十一月十五日
十一月十五日、土曜日。
四月から天露村に戻ってから、七カ月ぶりに都内にいた。新幹線で約一時間半の移動で東京駅かと思うと、実際の距離はそう離れていないように感じる。
新幹線のチケットは、俺が誘ったから俺が買った。払うと言い張る彼女に断り続けると、珍しく真面目な顔で「ありがとうございます。助かります」と言われて、普段のニコニコとのギャップで萌えた……。
彩花にどこに行きたいかを事前に聞いていたのだけど、SHIBUYA SKYは予約が取れなかったので諦めるしかない。
代わりに、チームラボプラネッツに行きたいというので、銀座まで歩き、有楽町線を使った。
「ここ、来たかったんですよ! 来たことなかったんですか?」
「あるのは知ってたけど、男ひとりじゃあね」
「じゃ、わたしと来れて良かったですね!」
たしかに、それは間違いない。
何がそんなにすごいのか、俺はよくわからなかったが実際に入ってみて、理解できた。
光や水の中を歩く体験は幻想的で、アートの世界に入り込んでいるという感覚になるし、自分がその世界の人物であるかのように思えた。
動画や写真を撮りまくる彩花の隣で、第一候補の場所だったらもっと喜んでくれたのかもしれないという気持ちが芽生える。
「次は、渋谷のチケット、とっておくよ」
「本当ですか!? 他の女の子と行かないでくださいよ!」
そういう男に、見えるんだろうか?
それから豊洲市場まで歩いて移動し、せっかくなのでランチは鮨にした。運よく、有名店の行列が短かったので、二十分ほどで席につくことができた。
村では、鮨を食べようにも店がなく、隣の木佐呉市のショッピングモールまで行かないといけない。
都内に住んでいた頃に感じなかった不便……不便とまではいかないかもしれないけれど、選択肢が非常に限られる村という環境を、改めて意識せざるをえない。
そんなことを、こんな時に思い出した俺は、やっぱり早く、東京支社に戻りたいんだろう。
「どうしました?」
顔をのぞきこまれ、誤魔化すように笑おうとして、彩花に見惚れた。
「な……なんです?」
「いや、なんでもない」
女性の、上目遣いと唇の両端をクイっとするあの表情は反則だろうと思う。
ランチを終えて、渋谷へと移動する電車の中で、すぐ隣の男性二人が新首相のことを話しているのが聞こえてきた。
それで、彩花が思い出したように、俺に尋ねる。
「村議会の選挙、先輩は反対派ですよね?」
「選挙、あるの?」
「ダメな大人ぁ」
彼女の笑顔は可愛く、つられて笑った。
新橋で、ゆりかもめから銀座線に乗り換える道中、村議会選挙のことを彼女が教えてくれる。定数は七名で、任期満了を迎えるので、その選挙だという。
「初めての人、けっこう立候補していて、賛成派と反対派でバチバチなんですよ」
説明が不十分だけど、内容は十分に理解できた。
「初めての人、どんな人たちなの?」
「わたしも、あまり詳しくはないんですよね」
「なんだ」
笑うと、彼女も笑う。
それから銀座線に乗り、渋谷駅で降りた。現在の渋谷駅は大改装中で、全く便利じゃない。乗換は大変だし、地下鉄、JR線、東急線の導線は無茶苦茶だ。それでも、彩花はそういうことも含めて、楽しいようでニコニコとしていた。
ハチ公もスクランブル交差点も、旅行者が多くて混雑していたが、彼女はせっかくなのでと、写真を撮っていた。
「インスタにあげるの?」
「はい。しないんですか?」
「投稿はしないね……青だ」
交差点を渡っていると、向こうから真っ白の恰好をした男がこちらへと歩いて来ていた。
ギョっとして、二人で立ち止まる。しかし、その男は単にそういうファッションだと、ネックレスや派手な腕時計、黒い靴でわかった。
「なに? 何を見てんの?」
