第二十三話
谷本食品店の裏口から店内へ入った途端、足から力が抜け、床に膝をついた。
背中の彩花をゆっくりと降ろしていると、お母さんが顔を見せる。
「彩花」
お母さんが駆け寄ってきて、ぐったりとした彩花を抱きしめる。
「部屋を涼しくして……着替えも。あと、身体を冷やすものも。あ、あと飲み物、いただきます」
「あ、はい。すぐに用意します」
「あ、その前に、ぬるま湯で洗ってあげたほうがいいかもしれません」
「はい」
お母さんは、彩花の状況で、俺の依頼にすぐに応じてくれて、倉庫のほうへと駆け足で離れていく。
店内の、飲料水の冷蔵庫からスポーツドリンクと水を一本ずつ取り出し、壁に背を預けて座っている彩花の横に座った。
冷えたスポーツ飲料を、彩花に飲ませる。
彼女は、飲んでくれた。
「どう? 持てる?」
俺が尋ねると、彼女は小さく頷き、自分の手でペットボトルを持つ。
俺は水のペットポトルを、彼女の首筋にあてる。少しでも冷えてくれたらと思い、汗で濡れた彼女の髪を撫でた。
「ごめんな? 遅くなってごめん」
彩花は、右目で俺を見て、瞬きする。
「村上さん、こっちへ」
お母さんが倉庫のほうから声をかけてきて、俺は彩花を抱えた。
必死にしがみついてくる彼女を、落とさないように強く抱きしめる。
倉庫を通過し、家のキッチンへと入る。そして、廊下へと出て、お風呂に入った。脱衣所で彩花を降ろして、お母さんに預ける。
「すみません。他に怪我がないかみてもらえますか?」
「ええ、村上さん、ありがとう。彩花……ごめんね」
「飲み物、とって来ます」
お母さんの言葉に、首を振って脱衣所のドアを閉める。
俺はお店へと戻り、抱えるだけの飲料水をとって家へ往復した。
寝かせるなら、一階がいいと思っていると、お母さんは、ダイニングのエアコンを動かして室温を下げていた。ここなら、キッチンにもすぐ移動できて、裏口から倉庫、店へと移動もできるし、自宅玄関にも素早く動ける。
テーブルの上に、飲み物を置く。
そこで、これからどうすべきか考える。
ここで彩花の回復を待てるか?
親父と合流して、車でここまで来て、彩花たち家族を乗せて……谷本社長が無事に戻って来てくれたらいいが、あまり簡単に考えないほうがいいだろう。
玄関へと移動し、覗き穴から外を見た。
外はまだ、暗い。
スマートフォンを見ると、午前七時前。
朝だというのに、空は太陽がなくなったように真っ暗だった。
駐車場を観察すると、数は減ったが数人の信者がいて、ふらふらとしている。
ん?
道の向こう、畑の中をつっきって、こちらへと向かってくる赤い人? でかい? 身体が大きくないか?
信者なのか?
人のような形をしていたそれは、駐車場でふらふらとしていた信者の一人へ近づくと、いきなり太い腕をふるって信者を殴った。
殴られた信者は、顔面から地面に倒れる。
なんだ!?
声が出そうになり、慌てて口を手で覆う。
それは前身が赤く黒く、表面が滑っていた。まるで、皮膚がなくなったかのような見た目だ。
顔には、穴を穿ったような黒い目が二つある。口に唇はなく、鼻も二つの穴が開いているだけだった。
そして、デカい。
二メートル近くある?
それは、太い腕を振るう。関節が逆に動いているかのような、ちぐはぐな動きだったが、くらった信者の身体がふっとび、道路を転がっていく。
その後を、赤い筋が伸びていた。
化け物……。
そいつは、駐車場にいた信者たちを次々と襲う。
一人を捕まえ、その両腕を左右へ引っ張った。捕まった男は、両腕を肩のあたりで引き千切られて、血をぼたぼたとこぼしながらも、口元は笑ったままだ。
俺は見ることができず、玄関のドアを背にその場で座り込む。
どくどくと脈打つ血流と、叫びたい衝動で胸を掴んだ。
苦しい。
怖い。
なんだあれは?
あれは……何だ?
「村上さん!」
脱衣所から、お母さんの声。
まずい。
俺は廊下を四つん這いで移動し、脱衣所の外から声をかける。
「大声はダメです。外にいます」
意図的に、化け物のことは隠した。
「あ、ごめんなさい」
お母さんが、ドアを開く。その服はびしょ濡れで、髪も濡れていた。
「彩花さん、どうですか?」
「会話はできるし、なんとか大丈夫そう。だけど、病院に連れて行きたいです」
彩花は、脱衣所で寝かされていて、下着とシャツ姿だった。
直視しないように、視線を落とす。
「はい、ただお話した通り、車が……それに、外は危ないです」
「先輩」
彩花の声。
さっきより、声に力がこもっていて、俺は安堵の吐息をつく。
「どうしたの?」
左目は腫れていて、痛々しい。鼻血の跡は、きれいにとれていた。
「先輩、小林さんが、裏返すって言っていたんです」
裏返す?
