第二十一話
八月十三日、木曜日。
深夜。
俺は、玄関から聞こえるガチャガチャという音で目が覚めた。
スマートフォンの画面に表示された時刻は、午前三時三十二分だった。
部屋のドアを開くと、奥の寝室から親父が出てきたところで、二人で階段の下、玄関を見る。
玄関ドアを、鍵がかかったままで開けようとしているらしく、バンバンと大きな音が止まない。
インターホンを鳴らすでもなく、乱暴なことをしている相手への苛立ちと怒りを覚えると同時に、気味悪さで眉を寄せた。親父も同じく、不機嫌顔で歩く。
俺はこの時、こういう嫌がらせをするのは、輝く未来の会だろうと思っていた。
「親父、教団じゃね?」
俺の言葉に、親父は頷きながら階段を降りた。
俺も階段を降りて、玄関の向こうにいる相手へと声をかける。
「誰だ! こんな夜中に!」
怒鳴ると、しん……と静かになる。
二人で、外に出るタイミングを計るように目で合図を送っていた時、いきなりそれが鳴った。
ピンポーン!
驚いて、玄関ドアを見る。
ピンポンピンポンピンポンピンポン――!
勢いよく玄関ドアを開けて、悪戯野郎をぶん殴ってやろうとした時、その男と目が合う。
近藤!
近藤は、口の両端を吊り上げて笑みを作るも、目は俺を睨んでいた。
「トモ!」
親父の鋭い声。
俺は咄嗟に、玄関ドアを閉める。
近藤が、右手を俺へと振るってきていた。
玄関ドアに近藤の右手がぶつかり、その手に握られていた刃物が落ちる。
俺は、近藤に包丁を拾わせたらダメだと感じて、考えるより先にドアを押し開けた。そして、そのまま外へと飛び出して、刃物を拾おうとした近藤の顔を蹴り上げようとした。しかし、近藤は身を引いて蹴りを躱し、拳を振るってきた。
額に硬いものがぶつかり、視界が揺れる。
二発目が、俺の左頬に入った。それでも俺は突っ込んでいき、近藤の身体へ頭からぶつかった。
ガツンという骨と骨がぶつかり合う衝撃に、歯を食いしばって耐え、近藤を押し倒す。
親父が転がっていた刃物を蹴り、カラカラと音を立てて道路のほうへと転がっていった。
近藤が俺の腹部へと殴打を見舞ってきて、顔をまた殴られたが懸命にマウントを取り、抑え込んだ。
「警察!」
俺が鼻血と唾を吐き出しながら叫び、親父が慌てて玄関の中へと消えた。
「お前、何をやってんのかわかってんのか!?」
近藤に怒鳴るも、こいつは作った笑みのまま言葉を発さない。
ただただ俺に抵抗し、なんとか逃れようともがく。
喧嘩なんかしたことなかったが、身体はなんとか動いてくれた。
近藤が振り上げた拳を躱して、その腕を掴む。そして近藤の片腕を膝で押さえつけるようにして乗り、体重をかけて動きを封じた。
スマートフォンを持った親父が、警察に電話をしながら玄関に出てきた。
「はい、そうです。息子がいま、取り押さえて……トモ!」
親父の声で、俺は近藤から視線を転じる。
家の外、道路のところに三人ほど、白装束が立っていた。
彼らは、こちらを指さして、歩いてくる。
そして、次第に駆け足となり、向かってきた。
「親父! 刃物を!」
親父が道路へと飛び出し、転がっていた刃物を拾う。そして、玄関へと向かった。
俺も、近藤から離れて身を翻す。
近藤が立ち上がりながら、俺へと身体を投げ飛ばすように抱き着いてくる。
足をとられ、前のめりに倒れてしまう。
「離せ!」
左足を掴む近藤の顔を、右足で蹴った。しかし奴の手に込められた力は弱まらない。
近藤は、俺に蹴られて鼻血で顔を汚しながらも、口元だけが、喜びの形に吊り上がっていた。
親父が駆け付けてきて、近藤を引きはがそうとする。しかし、白装束たちが、もうすぐそこまで迫っていた。
「親父、逃げろ!」
叫んだ時、親父が俺の顔を見た。
悲痛な顔。
「親父! 逃げて!」
叫んだ時、親父が刃物を振り上げたのを見た。
直後、近藤の身体がびくっとのけぞり、俺の足を掴む手がガクガクと震えた。そして、作った笑みのまま、口から血を溢しながら伏せる。
奴の手から、力が抜けた。
「早く!」
親父の声で、俺は懸命に立ち上がり、迫る三人から逃げるように玄関の内側へと入った。
鍵とチェーンをかけた時、ダイニングの窓ガラスへと白装束たちが突っ込んでくる。
すさまじい破壊音で、窓ガラスが割れた。
突っ込んだ三人のうち一人は、割れたガラスがその首元を深く切り、白装束を赤く染めながら倒れていた。
残り二人も、ガラスの破片が身体に刺さった状態で、床を這いずり、俺たちへと向かってきていたが、出血の多さで動きが鈍い。
二人が、顔をあげて俺たちを見た。
口の両端を吊り上げた笑みで。
目だけが、何かを睨むように据わっている。
彼らの動きは弱々しく、ゆっくりと動かなくなっていった。
振り返ると、刃物――包丁を握った親父が、廊下で突っ立っている。
「親父!」
声をかけると、親父が包丁を見た。
「殺した……」
「親父! しっかりしろ!」
