第二十四話
露田家は、母屋が燃えていて、その炎は周囲に広がっているようだった。
俺はバッグからハンドタオルを出し、ペットボトルの水で濡らした。それで口と鼻をおおい、玄関から中へと入る。
「直哉! 菜々美さん!」
叫ぶも、返事がない。
庭を走り、離れや倉と母屋を繋げる通路に出る。そこで、奥の神社の分社に、直哉たちがいるのが見えた。
「直哉!」
「トモか!」
直哉は、分社の井戸で水を汲み、菜々美さんが母屋の屋根へと水をかけていた。
宏君が俺へと走ってきて、抱きとめる。
菜々美さんと、直哉は二人で懸命に消火しようとしていたが、俺から見てそれは無謀に映る。
「ダメだ、早く逃げろ。消せやしないぞ」
「俺ん家だ、ここは!」
「消防も警察も、電話がつながらなくて!」
菜々美さんの悲痛な叫びに、俺は頷きを返す。
「親父が、深夜に電話をした時、警察に繋がった。だけど、さっきから固定電話もダメだ」
「深夜?」
俺は深夜から、ここにいたるまでを手短に話しながら、宏君の涙をハンドタオルでぬぐった。
「俺んところにも、白いのが来て……火をつけやがった」
「そいつは?」
「ぶっ飛ばした。畑でのびてる」
直哉らしいと思うも、笑う余裕などない。
「直哉、車は?」
「ダメ。タイヤをやられた」
同じか……。
「親父が、車を直している。けど、七人も無理だ」
そこで、菜々美さんが口を開く。
「軽トラ……畑作業の時の軽トラは?」
「ある」
直哉が頷き、俺を見た。
「俺たちは俺たちでなんとかする」
「わかった」
この時、庭のほうから声が聞こえてきた。
「直哉!? 大丈夫!? もう逃げた!? 村がおかしいのよ!」
真帆の声。
近所だから、火事に気付いて見に来たようだ。
俺たちが声をかえようとした時、彼女が悲鳴をあげた。
「きゃぁああああああ!」
俺は宏君を直哉に押し付けるようにして駆け出し、庭へと飛び出す。
真帆が、尻餅をついた状態でそれを見ていた。
食品店の駐車場で見た、あれが敷地の外に立っていて、こちらを見ている。
俺は考えるより先に、水のペットボトルを投げていた。
化け物の胸に、ペットボトルがぶつかる。
「真帆!」
叫び、走った。
座りこんだ真帆へと近づき、無理やりに立たせようとする。
化け物は、穴のような目で俺を捉えた。その奥には、黒い何かがぬるりとしていた。
焦りで、口調が強くなる。
「立て!」
「だめ……ああああああししが」
真帆は、涙を流しながら俺にしがみついて来た。
それとの距離は、十メートルほど。
化け物が、がくんと腰を落としたと思うと、俺たちとは膝を逆に曲げて、こちらへと歩いてきた。
不気味な動きに、真帆が「ひぃ」と声を漏らす。
彼女の両脇に腕を通して、懸命にひきずった。
直哉が、加わる。
二人で彼女を支えて、懸命に走った。
あれが、向かってくるのが気配でわかる。
菜々美さんが、分社の社へと宏君を連れて隠れたのが見えた。
「真帆! しっかり歩け!」
「あああしが! 動かないの!」
直哉と真帆が怒鳴りあい、分社の方へともつれあいながら転がる。
俺は、化け物の注意をそらそうと、バケツを拾って投げつけた。
そして、四人から離れるように走る。
振り返ると、化け物が俺を追ってきた。
こうでもしないと、四人が危なかった!
だけど、俺は逃げきれるか!?
このまま、親父と合流するのはまずい!
どこかで撒かないと!
全力で畦道を走り、道路へと出る。白装束がいたが、化け物に追われていてそれどころではなかった。
白装束が、俺を捕まえようとしてくるも、ぶつかるように体当たりをした。
ガツンという衝撃。
地面に倒れ、転がりながら立ち上がった時、倒れた白装束が化け物に捕まる。
化け物は、白装束の首を掴むと握りつぶした。
俺は無我夢中で足を動かす。
逃げろ。
逃げろ!
