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第二十五話

 高木さんの家が、見えて来た。


 走る俺は、ガレージからタイヤを担いだ親父が、神社の裏手に通じる道へと進む姿を見つけた。


「親父!」

「!」


 親父が振り返り、タイヤを担いだまま俺を見ていたが、俺が近づく前に、走り出した。


「おい! ありゃ何だ!?」


 走る親父は、おそらく俺を追う化け物を見たに違いない。


 俺は親父に並び、走りながらしゃべった。


「教祖だ!」

「教祖!?」

「説明、時間ない! 車、直してくれ」

「表の道、危ないから、裏山、抜けて移動」


 走りながら会話をして、天露山へと入る山道の手前まで来た。親父は、ここから先は入るなと言われている鳥居の向こうを指さす。


「この先、家に行ける。ついてこい」

「いや、俺は神社に裏口から戻る。あいつを引き付ける」

「大丈夫か?」

「境内広場なら、やりすごせる。神社の、正面まで車で来て、クラクションを鳴らしてくれ。それを合図に行く」


 後ろを見ると、教祖が追いかけてきていた。


 あいつ、俺を目の敵にして……。


 親父と別れて、境内広場へと戻った時、小林宗一郎はいなかった。


 円陣の中に、ずらりと並ぶ人たち。


 本殿の床下から、白い猫が出てきた。


 こんな時に。


 走る俺の横に並んだが、相手をする余裕などない。ところが、猫はどういうわけか、跳躍すると俺の胸に飛びついてきた。


 振り落とすわけにもいかず、両手で抱える。


 猫は、俺の肩に前足を置いて、後ろを見てシャーと威嚇していた。


 振り返ると、化け物が距離をつめてきていた。


 速度……あがってないか?


 いや、俺が落ちているのか?


 走りっぱなしで、さっき少ししか休めなかったから……。


 南の方角を見ると、真っ暗な空に、幾本もの赤いひび割れが入っていた。


 なんだ?


 赤い円から、空そのものを割るような亀裂が四方へ走っている。


 俺は、小林の言葉を思い出した。


 ミライはもう、この世におわす。


 それが、これ?


 村がどうこうじゃない?


 もしかして、警察がまだ来ないのも、携帯電話がつながらないのも、儀式が終わって、ミライが現れたからこの村が外部から切り離されたのか?


「シャー!」


 猫の威嚇で、俺は落ちていた速度をあげる。


 直後、背後を風が切った。


 危ない!


 追いつかれそうだった。


 化け物が、腕を振るったのだと背筋が凍る。


 懸命に走り、距離を離したが、肺はもう限界だ。脚も重く、猫一匹でも重みで腕がだるい。


 降ろすかと思うも、俺を頼るように身体を預ける白猫を、放り捨てるような真似はできない。


 早く……。


 ドクン、と自分のものではない鼓動を、感じた。


 俺は、何かに見られていると思った。


 背後を、肩越しに見る。


 化け物が、不気味な動きで追って来ていた。


 違う。


 なんだ?


 何かが、俺を見ている。


 何だ?


 頭上だ。


 上から、何かが俺を見ている。


 真上……。


 白猫が、毛を逆立てて威嚇を始めた。それでも、俺の腕から逃げようとしない。猫は、頭上を見上げて、二度、空中を引っかいた。


 頭上から、何かが裂かれたような音が聞こえてきた。


 そして、気配が少し遠ざかったように思う。


 よかった……。


 気が抜けそうになったが、どすんどすんという足音が、すぐ後ろで聞こえてきた。


 まずい!


 もう、すぐそこまで来て!


 殺されるくらいなら!


 一瞬の判断で、地面に転がって円陣の中に飛び込んだ。


 目を強くつぶり、身構える。


 何も、起きない。


 静かだ。


 目を開きながら、立ち上がる。


 え?


 倒れた人たちで作られた円陣の内側に立つと、外の光景が消えていた。


 空も、本殿も、化け物も、何もない。


 ただ、黒く塗りつぶされた世界。


 俺の腕の中で、猫が身じろぎする。


 中心の、赤い円がとても魅力的に感じた。


 あの中に入れば、助かる。


 楽になりたい。


 もう、足を動かすのも大変だ。


 もう、疲れたよ。


 俺ばっかり、なんでこんなしんどい目に。


 早く、楽になろう。


 猫を、降ろさないと。


 こいつがいたら、入れないような気がするんだ。


 俺が、猫を手放そうとした時、猫はどうしてか俺にしがみついた。


 なんだろう?