「……トモ? 無事か?」
「無事だ! 親父のおかげだ! しっかりしろ!」
「あ……ああ」
寝起きの恰好だったので、足の裏を怪我したらまずいと感じた。
慎重に廊下まで出て、親父の手から包丁を奪い、廊下に置いた。
「親父! しっかり!」
「ああ……ああ! そうだ! 警察!」
「呼んだんだろ!?」
「呼んだ。向かうと言っていたが、木佐呉からここまでまだしばらくかかるだろう」
「と……とにかく着替えよう」
「ああ……そうだ、着替えておこう」
俺たちは二階へ上がり、それぞれの部屋へ入る。
いちいち服を選んでいられないが、薄手だが長袖のパーカーを選び、ズボンと靴下は厚みのあるものにした。
斜め掛けのバッグに、スマートフォンとモバイルバッテリー、財布を入れた。そして、ハンドタオル数枚を掴み、一枚を鼻にあて、残りをバッグに突っ込む。
廊下へと出ると、少し遅れて、親父も着替えを終えた。
「トモ、鼻は?」
「折れてない。血、とまったと思う」
「ならいいが……」
階段の下をうかがうと、物音ひとつしない。
「親父、どう思う? 俺はここを離れたほうがいいと思う」
「ここ? 家をか?」
「いや、天露村。輝く未来の会の信者が襲ってきた……これで終わりじゃないだろ?」
「……籠城は?」
「今はもうダイニングから入り放題。二階はいざという時、逃げられない」
「……そうか。そうだな……わかった。警察に電話をしたから、木佐呉の警察署に行こう」
玄関へと下りて、スニーカーを履く。
下駄箱の上に、無造作に置かれた車の鍵を手に外へと出た時、倒れていた近藤が道路のほうへと向きを変えていて、少し這いずっていた。
倒れた場所から、近藤の身体から太い血の筋が伸びていた。
踏まないようにまたいで、車へと近寄った時、タイヤがパンクしていることに気づいた。
二台とも、全てのタイヤがパンクしている……。
近藤は、包丁でタイヤをパンクさせた後、玄関に立ったのだ……。
「くそ……スペアに取り換えても、二台に一個ずつだから足りない」
親父が嘆き、俺も項垂れる。
木佐呉まで、徒歩だと遠い。山の中を、歩いてどれくらいかかる?
「あ……ある」
親父が、ぽつりと言った。
きょろきょろとした後、道路のほうを見て口を開く。
「高木の家……奥さんたちはまだ帰ってきていない」
なんだろう? いきなり……。
「ああ、そうだけど、どうした?」
「高木の車と、俺の車、車種が一緒だ」
親父の言いたいことは、わかった。
「タイヤを、借りるってことか?」
「そう。奥さんには後で謝っておく……タイヤを借りて警察まで行こう。道具を持っていく」
「……だったら、高木さんの車を借りられないか?」
親父は少し悩み、首を左右に振った。
「いや、高木の身の回りのものは、奥さんのところだ……期待しないほうがいい」
「……わかった。親父が取り外して、俺が運ぶ。分業」
「そうしよう」
親父と高木さんの家へと向かう。
神社の鳥居のところで、中心地には行かずに曲がった先が、高木さんの家だ。
鳥居がいつの間にか、真っ黒になっていることに気づく。
ここで、境内広場のほうからは、和太鼓を叩くような音が聞こえてきた。
どぉおおおおおおおん……どぉおおおおおおおん……どぉおおおおおおおん……。
一定の間隔で、それは鳴らされている。
「なんだ?」
思わず立ち止まり、周囲をうかがった時、違和感を覚えた。
音、だけじゃない。
鳥居、の他にもおかしい。
外灯が、すべて消えていることに気づいた。
そして、外灯を見上げた時、目に飛び込んできた空の違和感で声をあげた。
「うわ!」
俺の声で、親父も頭上を見上げる。
月だ。
漆黒の闇に、赤く不気味な月だけが浮かんでいた。
「なんだ? これはどうなって?」
親父が困惑し、俺も動けなかった。
嫌な予感。
さっきの、近藤や白装束の奴らの狂ったような姿を見た後に、これなのだ。
例の、裏側にひそんでいた奴が関係していると思うのは、無理がないことじゃないか?
この一年の心労で、頭がおかしくなったと思われても仕方ないけれど、俺はこの状況に、輝く未来の会とミライが関係していると思えた。
彩花……無事か?
一昨日、白装束に見られて、俺たちは別れた。
あの後で、これだ。
何かあったのか?
あのまま、行かせなければよかった!
スマートフォンを取り出し、彩花の番号に発信をするが、電源が切られているという案内が流れた。
くそ!
「くそぉ!」
思わず、声に出していた。
「トモ」
親父の声で、振り返ると、目があった。
「車、俺がなんとかする。お前、確かめたいんじゃないのか? 彼女が無事かどうか」
「……うん」
「行け。車は俺が受け持つ」
「親父、危なくなったら逃げろよ」
「当たり前だ。危険を感じたら、天露山に逃げ込んで、警察の到着を待つよ……いや、実際、もう逃げ出したいけどな」
そう言って笑みを作った親父に、俺は笑みを返した。




