第二十二話
村の中心部へと向かうが、いつもの道を使おうとした俺が馬鹿だった。
ふらふらと歩いていた白装束が、俺を見つけるなり、作り笑いの顔で追いかけてきたのだ。
ただその男は、明らかに弱っていて、すぐに倒れこんで動かなくなった。
道ではなく、他人の家の敷地や畑、田んぼのあぜ道などを選び、こそこそと村の中心地へと向かったせいで、谷本食品店まで倍以上の時間がかかったように思う。
しかし、空は暗い。
スマートフォンの画面には、午前五時二分と表示されていた。
そろそろ、明るくなってきてもおかしくないのに?
東の方向を見るが、星がない夜空のままだ。
ふと、赤い月が目に入る。
その位置は、墓地の上空?
どぉおおおおおおおん!
突如、あの音が届いてきた。
一定の間隔で、鳴り続ける。
村の家々から、異常を感じた人たちが外へと出て来た。
「なんだ? 何の音?」
輝く未来の会の信者たちが、困惑する住民に気づく。俺からは離れた場所で、信者たちが住民へと向かっていくのが見えた。
「なんだ!? お前ら何だ――うわあああああ!」
俺は間に合わないと諦めて、谷本商店の駐車場に入った。
お店の隣、谷本家の玄関に立つ。
インターホンを鳴らしたが、反応がない。
スマートフォンを取り出し、再び彩花に電話をかけるも繋がらない。
振り返ると、道路を白装束の行列が、ぎくしゃくとした動きで歩いていた。誰もが、身体のどこかを痛めていて、それを庇うようなぎこちなさだ。脚を庇う人がいれば、腰を庇ってのそのそと歩く人……しかし、誰もが同じ表情をしている。
口の両端を吊り上げた笑みだが、目は据わっていた。
彼らが、一斉に立ち止まる。
ゆっくりと、首だけを動かして俺を見た。
まずい……。
ガチャ……という音で振り返ると、彩花のお母さんが玄関を開けていて、俺を手招く。
「村上さん?」
「すみません。入れてください」
お母さんは、俺の後ろ、白装束の人たちを見て顔をひきつらせた。そして、俺を手招く。
「中へ」
「すみません」
家の中に入ったところで、お母さんが玄関に鍵をかけた。
「教団の? 人たち?」
「ええ……そうなんです。ちょっと説明が難しいんですけど……彩花さんは?」
「彩花を?」
彼女の問いに、俺は頷いた。
「はい……電話が通じないので……社長は? 彩花さんは?」
「もう、社長じゃないんだけどね……」
お母さんは苦笑し、表をうかがうように声を潜めた。
「主人は儀式の手伝いで神社に……彩花は、実はここに帰ってないの」
帰っていない?
もしかして、十一日から?
俺が尋ねるより先に、お母さんが口を開く。
「昨日、小林様に呼ばれて輝く未来の会の村事務所に行ったきりなのよ」
ガチャガチャガチャ……
玄関のドアノブが、激しく音を立てる。
ドアから離れて、尋ねた。
「……村事務所っていうのは、どこです? 介護施設?」
「いえ、公民館の貸し事務室を借りていて、そこ」
「……行ってみます。あと、儀式って何ですか?」
お母さんは、困ったように視線を落とした。
「まさか……こんなことになるなんて」
「どこまで、ご存知なんです?」
玄関ドアが、激しく音を立てた。
無理やりに、開けようとしているらしい。
「移動しましょう」
俺が靴を脱ごうとすると、お母さんは「そのまま」と言って廊下を歩く。
キッチンに立った彼女は、リビングダイニングの窓にカーテンがかかっていることを見てから、しゃがみこんだ。
「わたしもよくわからないんですよ。あの、なりたくで信者になったわけじゃないから……でも、班目代表は、信者になることが条件だと言うし……」
「食品店のことですね?」
「ええ、そう……おかげで、借金を肩代わりしてもらえて良かったのは事実なんだけど、変なお祈りはさせられるし……儀式の練習は痛いし……」
「儀式の練習? 痛い?」
「ええ、骨が軋むというか……わたし、もともと腰がよくなくて、さすがに立てなくなって」
俺は、お母さんと目線の高さをあわせるようにしゃがんだ。
「儀式、何をするんです?」
「それが、わたしも本当によくわからないの。ただ、床に額をつけるように伏せて、お腹から声を出しように、おおおあああって叫ぶだけ……そうしていたら、あちこちが痛くなってきて、薬を使っても耐えられないから、昨晩から留守番なの」
「じゃあ……昨日の夜、儀式を?」
「そのはず……主人から、外に出るなと言われていたけど……何か起きているの?」
「……ええ、ちょっと信じてもらえないかもしれませんが……」
俺がこれまでのことを手短に伝えた時、リビングの掃き出し窓を覆う雨戸が、外から激しく叩かれた。
バンバンバン、と鈍い音が響く。そして、ガシャガシャと雨戸が揺れ、枠が軋んだ。
まずいな……。
お母さんが窓を見ながら、怯えた表情で声を震わせた。
「あ……あれ、あれはそうなの? 村上さんを襲ってきた人たち?」
「違う人ですけど、たぶん、襲われます」
「……裏口から出る? 家の裏口から倉庫の中を通って、お店のほうの裏口から裏の道に出られる」
「お願いします」
お母さんに連れられ、キッチン奥の裏口から倉庫へと出る。
彩花が撮影した時、たくさん並んでいた保管庫はひとつもない。
お母さんに、薬のことを尋ねた。
「あの、薬、置いてませんでした?」
「ああ、鎮痛剤だと言われていた薬ね? 儀式の前に飲んで、痛みを和らげていたんだけど、わたしはそれでも我慢できなくなって」
鎮痛剤……たしかに、そういう使われ方をするが、どういった薬かを説明されないまま、飲まされていたのか?
