第十八話
五月十三日、水曜日。
仕事を終えて、帰宅しようと席を立った時、上司に呼ばれた。
「村上、ちょっと」
「はい」
根本課長が、会議室をちらりと見る。
何かやらかしたか? と思うも心当たりはない。
会議室に入ると、根本課長が俺の横に座る……ということは、もっと上の人が来るな。
本社への異動を断ったこと? それにしては遅すぎるし、本部長の話では、工場長は残してくれと言ったと聞いている。
なんだろう?
篠原工場長が姿を見せて、会議室のドアを閉めて対面に座るのを、俺と課長は立って迎えた。
「お疲れ様、座ってくれ」
「失礼します」
課長が着席し、俺が続く。
「村上、最近どうだ?」
工場長のオープンな質問に、俺は答えに困ったが笑みを作る。
「体調はいいですし、困ったこともありません」
「そうか……根本課長とも話をしたんだが……住所、天露村だったんだな」
なるほど。
そっちの話か。
「村上のご家族も?」
「そうです。父と……住んでいますが」
篠原工場長は、難しい顔のままだ。
「いや、すまない。ご家族のことを質すのはどうかと思ったが……わかった。実は、工場に怪文書が届いてな。工場長宛に」
……輝く未来の会、あるいは村長派の仕業だと勘付く。
あいつらは……本当に人を後ろから刺すことばかりしやがる! という反発を覚えた時、工場長が笑みを作った。
「怒るな。相手にするわけじゃないんだ……ただ、どうして村上がこんなことを言われないといけないのかと不思議だった。根本課長に相談したら、村上が天露村に住んでいるからではないかとなってな」
根本課長が、怪文書を卓上に置いた。
「拝見してもよろしいでしょうか?」
俺が尋ねると、工場長が頷くも、口を開く。
「気分が悪くなるから、おすすめできないぞ」
「……反対する理由が増えるので、読みます」
工場長と課長が同時に苦笑し、俺はその怪文書を手に取る。
内容は……村上家族は差別主義者で最低の人間たちである。特に息子の村上智則は、工場内で外国人労働者を差別し、不当な暴力を働いている。また彼らから、彼らの給与の一部を現金で受け取っている……というものだ。
俺は懸命に自制し、怪文書を置いた。
工場長が、怪文書を手に取ると、俺の目の前で破りながら言う。
「村上が、誰かに恨まれるようなことをするかな? と……しかも、怪文書なんてものを寄越してくる、どうかしている奴に目をつけられるようなことを? と不思議に思ってね。でもこれは、もしかしたら、村上の身が危険ではないかとも思って、根本課長に相談したんだ」
根本課長が、継ぐように話す。
「それで、私が工場長に天露村が住所だと話したんだ……今、大騒ぎじゃないか?」
「ええ……村役場は毎日、報道陣が押し寄せてますよ」
俺が言ったことは、事実だ。
村役場には、村長に取材をしたい報道関係の人たちが集まっているが、村長はスケジュールを理由に取材に応じない。
また、輝く未来の会の村事務所にも報道関係者たちが押し寄せたが、班目は表に出ていなかった。
工場長が、躊躇いがちに言う。
「東京……戻るか? 春の人事で……本部長から君が残ると聞いた時は喜んだが、事情が事情だ……お父様と相談してみたらどうだ?」
……彩花をあっさりと切った同じ組織とは思えない。
俺は、不思議なことに苛立ちを覚えていた。
二人の上司は、俺のことを心配して、そう言ってくれているのはわかっている。そして、彼らが動けば、季節外れの人事で俺が東京に戻ることもできると理解できた。
どうして……ここで働きたかった彩花を切って、東京に戻りたがっていた男に親切なんだ?