俺たちがじっと見るものだから、その男がからんできてしまった……。
「すみません。知り合いに似てたんで」
俺が謝ると、彼は「は?」と言い、すれ違いながら「こんなイケメン、他にいるわけねぇだろ」と言って離れた。
交差点の信号が点滅し始めたので、慌てて駆けだす。
自然と、彩花の手を掴んで引いていた。
交差点をわたった後も、図々しく手を握ったままにしたけど、抗議はないのでラッキーだと一人で喜ぶ。
「さっきの、あの人、びっくりしましたね?」
「びっくりしたぁ……」
「でも、本当にあんなファッションの人、いるんですね? SNSでしか見たことないです」
「村に、いっぱいいるじゃん」
「やめてくださいよ!」
彼女はそう言って笑い、俺も一緒に笑う。
それから二人でMIYASHITA PARKを楽しみ、東京駅に向かう。
「先輩、よく調べなくても電車、わかりますね?」
「慣れたから」
「何線のどこ行きとか、もう混乱ですよ。一人だったら、グーグル頼みです」
「彩花は、チャッピーじゃないの?」
「……」
……名前で、呼んでしまったと気づいた直後、彼女が微笑む。
「マップはグーグルですね」
半蔵門線を大手町で降りて、東京駅まで歩く道中で、彼女が口を開く。
「先輩」
「ん?」
「……わたしたち、付き合ってるんですかね?」
「……だめ?」
「ふふふふ……どうしようかなぁ?」
迷うようなことを言った彼女だったが、嬉しそうに笑っている。
彩花が、握る手に少し力をこめた。
-・-・-・-・-
夜、彩花を自宅に送り届け、帰宅する車中、我慢していた煙草に火をつける。
彼女と一緒にいる時に、ちょくちょくと喫煙タイムをお願いしていたのだが、その度に彼女を待たせていた。一方で、俺はそれでも普段より、喫煙を我慢している。
それに、東京支社にいた時、禁煙外来に通うよう上司から勧められていた。
「将来、今よりも評価に差が出るぞ」
こんなことを言われた。
先輩の田中さんも禁煙外来に通って、禁煙に成功したと言っていた。
禁煙、しようかな……。
谷本食品店がある大通りから、居酒屋がある場所で右折する。それから、川に沿って北へ向かう狭い道に入ったので、車の速度を落とした。
違和感。
いや、なんだろう? 普段よりも、運転しやすい?
そうか。
役立たずだった外灯が、今は全てちゃんと点灯しているのだ。
そこで、あることに気づく。
以前は、真っ暗だった家に、明かりが点いていた。
勝手橋の奥に建っていた、空き家。
ゆっくりと前を通り過ぎた時、ちょうどその家の玄関が開いた。
真っ白な男と女が、出てきたところだ。
驚きと動揺で、思わずブレーキを踏んだ。
急停止した俺の車を見て、二人が近づいてくる。
窓ガラスをコンコンと叩かれ、ウィンドウを開いた。
「どうしました?」
尋ねられ、誤魔化すように笑みを見せた。
「すみません。煙草、シートの下に落としちゃって。大丈夫です」
俺は、手に持っていた煙草を拾ったことにして誤魔化した。
「ああ、よかったですね」
「驚かせて、すみません」
「いえいえ」
男女二人は、にこやかに俺を見ている。
しかし、その目は笑っていない。
なんとも言えない不気味さだが、俺は笑みを作って頭を下げ、アクセルをゆっくりと踏む。
バックミラーには、俺を見送る白い男女がしばらく、映っていた。
-・-・-・-・-
家に入ると、ダイニングテーブルで親父が図面とにらめっこをしていた。
「おう、お帰り」
「ただいま……」
冷蔵庫を開けて、缶ビールを取り出すと、「俺にも」と声をかけられ、親父の分も手にダイニングテーブルに座る。
「はい」
手渡し、親父が見ていた図面をのぞくと、家のリフォームに関してだった。
「仕事?」
「ああ、忙しくてな、最近。いいのか、悪いのか」