質問をするのは、避けた。
食品店のバックスペースに入った時、用具が置かれているのが見えた。
俺はモップを掴み、柄の部分を取りはずす。
気休めかもしれないが、素手よりマシだ。
裏口の鍵を開け、外を窺う。
田んぼに面した、車一台がやっと通れる道。
誰もいない。
お母さんに、声をかける。
「一緒に、行きませんか? ここに残ったら、危ないかもしれません」
「……主人を待たないといけないし、わたし、さっきも言ったけど腰がよくないの。ここで待つわ。彩花をお願い」
「わかりました。彩花さんと合流したら、戻ります」
「わたしは裏口を閉めて、店の奥に隠れているから……あ、鍵を渡しておくわね」
お母さんが、裏口近くの壁にかかっていた鍵棚から、一本の鍵を外して差し出してきた。
「ありがとうございます」
受け取り、裏口から外に出る。
公民館まで、この道をまっすぐ進めばいい。
俺は、背後を確認し、駆け足で向かった。
-・-・-・-・-
公民館が、見えてきた。
駐車場には、ちらほらと白い服を着た人たちが立っている。
遮蔽物がなく、隠れる場所などない。
幸い、暗いので向こうからこちらは見えていないようだ。それでも近づけば、ばれるだろう。
突破しかない?
さっきは、近藤相手に戦ったが、あんなのまぐれだ。無茶苦茶に突っ込んだらうまくいっただけで、さらに親父の助けもあった。
なんとか、やり過ごせないか?
駐車場を避けて、建物裏手……村役場と公民館の間、給水ポンプや駐輪場の建物が並ぶところに一旦は隠れて、そこから回りこもう。
途中、犬の吠える声が聞こえてきたけど、それはやがて、悲鳴に変わる。
誰かが、大声で叫んでいた。
「やめろ! やめ――ぎゃぁあああ!」
「痛い痛い痛い痛い痛い!」
耳を塞ぎたくなるけど、音を断つのはよくない。
慎重に進みながら、スマートフォンで直哉と真帆に、メッセージを送るも送信できない。電波のマークは圏内なのだが……そういえば、彩花に電話をしても電源がきれているというアナウンスだったけど、これはもしかしたら、村全体が何かの理由で通信が繋がらない状態になっているのか?
インターネット……だめだ。表示されない……端末に保存されているページは開けたが、更新するとクルクルと接続を探す表示が続くばかりだ。
村役場の敷地へと、フェンスを越えて入る。
駐輪所の建物に身を隠して、公民館のほうへと近づいていく。すると、駐車場にいた白装束の男が、道路を歩く白装束の男に声をかけていた。
「村田さん、どうした? 神社じゃないのか?」
男に村田さんと呼ばれた白装束の男は、片足を引きずりながら歩いている。
輝く未来の会の信者でも、まともな奴がいるのか?
公民館の駐車場へ、思い切って入った時、男が俺を見て声をかけて来た。
「あ、今日はダメだ。全部、貸し切りだ」
「あんたは正気なのか?」
俺が問うと、相手は「は?」という顔をする。その背後に、村田さんと呼ばれた男が近づいてきていた。
「あ、後ろ! ダメだ!」
声をかけ、男が振り返る。
村田は、あの笑みで男へと近づいていた。
「村田さん? 大丈夫か? 儀式はどうなった?」
男が村田へと近づこうとしたので、俺は男に駆け寄り、村田から離そうと手を引いた。
「ダメだ、こっちに」
「いてぇな。なんだ? あ、お前は反対派の村上だな!? 手配書に出てるぞ」
「手配書?」
「危険人物だって。情報を捏造しやがって」
「とにかく、今はあいつから離れろ」
「うるさい、離せよ!」
手を振り払われた直後、その男に蹴られた。
左腕がビリビリと痺れる。
どう説明したらいいんだよ!