二人に、というよりも、組織への不満が俺の中で渦巻く。
「東京に戻る?」
俺は、怪文書を読んだことで汚れている気持ちと、彩花のことでの腹立たしさで、唸るように言っていた。
「……どうした?」
驚いた根本課長の声。
「……戻りません……戻りませんよ! こんな時に、戻るわけないでしょ!」
思わず立ち上がっていた。
根本課長が、腰を浮かして俺の肩に手を置く。
深呼吸をして、着席して頭を下げた。
「申し訳ございません……失礼をお詫びします」
「いや……俺のほうこそ失礼だった。君の気持ちを無視していた。わかった」
工場長の面談が、終わった。
席に戻り、トートバッグを手に取ろうとしたが片方の持ち手だけを掴んで持ち上げたせいで、中身がバラバラと落ちてしまった。
「あ、やべ」
「大丈夫ですか?」
後ろの席の飯島さんが、落ちた荷物を拾うのを手伝ってくれた。
「すみません」
「あれ? なんです? これ」
例の、木下が記したノートの写真を印刷して、クリップで留めて持ち歩いていたが、それを見られた。
「調べものの手がかり」
「ふーん……上社って、諏訪大社のことを調べてたんですか?」
「上社?」
上社なんて書いてあったか? と思って彼女が拾ってくれた画像の束を受け取る。
「ほら、ここです」
ヒ社と書かれている箇所を、飯島さんは指していた。
「ヒシャ? のこと?」
「え? これ、上という字じゃないですか?」
ヒ、が上?
「わたしも急ぐ時、こうグルっと書いちゃいます」
彼女が、右手をクルっと回して書く真似をして見せる。
「上社……?」
俺は呟き、写真に見入った。
「ええ、上社って諏訪大社上社のことじゃないんですか? わたしはてっきり、そう思いましたけど……村上主任?」
「あ、いや、ありがとうございます。そうだ……上社だ、これ」
バッグを抱えるように持ち、駐車場へと向かいながらスマートフォンで検索する。
諏訪大社上社。
いちいち説明を求めるまでもなく、知っている。
俺たちが暮らす、このエリアで生まれ育った人たちにとって、上社と言えば、多くの人は諏訪大社上社を連想するだろう。
もちろん、この神社が輝く未来の会と関係があるとは思わない。
上社と同じ頁に書かれた文字は、まつり。
上社の祭りといえば、御頭祭を連想できる。
木下という人物の出自はわからない。
だが、少なくとも俺たちと同じように、「上社」と「御頭祭」を結びつけられる人間だった。
車に乗り、帰路につく。
運転しながら、頭の中はメモの内容と、御頭祭のことばかり。
鳥や獣、魚などを神様にお供えするお祭りだ。
昔は、七十五頭分の鹿の頭が献じられたという話も、知っていた。
メモに残されていた、他の言葉と併せて考えてみる。
ミライという神様に、百八のお供えを並べるとやばい。
意味は、通じるのではないか?
車は、天露村に入った。
報道関係の車と思われるバンと、何度もすれ違う。
橋のところで、神社がある北地区へと曲がった。
天露村に、輝く未来の会の人たちが集まる理由。
あそこが、お供えをする場所?
そういえば、あの教団では、肉類は教えに準じたしめ方をしないと食べてはダメだという決まりがあったと思いだす。
その方法でしめられた供物を、お供えするんだろうか。
神社の前を通過し、家の駐車スペースに車を入れる。
そしてそのまま、家には入らず神社へと徒歩で戻った。
鳥居をくぐり、階段をあがって境内広場に入る。
ドキリとした。
真ん中に、ぽつんと人が立っていたのだ。
だけど、その人が彩花だとわかり、安堵する。そして同時に、そこで何をしているんだろうかと疑問を覚えた。
彼女のほうも、最初は驚いて身構えたが、すぐに安堵の表情となった。
「先輩……」
「おつかれさま」
彼女の正面に立つと、ひさしぶりで照れくさかった。
「びっくりしました。教団の人かと……」
「何? さぼり?」
わざと冗談を言い、彼女を笑わせる。
彩花は、可愛い笑みのまま、首を左右に振った。
「いえ、ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「はい……あ、でも大丈夫です。お店、戻らないと。失礼します」
俺に隠し事をしていると、わかった。だけど、俺と一緒にいるところを、教団の関係者に見られるのは避けたいのだろう。
神社の階段を降りていく彩花を、俺は見送ることしかできない。
夕暮れの下に、天露村がある。
違和感で、俺はじっと南方向を睨んだ。
夕暮れに染まっている空の色が、おかしいのだとわかる。
墓地の上空だけ、夕暮れがくりぬかれたように黒かった。
