十月二十五日 〇〇二
株式会社谷本食品店は、小規模スーパーだ。しかしこの村では、唯一のスーパーといえる。値段が木佐呉市のスーパーよりも高いが、大手チェーンのようなスケールメリットがないので仕方がないことかもしれない。しかし、取り扱っている野菜や肉類などは、直哉の農園の他、養鶏場や養豚場の協力で、新鮮で美味しいものが並んでいると思う。
彩花の父親で、社長の谷本さんが皆に労いの声をかけて、打ち上げのバーベキューが始まった。
真帆もいて、自然と俺たちは同じテーブルにつく。
宏君と直哉が、肉を選びに行ったところで菜々美さんが真帆に言う。
「真帆先生、ヒロ、来年から小学一年生なんで、よろしくお願いします」
「あ、そうか! それにしても早いね!」
「本当に!」
二人の会話で、宏君が来年から小学校になるのだとわかった。でも、言われてみればもうすぐ六歳なので、たしかにそうだ。
「今、幼稚園で通ってくれているから、初めてって感じじゃないけどね」
真帆が言い、缶ビールを開けて口をつける。
「教師、どう? 楽しい?」
俺の問いに、彼女は曖昧に頷く。
「うん、まぁ。でも子供の数が少なくて……なんとか継続が決まったけどねぇ」
真帆の言葉に、菜々美さんが頷く。
「せめてヒロが卒業するまでは……て思うのは勝手ですかね?」
「ううん、当然でしょ。親なんだから」
二人の会話を聞いていた時、彩花が俺を見つけて手をふる。
手を振って返すと、菜々美さんが口を開いた。
「彩花さん、可愛いから狙ってる村の男、多いですよ、村上さん」
「……」
「こいつ、意気地ないから取られるだろうね」
「うるせ。お前だって一人のくせに」
「わたしは、彼氏が今は、いないだけ。ずっといないトモとは違うよ」
反論するのが馬鹿らしく、ビールを飲んだ。
直哉と宏君が戻って来た時、彩花も俺たちのテーブルに来た。
「来てくれてありがとうございます」
「賑やかでいいね」
俺が言うと、彼女が笑う。
「お年寄りばかりですけどね」
たしかに、年齢層は高い。
他愛ない会話をして、八時にお開きとなり片付けを手伝う。そして、帰ろうと思いつつ、意気地なしと言われたことへの反感と、酔いのせいで彩花に声をかけた。
「よかったら、少し飲まない? 明日は仕事?」
「え? いえ、明日はお休みとっているんで……じゃ、テーブル、これだけ残しておきます」
直哉や真帆は、俺を見てニヤついた顔で帰って行った。
中指をたてて二人を笑わせ、サワーの缶を彩花から受け取る。
二人で、レモンサワーの缶を開けて口をつけた。
「お、まだ飲んでるか? わしは先にあがるぞ」
谷本社長が声をかけてきたので、立ち上がって挨拶をする。
「あ、すみません。せっかくなんで、もう少し頂きます」
「お父さん、村上さん。工場の上司」
「あ、こりゃ失礼しました。どうも」
「あ、いえ、上司ではないです。部署も違うんです」
谷本社長がペコペコとして、俺もペコペコとするので、彩花が笑う。
「村上さんと言えば、何軒かありますが、どちらです?」
「えっと、神社の裏手の一番、奥と言えばわかりやすいですかね?」
「ああ! 村上幸則さんところ! 幸則さんところのトモ君!」
「そうです、そうです」
「大きくなって! 東京から戻ってきたの?」
「ええ、異動で」
改めて、村の狭さを感じてしまう。
俺は子供のころ、母親に連れられてこの食品店で買い物をしていたが、まさか向こうが俺のことを覚えているとは思わなかった。
谷本社長が、大げさに頭をさげる。
「いやぁ、驚いた……彩花は大したことできませんが、よろしくお願いします」
丁寧な対応をされて、慌てて頭を下げた。
「とんでもありません」
谷本社長が去った後、彩花はお店の駐車場を照らす照明を消灯させた。そして、俺たちのテーブルに近い照明だけを残す。
「先輩は、どうしてこっちに異動になったんですか? ふつう、東京に残りたくないですか?」
彩花の質問に、俺は困った。
希望したわけじゃなく、人事に仕方なく従っただけなんだけど……。
「製造現場を見て来いと、言われたんだよね」
「へぇ……じゃ、また東京に戻るんですか?」
「それは、わからないけど」
期待はしているし、願っているけど……。
それにしても、どうきっかけを作ればいいんだ? このまま、チビチビと酒を飲みながら、どうでもいい会話を続けるのか?