村田はもう、男の背後まで来ていた。
「おい! 逃げろ!」
叫んだが、男がうすら笑う。その首を、村田が両手で掴んだ。
「いっ! ちょ……ぐぅうううううう!」
村田は男の首を背後から締め上げる。
男は、懸命に手足をばたつかせて抵抗するも、村田は全く意に介さない。
男は、びくびくと痙攣し、身体から力が抜けた。
村田が手を離すと、男は壊れた操り人形のように、ぐにゃりと倒れる。
俺と、村田の目が合う。
村田が、俺へと向かってくる。だが、足を引きずっているので速くない。それでも、目の前の光景が、俺の脚を動かさなかった。
地面に倒れた男は、まだ生きているかもしれない。
びくんびくんと、死に抗うように動いていたから。
その足が、村田の脚に当たった。
村田が、ぎょろりと目玉だけを動かし、倒れている男を捉えた。
俺は、動かない脚に念じる。
行こう。
動け。
動け……頼む。
手で、脚を殴る。
痛みで、感覚が戻ったように脚が動いた。
村田は、しゃがむと男の顔面に拳を振り下ろした。
鈍い音を背に、俺は公民館の建物へと向かう。
離れた場所から、こちらへと駆けつけてくる白装束。
モップの柄を構えようとした時、その表情は慌てたものだと見てわかった。
こいつは、まともだと感じた。
「おい! 二人はどうしたんだ!? お前は!?」
「神社で儀式をしたんだろ!? おかしくなってるぞ!」
「なに!? と……とにかく、警察を!」
「彩花はどこだ!? 谷本彩花!」
白装束の男が、村田と呼ばれた男を気にしながら俺を見る。
「誰だ、それ……て、お前は反対派だな? 見たことある」
「そうだ。でも今は、そんなことを言ってる場合じゃない。村がおかしいんだ」
男は村田が立ち上がるのを見て、後ずさりをした。
「おい! 来るな! 入ってくるな!」
信者の男は、こちらへと近づいて来る村田から逃れるように、公民館のほうへと駆け足で向かった。
俺は彼に続く。
「この中に、信者の人たちはいるんだろ? 貸し切りだって聞いたぞ」
「ダメだ! 入るな!」
無視して館内に入り、ひんやりとした通路を走った。
貸事務室と思われるドアを、片っ端から開けて中を見るが無人だった。教団の事務所らしき部屋を見つけたが、パンフレットや経典があるだけで誰もいない。
さっきの男が、追いついて来た。
「おい、谷本彩花が誰か知らないけど、女性部の人たちはホールだ。子供たちと一緒に」
「なんでそんなことを?」
「知らない……俺もまだ入信して一年も経ってない。出家したばかりで、ここを見張れと言われただけだ」
「……」
気の毒に感じたが、今は彩花を探すほうが先だった。
ホールへと向かい、扉を開き中に入ると、中央付近に固まっている女性たちと子供たちを見つけた。
「彩花!」
声をあげるも、返事がない。
子供たちの胸は上下していて、眠っているようだ。
女性たちは俺のこと不審者を見るような目で眺めていた。
「誰か、谷本彩花がどこにいるか知らないか?」
「ねぇあれ、手配書に出てた……」
「ああ……嘘つきの」
輝く未来の会の徽章を胸につけた女性たちが、俺を指さしてひそひそと言い合う。
「嘘つきのテロリスト……」
「活動家の人よ……排他主義者の」
「図々しい、何でここにいるの?」
ダメだ……全く話ができない。
諦めてホールから出た時、出家したばかりの男が俺に出て行けと急かす。
「さ、もういいだろう? 早く行けよ」
エントランスまで来た時、村田が入って来ていた。
目は据わったまま、口だけで笑っている。
片足をひきずりながら、俺へと接近してきた。
「おい……ちょっと!」
男が村田を止めようとしたが、俺がモップの柄を振り下ろすほうが早かった。
村田はガクンと膝から崩れて、床の上でガクガクと震える。
「お前! 殴ったな!?」
男が俺を責めた直後、村田の手が男のズボンの裾を掴んだ。
その手に、モップの柄を振り下ろした。
ガツン! という衝撃で、木材が折れる。
村田は、掴んだ男の脚へ頭突きを見舞った。
「いた! 痛い!」
脛を思いっきり頭突きされて、手で庇おうとした男は、その手に噛みつかれて悲鳴をあげる。