 邪魔しないでくれ。


 無理やりに、引きはがそうとした瞬間、猫が、俺の腕に爪を立てた。


「いて!」


 直後、見えていた景色が一変する。


 円陣の内側で、俺の足元で猫が俺を見上げている。そして、外では化け物が、俺を捕まえようと腕を振り回していた。


 俺は、あと数歩で赤い円に入るところで止まっている。


 慌てて距離をとり、猫を抱きあげる。


 クラクションが聞こえた。


 クラクションだ……親父!


 問題は、円陣の外側に出て大丈夫か?


 一度、本殿の方へと移動する動きで、化け物を釣り寄せて、一気に南側へと走った。


 円陣の外に出る瞬間、俺は抱いていたはずの猫が消えたことに驚く。


「え!?」


 声に出たが、追って来る化け物を見て速度をあげる。


 不思議と、手足は動かせた。


 全速で階段を駆け下りると、親父が車の助手席を開けてくれた。


「早く!」


 助手席に飛び乗り、親父が車のアクセルを踏む。


「大丈夫か?」


 車の中で、親父の問いに頷く。


「ああ……白い猫に、助けられた」

「白猫? ああ……お前、見えるのか?」

「……は?」

「母さんと、一緒だな。俺は、見えなかったほうだ」


 親父は、不思議なことを言い、さらに速度をあげた。




 -・-・-・-・-




 運が良いことに、親父は連休前にガソリンを満タンにしてくれていたので、給油で悩む必要がなかった。


 親父が車を、食品店の裏口につけ、俺が降りる。


 裏口の鍵を開けて、中に入った。


 濃い、血の臭い。


 え?


 異変の原因は、店の表側にあった。


 シャッターが破壊されていて、自動ドアの厚いガラスが割られていた。そして、店内には、信者たちの死体が転がっている。


 あの化け物が、破壊した?


 急いで倉庫へと移動し、後ろの親父に声をかけた。


「村中、やばいことになってる」

「早く離れよう」


 俺は、軽トラの運転手が教えてくれたことを思い出した。


「道、教団に塞がれているらしい」

「本当か?」

「ああ。聞いた話だけど」


 倉庫から、家の裏口へと入る。


 キッチンとダイニングは無人で、雨戸が壊されて窓ガラスが割られていた。


 まずい……。


 彩花……。


 お母さん。


 一階の奥、お風呂場を覗くも誰もいない。


 二階……にあがる階段には、大きなソファやテーブルが積み重なっていて、通れなくなっていた。


「村上です」


 上に隠れていると信じて、声をかけた。


「村上さん? よかった」


 奥から、お母さんの声。


 よかった!


 親父と協力して、ソファやテーブルをどかす。そして、人が通れるだけのスペースを作ると、ゴルフのアイアンを構えたお母さんと目があう。


「襲われたんですね?」


 お母さんは、アイアンを手から落として、涙を流し始めた。


「奥に彩花が」


 親父がアイアンを拾い、下を見張りながらお母さんに声をかける。


「もう大丈夫。よく頑張りましたね。これ、一人で?」

「お店のほうがうるさくなったから、念のために二階に逃げて、家具を落として塞いだんです。それに、相手が仲間割れしてくれて運がよかった」

「仲間割れ?」


 お母さんは、声を震わせながら答えた。


「ええ、信者たちが下まで来たんですけど、化け物が現れて、信者たちを追い払ったんです」


 ……よかったと安堵したが、今の話はとても重要だ。


 俺は、直哉の家からさっきまでずっと、あの化け物に追いかけられていた。


 お母さんが、ここで体験したこと……俺が、体験したこと。


 化け物は、一体じゃない?


 いや、どうして一体だと決めつけていた?