俺は、ピンときた。
神社が入口で、裏側では通路が北から南へ伸びて、黄泉に通じている。
黄泉に潜んでいた何かが、出口から現れる。
「百八人の、贄を用意して神社へって言ってました」
もしかして、さっきのあれが、出口から現れたやつか?
あの、不気味で、残忍で……。
先ほどの光景が、脳裏によぎる。
人を、簡単に壊していた。
そう……壊すという言葉が、ふさわしいと感じる。
出たくない。
ここで、助けを待つか?
「あ」
彩花の声。
見ると、起き上がろうとしたができず、お母さんに支えられていた。
俺は、情けない自分を叱るように、声に力をこめた。
「お母さん、彩花さんを」
「え? ええ」
「俺は親父と合流して、車を。それから、誰が来ても、玄関を開けてはダメですよ」
「……どうしたら? 主人が帰ってきたら?」
「社長、鍵はありますよね?」
「ええ。持ってる」
「……なら、社長が自分で鍵を開けて入ってこなければ、こちらから絶対に開けちゃだめです」
俺の意図は、お母さんにちゃんと伝わったと、彼女の表情を見れば明らかだった。
「俺は移動します。その間、お母さんしか、彩花さんを守れないんです」
「……わかった」
「ダイニングで、待っていてください。飲み物も、そこに運んでおきました」
お母さんが、俺の目を見てしっかりと頷いてくれた。
彩花を守るという言葉で、お母さんの迷いが晴れたように感じる。
「裏口から、出ます」
俺は、彩花を見た。
彼女が、口を動かす。
「先輩、待ってます」
「うん、待ってて」
俺は、笑みを作った。
-・-・-・-・-
お店から、水のペットボトルを一本、もらった。
喉をうるおし、店の裏口から外に出た時、軽トラが一台、走っている。
軽トラの運転席に乗っていたのは、村の人だと思うが俺にはどこの誰かまではわからない。彼は俺に気づくと、俺を追い越した辺りで停まり、降りて来た。
「おい、こりゃなんだ? なんか知ってるか?」
「わからないんです。とにかく、逃げたほうがいいです」
「逃げるも何も、木佐呉に行こうと思ったら、教団の車が道を塞いでいてな……介護の送迎用のデカイやつが、道を塞ぐように横倒しにされていて、引き返して来たんだ」
輝く未来の会は、そこまでやるか?
儀式ってのは、つまり村全体か?
ともかく、行かねば。
乗せてもらおうか? と思った直後、俺たちの頭上を何かが飛んでいったのが見えた。
目で追うと、それは田んぼへと落ちる。
白い恰好をした人。
「ひ!」
男が、喉を鳴らした。
田んぼに落ちた信者は、うつ伏せに倒れているが顔が上を向いていたのだ。
駐車場にいた信者が、あの化け物に投げられた?
「ひぃ!」
男が軽トラへと駆け戻り、勢いよくドアを閉めて離れていく。
軽トラは公民館の方向へと走っていき、俺は反対方向、橋の交差点を目指す。
いざとなった時、全力で走れるように抑えた速度を保った。
居酒屋や蕎麦屋の裏を通り、川に出たところで北ほうから、どぉおおおん、という太鼓の音が聞こえてきた。
橋のほうへと向かい、北側へと伸びる道へ進む前、二車線の道路の左右を確認する。
黒い煙が、幾本も空へとのぼっているのが見えた。
神社の正面に出る道を使うことは、本能が拒否している。
畑や田んぼの畦道を選び、普通の道を使わずに戻ろう。
二車線の道路をわたり、いつもの道ではなく、畑の中をのびる道とはいえない道を選んだ。
獣のような咆哮が、南のほうから聞こえてきて、背後を見る。
墓地の上空だけが、円形にくりぬかれたように赤い。
真っ暗な空の中で、そこだけが赤いのだ。
唾を飲み込み、進もうとした時、思い出したように尿意が襲ってきた。
こんな時に!
周囲を見渡し、畑で立ったまま用を足す。
焦っている時に限って、なかなか止まらない。
無防備になる恐怖で、何度も周囲をうかがった。
小用を足して、周囲を警戒しながら小走りに進む。
直哉の家のほうから、黒い煙がもくもくとあがっているのが見えた。
……直哉。
どちらにせよ、このまま畑や田んぼの畦道を進むなら、直哉の家の近くを通過することになる。
直哉、菜々美さん。
そして、宏君。
迷ったが、見捨てることなんてできない。
彩花、ごめん。待ってて。
親父、なんとか無事でいてくれ。
俺は、速度をあげて走った。




