその杯を受け取る。


――杯の中に、何か入っている……?


 アリアスは考える。――考えて結論づける。問題なのは中身ではない。そこにある物によって、ライカは杯を受け取ることを余儀なくされたという事実。


――人質、か。


 そのことに気づくと、アリアスは静かにその場を離れた。彼を認識する者は誰もいない。





 ◇





――おそらく、その人質は私と交換するために囚われた。


 広間を抜け出したアリアスは、大勢の貴族や給仕たちとすれ違いながら早足で歩く。


――だが、それとは別に安全策を用意している。

 あの人はエルドガールの有力な貴族の後ろ盾を得ているようだから。


 アドルグ・タキアスがその筆頭だった。アリアスは知るよしもないが、彼は自分の娘をルーカディアスと結婚させるために邪魔な青年を処刑しようと企んでいたこともあった。


――<王国の甲冑>に伝えるのは拙いかもしれない。


 アリアスはいくつかの扉や道を確認し、異常がないことを見届ける。

 彼が回っているのは、地図にない道や隠し部屋だった。

 それらは王宮に滞在している間に勝手にうろつき、見つけたものだった。アリアスが探さなくても、王宮を守る<王国の甲冑>によって、いずれ捜索される場所だ。

 それでも彼が先を急ぐその理由は。


――戦闘になれば人質の存在をちらつかせて長引かせられる。


 ライカにはよくない展開だ。手間取っている間に、銀杯の中身を飲まされる可能性があった。


――ここはどうか……。


 隠れるのは得意だった。

 そんな彼はある日、見つけてしまった。

 王宮の地下を通る忘れ去られた道を。

 今は使われていない貯蔵庫へと繋がっていた。

 アリアスは音もなく踏み込んだ。


「――誰だ」


 本来なら人などいないはずの場所から制止の声がかかる。

 アリアスはぴたりと足を止めた。

 男が二人、剣を抜き、研ぎ澄まされた切先を向ける。まだ年若い青年と、顔に皺が浮かび始めた壮年の男だった。

 アリアスは彼らに驚くこともなく、その場に馴染む言葉を発した。


「あの人が、ここにいろと」


 あの人。

 二人の男は顔を見合わせる。


「そうだ、この方は」

「失礼しました。どうぞこちらに」


 剣を収めると、二人は表情を緩め、アリアスを部屋の中へと誘った。

 使われていない貯蔵庫は埃にまみれ、カビの臭いが鼻をついた。そんな部屋には不釣り合いな少女が一人、横たわっている。


――彼女が。


 アリアスは横目でちらりと彼女を見た。

 すらりと伸びた手足。深緑の長い髪。あまり他人の容姿には興味のない彼にも美人だと思わせる顔立ち。


――どうやって抜け出すかな。


 自分一人ならどうとでもなる。誰にも気づかれずに部屋から抜け出すことなど朝飯前だ。しかし、この少女を連れ立っては不可能だった。


「喉が渇きませんか? 水はこちらです」


 青年がアリアスに案内する。普段なら絶対に飲まなかっただろう。しかし、彼は男が示した水瓶からコップに水を注ぎ、一口飲んだ。


「あなたは大丈夫か?」


 アリアスは青年の方に話しかけた。いつになく気さくな声で。


「ご心配ありがとうございます。では、少し……」


 青年は緊張しているのか、心を鎮めるように水を煽った。もう一人の壮年の男が咎めるような視線を送ったが、青年はそれに気づく様子もなく、ほっとしたように肩の力を抜いた。


「ああ、そうだ」


 アリアスは思い出したかのように言った。


「少し気になることがあったのだ」

「気になることですか?」


 男たちが訝しそうな表情を浮かべる。アリアスは青年ではなく、年上の男を指さした。


「すまないが少しつき合ってくれないか?」

「しかし……」

「あの人に関わることなんだ」


 あの人、とアリアスが口にすると、男たちは目の色を変えた。


「わかりました。

 確かに、見張りの交代が来なくて不審に思っていたところではあります。

 ――ですが、あまり時間はかけられませんよ」

「ああ、わかっている」


 そう言って、アリアスは壮年の男を伴って外へ出た。細い道を抜け、再び王宮の騒めく廊下へと足を踏み入れる。

 遠くで小さくライカの姿が見えた。


――まだ杯の中身は飲んでいないようだ。


 少年は安堵する。初めて共に隠れた存在がまだ生きていることに。

 けれど、まだ対面にはルーカディアスが立っている。


――縄は切った。後は彼女次第だ……。


 廊下からさらに会場へと向かう。

 壁の装飾が、机の配膳が、着飾った人々が、すべての景色がアリアスに味方する。


「アリアス様……?」


 少年は周囲の景色に溶け込み、男は彼の姿を見失った。

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