「忙しいなら、いいんじゃないの?」
親父はビールを飲み、少し考えてから口を開く。
「仕事になって、いいと思う反面、村のもんとしては、どうかな?」
その言い方で、ピンときた。
「リフォームって、もしかして教団関係か?」
「そう……いや、村からの仕事なんだが、入居者は教団関係者だ。空き家をな、村が購入して、リフォームして教団に貸す……そのリフォームをうちの会社が請けてな」
「……いい話だけど、たしかに微妙だな」
俺の言い方に、親父が少し表情を変えた。
「なんだ? お前も反対派に傾いてきたか?」
「……そういう親父は?」
「……ちょっと、多いなと思い始めた。最初は、もう住んでいるし共存努力をお互いにすればいいと思ってたけどなぁ」
共存努力。
俺は、直感でそれは無理だろうと思っている自分に気づいている。
なぜか。
あの神社の、夜の集会を見たからだ。
俺は缶ビールを飲みながら椅子に腰かけ、親父の前に広がる図面を見ながら口を開く。
「実は……ちょっと、怖い」
「……あの人たちがか?」
「そう」
「……たしかに真っ白だけどな」
「ちがう」
何と説明しようかと迷ったが、起きたことをそのまま話そうと思った。
「少し前……祭りがあった日にからまれてさ」
「からまれた?」
俺は、あの祭りの日での出来事を親父に話した。
昼間、小林という信者が、子供がすることへ正論をぶつけることで、俺たちを不愉快にさせたこと。
そして、彩花と一緒にいる時に、その小林はまた余計なおせっかいを働き、それを批判すると彼の部下と思われる男が、俺たちに高圧的な態度をとったこと。
「それに、あいつら、夜、神社に集まっている」
「神社? そこの天露神社?」
「そう。俺は二回、見た」
「偶然じゃないのか?」
「……一人、二人じゃない」
俺はビールを飲み、続けた。
「十人……どころじゃない。祭りの夜、もっと大勢……数えきれなかった」
「……」
親父は腕をくむと、うーんと唸った。
そして、缶ビールを飲み、口を開く。
「お前、それを誰かに言ったか?」
「いや……言っていない……というのも、俺がそれを誰かに話して、あいつらの耳に入ったら、何かされそうな雰囲気を感じる」
俺は、楽しかった彩花との時間が嘘のように、重い気持ちとなって言葉を発していた。
本当は、忘れようと思っていたことだ。
あの夜の、薄気味悪さ、恐れ、不安、そういうものは忘れようと思っていた。
どうしてか。
俺は、この村にずっと住むつもりがないからだ。
親父は、缶ビールを飲み干して、缶を握りつぶす。
「高木には、話しておかないとな」
親父が言う、高木さんとは、村にひとつだけのガソリンスタンドの社長で、親父の同級生だ。しかし、それ以上に、この話にふさわしい理由がある。
それは、彼が氏子総代で、村議会の議員だからだ。そして、教団の受け入れに反対の立場をとっているからでもある。
「大丈夫かな? よけいに揉めることにならなかったらいいけど」
「……もう十分に、あいつは揉めてるからな」
親父はそこで、図面を閉じながら言う。
「それに、その神社でのこと、話さないわけにはいかんだろ……村の人たちに」
「……そうか。いや、そうだな」
「お前が気味悪いと思うってことは、当然、村の人たちも、同じことを感じる」
親父はそこで席を立ち、缶ビールをキッチンのゴミ箱へと捨てる。そして、冷蔵庫を開けて、二本目を手に戻ってきた。
「お前は、東京支社に戻りたがって……ここにはずっとはいないだろ?」
「……」
親父の言葉は、責めているようにも聞こえて顔を見ることができなかった。
「お前とは違って、俺や村の皆は、この村で生きてるんだ」
親父は言い、缶ビールを一気に飲み干した。
俺は、何も言い返せず、手の缶ビールを見つめていた。