勇気を出して、食事か映画か買い物か、何かに誘う?
それしかない。
「あのさ、今度二人で遊びに行かない?」
「いいですよ。でもせっかくなら、木佐呉とかじゃなくて、都内に出ませんか? 案内してください」
あっさり過ぎて、拍子抜けした。
「いいけど、新幹線で朝から?」
「はい。朝から」
彼女は笑顔……少し嬉しそうな笑顔で俺を見た。
勇気を出してよかったと思うも、幸せな気持ちがすぐにしぼむ。
「あ……」
彩花が、俺の背後を見て、口を開く。
肩越しに後ろを見ると、食品店の前の道路を、白い恰好をした男女が歩いている。
一人が、俺たちを見た。
小林だ……そういえば、他の四人も見たことがある……あの夜の神社だ。
小林と目があったので、会釈をした。すると、五人が立ち止まる。そして、小林が俺たちに一歩、進み出て口を開いた。
「今日は、よけいなことを申しました」
なんだ……わかっているんじゃないか。
「ですが、あなた達が子供に言わないから私がその役をかったのです。本来、自分では判断できない子供に注意すべきあなた達が責任を果たさない。そんなことでは未来は許してくれませんよ。犬猫ですら、一度教えれば従うのです。しつけをしてください」
俺が立ち上がった時、彩花に手を握られた。
行くな、相手にするな、という意味だろう。
それでも、一言、言い返したい気持ちが強かった。
「それを、よけいなことだと、思わないのか?」
俺の問いに、小林は頷く。
「ええ、よけいなことです。しかし、必要なことです。我々は必要なことをします」
「君たちが必要と信じることも、他人の価値観では不要となる場合もあるから」
「そういう場合は、その人が愚かなので正さねばなりません。教えなければなりません。それでも直らないのであれば、残念ながら、未来には選ばれないでしょう」
俺は反論する気になれず、「気分悪いから離れろ」とだけ伝えた。
「小林様、参りましょう」
「遅れてしまいます」
「彼らはまだ、理解できないのです」
「いずれ、彼らのほうから縋ってきますよ」
ムカついたので、睨みつけた。
すると、小林の隣にいた男と目が合い、そいつが俺へと突進してくる。
「やめなさい」
小林の声。
しかし男は止まらない。
慌てて立ち上がると、男は俺の目の前で止まった。
その男は……これまで無表情だったはずの顔を、不気味なほど怒りに歪ませていた。
「クソが……てめぇごときが小林様にガンとばしやがって、おい……コラ」
俺にだけ聞こえる声量で、俺を見下すように顎を逸らして、その男が呟いた。
ムカついて、拳を握った時だった。
「近藤、やめなさい」
再び、小林の制止。
男はピタっと口を閉じ、すっと表情を消す。そして、俺を舐めるように見て、背を向けた。
彼らは、同じ歩幅、同じ速度で、夜の道をどこかに向かって行く。
俺はドッと疲れて、椅子に座った。
「大丈夫……ですか?」
彩花の気遣いに、曖昧な笑みを返す。
「酔ったせいで、あんなのを相手しちゃったよ。ごめん。帰るよ」
「いえ……おやすみなさい。あ……お出かけ、絶対ですよ」
「ああ」
俺は、空き缶を持ったまま、彩花に会釈をして食品店から家へと帰る。
途中、空き缶を握りつぶした。
-・-・-・-・-
家の近くまで帰ってきた時、神社の前で白い恰好をした女性二人が、境内広場へと続く階段をのぼっていくのが見えた。
もしかして、小林たちもそこに? と思い、気になる。
さきほどの、ムカつきも、俺の動機になった。
神社の境内には、正面からではなく、裏からも入ることができる。あの神社の裏にそびえる山には、昔に使われていたと思われる山道がある。人ひとりが歩くことができる道だが、その山道の手前にも鳥居があり、そこから先へは入るなと大人たちに言われて育った。
その鳥居の手前に、神社の裏手に続く分かれ道がある。
俺は少し緊張した足取りで、見つからないように神社を迂回し、裏の鳥居まで歩いた。スマートフォンで地面を照らそうかと思ったが、ばれるのでやめた。
しばらく暗がりに立ち、目を慣れさせてから、歩く。
月が明るく、助かった。
こんな時でなければ、見惚れるほどの星空の下で、分かれ道を選び、神社の裏手に入る。
本殿の裏に到着し、様子をうかがいながら境内広場の方向を見ると、声が出そうになった。
……何人、いるんだ?