「うわぁああああ! イタタタタ!」
村田を首に、折れたモップの柄を振り下ろす。
「助けて! こいつ、おかしい!」
「殴れ!」
叫んで、モップを振るう。
男が、村田の顔面を殴りつけた。
村田がガクンと後ろに崩れ、たたらを踏んで倒れる。
「ううううう……くそ……なんだこれ? いてぇえええええ」
男は右手小指の付け根がひどく噛まれていて、皮膚が大きく裂けて血が溢れ出ていた。
彼の顔は、青ざめている。
バッグの中から、ハンドタオルを取り出して男に突き出した。
「これで押さえろ……強く!」
「くそ……なんで俺がこんな目に……くそ!」
男は、倒れてびくびくとしている村田へと蹴りを見舞い、管理室のドアを見る。
「痛い……電話かけてくれ。中に電話がある。救急車」
固定電話のことだと、ピンときた。
外を見ると、道路のほうには白装束が二人、立っていた。
遠目にも、ふらふらとした動きはおかしくなっている奴だろうとわかる。
管理室に入り、固定電話の受話器をとった。
耳にあてると、音がしない。
……どういうことかなんてわからないけど、通信が全くつなが……いや、親父は警察に電話ができたぞ?
何が違う?
もしかして、場所?
待て……まてよ? 家では警察に電話できた。ここでは固定電話まで死んでいる。
神社と墓地を結ぶ、あの図面。
まさか、その間だけが何かに塞がれているのか?
家まで戻らなければ、外へ連絡できないのか。
管理室を出た時、男が壁にもたれかかっていた。
さっきの騒ぎを聞きつけたからか、女性たち数人がホールからエントランスへと出てきている。そして、男が怪我をしているのを見て、俺を非難し始めた。
「あんた! 暴力ふるって!」
「出ていけ! 入ってくるな! ここは輝く未来の会の建物よ!」
俺は男に、「電話は通じない」と伝えた。
「嘘だろ……あ!」
彼は、思いだしたという顔で俺を見る。
「谷本彩花って、あの子か? 髪がこれくらいで明るい色?」
「そう。たぶん、その子だ」
「ホールの裏の、倉庫だ」
「倉庫?」
「反対派と接触したってことで、罰せられ――」
俺は最後まで聞かず、ホールへと走る。
女性たちの怒声を無視し、客席の通路を駆け抜けて、ステージへとあがる。そして裏手へと回ると、重い扉の前には、机や椅子が積み上げられ、外から開かないよう塞がれていた。
「彩花!」
叫ぶも、返事はない。
椅子を掴んでどかし、折り畳み式の机をひきずって移動させた。
扉を邪魔していたものをどかして、開く。
床の真ん中で、彩花は倒れていた。
「彩花」
駆け寄って、抱き起こす。
彩花は、右目だけを薄く開けた。
彼女の左目は、殴られて腫れあがっている。そして、鼻血の跡が、口元まで黒く乾いていた。
「せ……い?」
意識が、朦朧としているようだ。
倉庫の中は、他の部屋と比べて異様なほどに暑い。
空調が、ここだけ切られて……扉を閉じられ、ここに残されて……。
「彩花、迎えに来た。帰るぞ」
「先輩、服……汚しちゃってるから……」
弱々しい彼女は、俺が抱き上げようとすると抵抗した。
わかっている。
抱き起こした時に、何を気にしているのかは察していた。
だけど、今はここを離れることが先決だ。
抱えて外に出た時、女性たちに取り囲まれる。
「ちょっと! 小林様の命令なの」
「何様!? 勝手に入ってき――」
無視して体当たりをし、数人を転ばせてしまったが、構っている余裕はなかった。
急げ。
やばいぞ。
熱中症なら、まずい。
廊下の奥に給湯室の表示が見えたが、女性たちが追ってきている。水を探している余裕はなかった。
「待ちなさいよ!」
「ちょっと!」
さっきの女性たちに、ホールにいた人たちまで加わって追ってきていた。
グズグズできない。
「彩花、頑張れ。家、帰ろうな?」
彼女は、小さく頷くだけ。
俺は彼女を一度、エントランスで降ろして、背中に背負った。
「頑張って捕まって」
声をかけると、耳元で小さな声が聞こえる。
「先輩ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫だから」
励ますように言って、公民館を出た。