ふと、足元を見ると白猫がいて、俺を見上げていた。
白猫は、瞬きをすると俺の足の間をするりと抜けて離れていく。
再び、南の方向を眺めた。
先ほどまでの異変は見当たらず、夕暮れの空が広がるのみだ。
おかしなことで悩みすぎたせいで、おかしくなっているのかと自嘲して、神社を離れた。
-・-・-・-・-
五月二十四日、日曜日。
昼飯を食べようとしていた時に、その着信があった。
弾正町の山村議員からだ。
「もしもし、村上です」
『もしもし、お世話になります。山村です。突然、ごめんなさい』
「とんでもありません。先日はありがとうございました」
『いえ、お役に立てなくて……でも、ニュースは追ってます。高木先生、すばらしい先生ですね。こういう方が自治体にいてくれるなんて、天露村は運がよかったと思います』
「弾正町には、山村先生がいてくださったじゃないですか」
俺の言葉に、彼女は照れ笑いをして、本題に入った。
『私なんて……すみません、電話したのは、先日の件の続報というか、あまりよくない連絡なんですけど……』
「……なんでしょうか」
親父がキッチンから、ざるうどんをダイニングに運んできた。
『木下君、見つかったの』
俺は、山村議員の言い方に、よくないことを想像した。
「……彼は?」
『弾正町の笛森神社……の裏山で、見つかったの』
「……ご無事ではなかったんですね?」
『……そう。もう……時間が経った状態だった』
「……埋められていたんですか?」
俺の質問は、ざるうどんを運んできた親父に聞かれていた。
親父は、俺を見て動きを止める。テーブルの上にざるうどんを置いたまま、つゆの入った椀を手に俺を見ていた。
『そう……たまたま、町から委託を受けた業者が枝打ちに入っていたところ、猪だと思うのだけど、地面を掘って、何かを掘り返していたのね。それで、埋められていた一部から臭いがして、業者の方が連絡したのよ』
山村議員はそこで一呼吸おいて、俺の相槌を挟んでから続けた。
『こちらでは、警察が捜査を始めたところ。伝えたくて』
「ありがとうございます。反対派の皆と共有します」
『……気を付けて。わたしは、木下君はやはり殺されて埋められたと思っているから……高木先生にもよろしくお伝えしてください』
「はい、ありがとうございます」
電話を終えた俺の目の前に、つゆの入った椀が置かれた。
親父が対面に腰掛け、椀を手に俺を見る。
「何かあったのか?」
「うん……前に、弾正町の議員さんに協力してもらった画像、覚えてるよな?」
「ああ……あのミライはどうのこうのと、気味悪いことを書いてたやつだろ?」
「あれを書いた人、弾正町の神社の裏山で、埋められていたのが発見されたらしい」
親父は箸の動きを止めて、俺を見ていた。
俺は、うどんを箸でつまみ、つゆに浸して啜る。
親父が、俺の啜る音で我に返ったかのように、箸を動かした。
「トモ、それは輝く未来の会の仕業という証拠が出たのか?」
「いや、山村先生……弾正町の町議会の先生はそう思っているみたいだけど、証拠はまだ見つかってないだろう。教団にスパイ行為を仕掛けていた男性が行方不明だったけど、遺体で見つかったということ」
「……」
親父はそこで、スマートフォンを手にして耳にあてる。
高木さんに電話をしたのだと、聞かなくてもわかった。
「もしもし、お疲れ……おう、大丈夫……ああ、それで、ちょっと耳にいれておきたいことがある」
親父は、俺をちらりと見て、続けた。
「うちのトモが訪ねた弾正町の山村議員から、トモに連絡があった。例の、輝く未来の会を調べていた人、行方不明だったが遺体で発見されたそうだ。弾正町の神社の裏山……そう……トモ、山村議員の連絡先、わかるか?」
俺は着信履歴を親父に見せながら、口を開く。
「連絡とるなら、山村先生にそう伝えておくよ」
「頼む……高木、番号は……あ? わかった。ショートメッセージで送る。ああ、じゃ」
親父はスマートフォンをテーブルに置き、うどんを箸でつまんでつゆに浸す。だが掴み上げず、つゆに浸ったうどんを、じっと見つめていた。
「親父?」
「あ……ああ……トモ」
「ん?」
「このあと、空いているか?」
「空いてるけど……」
「墓参り、行かないか?」
珍しい誘いだけど、親父の気持ちはなんとなく理解できた。
今、俺たちは反対派の中枢に近いところにいる。
神頼み、仏頼みをしたくなる気持ちはわかった。
それに、二人そろって危ないことに首を突っ込んでいると母さんが知ると、たぶん……叱った後、背中を押してくれるに違いない。
親父との昼食は、うどんを啜る音だけが賑やかだった。