ちょっと……待て。
多すぎないか?
直哉が言ってたこと、反対派が大げさに言っているだけと思っていたけど、これはさすがに多くないか?
十人、二十人って数じゃない。
何人、いるんだ?
何人、いるんだよ……。
ザクザクザクという、足音が聞こえてきたので、俺は本殿から少し離れて、灯籠の影に隠れた。すると、山道のほうから境内へと、二人の男が入って来た。
危なかった。
もう、あの道までこいつらは知って……いや、ちがう。新参者じゃない。
村で見た顔の、二人。
もともと村にいた人間だ……村の人たちの中にも、教団に加わる人たちがいる……。
「班目様はお優しいからなぁ」
「小林様の仰るように、早く手を打たないと間に合わなくなるぞ」
彼らの会話が、聞こえてきた。
二人が本殿の影に消え、皆が集まる方へと歩いて行った後、俺は再び、本殿の影から彼らを盗み見る。
「小林様……班目様はまだご決心くださいませんか!?」
誰かが、大きな声を出した。
それは、我慢できないという類のものだ。
「出家希望の方々全員を、迎え入れる準備がこの村はまだできておりません。我慢です。それよりも、お静かに。未来の目の前にいるのですから」
小林の、よく通る……感情が込められていない声が聞こえた。
それから、しばらくその集会を観察したが、以降は声が俺のところまで届くことはなかった。しかし、雰囲気というか、なんというか……あの教団の中で、班目のやり方に不満を持つ人たちがいて、小林が彼らを抑えているのだというように見えた。
皆が、小林に何かを訴える。
それを小林が、諭す。
話の内容は、わからない。
あまり、ここにいてもしょうがないと思い、来た道から山道へと戻る。そして、神社を迂回する道を歩きながら、我慢できず煙草をくわえた。
ジッポライターで火をつけ、いつもよりスパスパと煙を吸い、吐き出す。
家まで、やけに遠く感じる。
家の灯りが見えてきた。
「村上さん」
ぎょっとして立ち止まり、振り返る。
小林と、複数の男女……。
こいつは……どうして俺の名前を知って?
「さきほどはどうも。今、お帰りですか?」
「……ええ」
立ち去ろうとする俺の背に、小林の声が届く。
「夜道は気をつけてください。川に落ちても、誰も見つけてくれませんからね」
俺は平静を装い、家へと歩く速度を少し速めた。
そして、ズボンのポケットから鍵を取り出そうとして、地面に落とし、慌てて拾い、鍵を開ける。
もうすぐ、十一月だというのに、汗でびっしょりだ。
「おう、おかえ……お前、どうした?」
キッチンから顔をのぞかせた親父が、目を丸くする。
「え?」
「ひどい顔、してるぞ。飲み過ぎたか?」
「いや……風呂、入る」
「おお、沸いてるから」
俺は、脱衣所で服を乱暴に脱ぎ捨て、風呂場に入る。そして、シャワーを頭から浴びながら、鏡に映る自分の顔を見た。
唇が、真っ青になっていた。