 小林は、ミライを見れば黄泉返ると言っていたじゃないか。


 あんなのが、たくさんいたら……。


 勘弁してくれ。


 階段をあがり、お母さんが示す部屋のドアを開ける。


 エアコンで冷やされた室内で、彩花が横になっていた。濡らしたタオルと保冷剤を首元に当てた彼女は、俺を見て微笑む。


 よかった。


 回復してきているようだ。


「おかえりなさい」


 彩花の声。


「ただいま。お待たせ。行こう」


 俺が彩花に手を貸すと、彼女はなんとか立つことができた。


 親父が前を歩き、俺が彩花を支えて階段を降りる。そして、お母さんが最後尾を歩いた。


 ダイニングに入り、何もいないことを確認してキッチンから倉庫に出る。


 そして、お店のバックスペースを通り、裏口から外に出た。


 直哉たちは、無事だろうか?


 彩花を後部座席に乗せて、お母さんが続く。


 親父の運転で、村の南に向かって走る。木佐呉のほうへの道が封鎖されているのなら、こちらの道も怪しいが、試してみるしかない。


 しかし、すぐにダメだとわかった。


 南へと抜ける道は、渋滞で止まっていた。しかも、車は全て乗り捨てられていて、動かすことができない。


 俺は、渋滞の先頭がどうなっているのかを見ようと思い、少し歩くと、すぐに見えてきた。


 輝く未来の会と書かれた、送迎バスが横倒しになり、道を塞いでいた。


「親父、どうせ車を乗り捨てるなら、木佐呉方向がいいと思う」

「わかった」


 再び車に乗り、転回する場所もなく、親父はミラーを確認しながら車を後退させた。


 お寺の墓地が近く、頭上が赤い。その不気味な光景に、彩花が目をキュっと閉じるのをバックミラー越しに見た。


「大丈夫?」


 俺の問いに、彼女は目を閉じたまま頷く。


「頭が、痛いです」


 彼女は言い、お母さんが心配そうに娘の髪を撫でた。


 村の中心地へと戻ってきた時、大勢の人たちが公民館のほうから、橋の交差点まで走って逃げてきている様子が見える。


 嫌な予感しかない。


 真っ暗な空は、家々が燃えた煤を降らしていた。


 親父が、橋のところで左に曲がる。


 木佐呉市へと通じる、県道の方向だ。


 駄目だ!


「親父!」


 親父は、すぐにバックを入れ、忙しくハンドルをきった。


 公民館から県道へ逃げていた人々の前に、県道側から化け物が現れたのだ。


 一人、投げ飛ばされ車のフロントガラスにぶつかる。


「うわああ!」


 フロントガラスにはりついたように覆いかぶさる死体で視界を塞がれ、親父もさすがに焦ってハンドル操作を誤り、車の後部を橋の欄干にぶつけた。


 ガン! という衝撃の後、衝撃で親父の足がアクセルを踏み込んだ。車は跳ね返るように進み、反対側の欄干へ正面から突っ込んだ。その勢いでボンネットに乗っていた死体が川に落ちたが、フロントガラスはひび割れ、車はエンジンから煙をあげて動かなくなった。


 悲鳴。


 絶叫。


 怒声。


 化け物の咆哮。


 しぼみかけたエアバッグを押しのけて、外へと出る。そして、後部座席を開けた。


 お母さんは怯えながらも、懸命に外へと這い出た。


 俺は、後部座席で目を閉じた彩花に声をかける。


「出るよ」

「……はい」


 彼女を引き寄せて、抱きかかえた。


 親父が運転席から出て来たが、胸を抑えて苦しそうだ。あばらをやったかもしれない。


 最悪だ。


 疲労で、足は限界。


 腕も、力が入らない。


 それでも、逃げるしかない。


 クラクションの音。


「おい! トモ!」


 軽トラの運転席から、直哉が顔を覗かせていた。その助手席には、宏君がいた。


 荷台には、菜々美さんと真帆がいる。


 直哉が、軽トラを停めた。俺は彩花を荷台に乗せようとしたが、腕に力が入らない。だけど、親父が手伝ってくれて、菜々美さんと真帆も上から引っ張ってくれて、なんとか乗せることができた。


 お母さんを乗せ、親父が乗る。


 そして、俺も。


 荷台は人でいっぱいになり、お互いにお互いを支えあうようにしっかりと肩を組む。その中心に、彩花を座らせた。


 俺は、運転席へと叫ぶ。


「北も南もダメ」


 直哉は、北へとハンドルをきった。


「軽トラなら、天露山の山道にもなんとか入れる。行けるところまで行って、山を越えよう!」

「化け物がいる!」

「その時は、俺とお前でなんとかする!」


 直哉は軽トラのギアを操り、グンと加速させた。


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