まずい!
あれに捕まったらダメだ!
神社はまだ先。
前方に、白装束の集団が見えた。
さすがにまずい。
空き家だったはずの家の敷地へと入り、後ろを振り返りながら走る。
信者たちが、俺を追って来たが、その集団に化け物が突っ込むのを見た。
化け物は、ちぐはぐな動きで腕をふるって、信者たちをなぎ倒す。そして、倒れた男を掴み上げると、頭部へと拳を振るう。
血が爆発したような光景に目を背け、他人の敷地を走り、ブロック塀をよじ登り、また畑へと出る。
茄子や胡瓜が成る畑の中を、身を屈めて進んだ。
方向……どっちだ?
逃げるのに夢中で、どっちに行けばいいかわからなくなっていた。
空は、やはりまだ真っ暗だ。
スマートフォンを見る。
午前七時半過ぎ。
あの咆哮が、後方から聞こえてきた。
逃げないと。
しかし、体力は限界に近い。
俺は畑をつっきり、一軒の家の敷地へと入った。
空き家だった家だが、信者が住むために貸し出されていたものだと、窓から覗いた中の様子で理解した。
教団のお経と思われるものが書かれた紙が、壁一面に貼られている。
玄関……空いていた。
誰か、いるのか?
中に入り、内側から玄関の鍵をしめた。そして、ダイニング、リビング、二階の寝室などを慎重に、一室ずつ中を確かめるも無人だとわかる。
少し休もう。
呼吸を整え、喉の渇きに舌打ちをした。
一本だけじゃなく、二本にすればよかったと後悔を覚えた。
いや、冷蔵庫にないか?
キッチンに移動し、冷蔵庫を開ける。
五百ミリリットルの水のペットボトルが二本、まるまる残っていたので、ありがたく頂くことにした。
そして、二階にあがり、寝室の窓から周囲を伺う。
直哉の家が、見えた。
火事はひどくなっていて、黒煙はもう巨大なものになっている。
直哉の家があちらだから、神社は右方向……あった。
方向が、確認できた。
また、聞こえる。
獣……いや、化け物の咆哮。
視線を転じると、化け物が俺が通過した茄子と胡瓜の畑に入ってきていた。
追ってきているのか?
俺は、迷う。
今、飛び出して逃げても追いつかれる。
少し、隠れよう。
大丈夫。
この家に入るところを、見られたわけじゃない。
しかし、万が一の時、逃げられないのは困る。
寝室からだと、庭に飛び降りて逃げることはできそうだ。
ここで、化け物をやりすごそうと決めた。
窓の鍵を開けておき、寝室のドアへと歩み寄る。
スマートフォンを取り出し、一一〇番に電話をかけるも、やはり繋がらない。
親父、大丈夫だろうか?
あの時は、パンク修理を任せるしかなかったけど……。
がちゃ……がちゃがちゃ。
階下から、その音が聞こえてきた時、俺は呼吸を止めた。
玄関の鍵を、開けようとしている?
息を殺していると、階下から窓ガラスが割れる音が聞こえてきた。
吐き出し窓のガラスを、割って入ってきた?
つまり、あいつは俺がここに入ったことをわかっている?
どすん、どすん、と大きな足音が聞こえてきた。
どうして?
匂い? 音?
慎重に、窓へと近づく。そして、ゆっくりと開けた。
ぬるい風が、外から寝室へと入ってくる。
血生臭さに、鼻を手で覆った。
どすん、どすん、と足音が聞こえてくる。
階段を登っている?
駄目だ
迷っている暇はない。
俺は窓から外、一階の庇の上へと出て、そこからぶらさがると、地面を確認して飛び降りた。
足、痛めていない。
どすん、どすんと、頭上から音が聞こえてくる。
俺は、後ろを気にしながら神社の方向へと向かった。
-・-・-・-・-
畑の中を抜けて、民家の敷地を通過する。そして、勝手橋で川を渡って、道路に出た。
天露神社の鳥居が、見える。
神社の境内が気になるが、それよりも親父との合流を急ぐべきだ。
後ろを気にしながら、家へと急ぐ。
道路には、近藤の死体があった。
その奥には、二台の車。
近づくと、親父の車は、三本のタイヤ交換が終わっていた。
残り一本。
親父は、高木さんの家に?
来た道を戻り、神社の前あたりに来た時、勝手橋を化け物が渡るのを見た。
化け物は、腰を落とし、膝を逆に曲げて、走っている。身体の動きに遅れるように、両手が振り子のように揺れていた。
くそ!
家……行き止まりで、奥は畑で隠れる場所がない。それに、山に逃げ込んでもこちらが不利だと感じる。
高木さん家の方向、親父が作業をしているだろう。そこに連れてはいけない。
こうなったら……この異常の原因だとわかっているが、神社に入るしかない。
俺は、鳥居をくぐり、階段を駆け上がる。
境内広場に入った直後、すさまじい光景に動けなくなった。
たくさんの信者たちが、円形に並んで倒れている。
その中心の地面は、円形にくりぬかれたようになっていて、真っ赤に染まっていた。
まるで、墓地の上空のように。
「おや? 村上さん」
小林宗一郎の声。
見れば、彼は信者たちが倒れている円陣の向こう、本殿へとあがる階段に腰掛けていた。
彼の声で、身体が動く。
俺は、一瞬でも止まった迂闊さを呪いながら、走った。
「どうしました? そんなに慌てて」
「小林! お前の仕業か!」
信者たちが並ぶ円に入らないように走り、本殿へと近づく俺は、階段をあがったところで止まった化け物を、視界の端に捉える。
小林が、それを指さした。
「すばらしいでしょう?」
小林が、化け物を指し示した。
「あれこそが人本来の姿なのです。教祖様です」
「教祖?」
俺は、立ち止まり化け物を見る。
あれが、班目と名乗っていた小林? そして、小林宗一郎の父親で、動画に出ていた小林賢一?
「小林、教祖はお前の父親だろう? 化け物になってしまって、嬉しいのか?」
小林宗一郎は表情ひとつ変えず、口を開く。
「父は、幸せでしょう。ずっと求めていたミライを見ることができたのですから」
「ミライ……」
「見てはいけない……と伝えられている神を見ると……黄泉返るのです」
俺が、化け物と距離をとるように本殿へと近づいていると、小林は立ち上がり、俺と距離をとうように円の外側をまわるように移動する。
俺は、人を踏まないように円の内側へ入ろうとしたが、小林の動きを見て、おそらく入ってはいけないのだと感じた。
俺が本殿の前に立ち、小林は鳥居の方向に立った。化け物は、円の外側を、俺を追うように向かってきている。
こいつも、入らないようにしている。
いや、もしかして、入れない?
「この人たちは、生きているのか!?」
俺の問いに、小林は移動しながら口を開く。
「贄ですよ、彼らは」
「贄!?」
「黄泉からお戻りになられたミライが、食したのです。儀式は成功し、ミライはもうこの世におわします。あとは見ることができるかどうか」
見たら、あれになる?
俺は、俺の後をつけて移動する化け物を見た。
動きが不自然なのは、関節が逆に稼働しているからだ。
それでも、俺が駆け足を保たないと追いつかれる速度だ。
南側の出入り口まで、もう少し。
「お前はまだ、ミライってのを見れてないんだな?」
俺の言葉に、小林が止まった。
明らかな、動揺。
そこで、気づいた。
小林も、あの化け物とは一定の距離をとっている。かといって、円の内側へは入らない。
信者たちが、次々と襲われていた理由……黄泉返るとやらで、化け物になった人相手には、生身では危険なのだ。
俺は、鳥居へと下る階段を一気に駆け下りる。
「私も! もうすぐ見ますよ!」
後方から、小林の声が聞こえてきた。




