第十七話
五月三日、日曜日。
直哉の家に入ると、宏君が飛びついてきた。
「トモおじちゃん!」
「トモお兄ちゃんだぞ。これ、おみやげ」
「やったー!」
宏君はどういうわけか、重機のおもちゃが大好きで、集めている。今日は木佐呉で買っておいたショベルカーをプレゼントした。
「いつもすみません」
菜々美さんの笑顔に、俺は会釈で返す。
「真帆先生、来てますよ」
「うん、お邪魔します」
露田家のダイニングには、直哉と真帆がいた。
「おす、お疲れ」
直哉の挨拶に、「お疲れ」と返しながら空いた椅子に座る。真帆は昼間からレモンサワーの缶を持っていて、見れば直哉も同じく酒を飲んでいた。
「まだ午前だぞ」
「祝杯」
直哉がニヤリとして言い、俺にハイボール缶を差し出す。受け取り、二人と缶をぶつけ合って、一口飲んだ。
よく冷えていて、美味しい。
菜々美さんが作ったと思われる唐揚げが、テーブルの上に山盛りになっている。
遠慮なく箸を伸ばして、食べた。
「うまい!」
「それ、俺が作った」
「え?」
驚くと、真帆が笑う。
「でしょ? 直哉が料理? て思ったけど、ノンフライヤーを買ってから唐揚げを作るのにハマったらしいよ」
彼女がそう言った時、ハイボールとレモンサワーの缶を盆にたくさん乗せた菜々美さんがキッチンから姿を見せた。
彼女は盆をテーブルに置きながら、口を開く。
「最近、毎日、唐揚げでうんざりなんですよ。ヒロは喜んでますけどね」
「うるさい。お前も飲めよ」
「わたしはいい。買い物に行きたいから」
「ああ、ヒロは?」
「連れてく。帰りにハンバーグ食べて帰るから。じゃ村上さん、真帆先生、こいつが酔っぱらわないようにお願いします」
買い物に出かけたいというのは、俺たちが遠慮しないようにという気遣いだろう。
「直哉には、本当にもったいない奥さんだよなぁ。俺が告白すればよかった」
茶化すと、直哉が俺を睨むが、口元が笑っているのでふざけているのはわかっていた。
「そういえば、彩花ちゃんとはその後は?」
真帆……聞いてくれるな。
無言でうなだれることで、二人には伝わる。
俺は、二人に隠し事をするつもりはないので、そのままのことを話した。
「やっぱり、彼女は望まなくてもあちら側で……それに、事情が事情だろう? 彼女一人じゃない。ご両親がいるから……教団から睨まれるようなことはしたくないだろう」
「いい子だよな」
直哉はそう言うと、空になった缶を握りつぶす。
「ムカつく。あんないい子がいろんなことの犠牲になって」
「ほんと」
真帆が頷き、俺を見た。
「無理やり連れて、逃げちゃえば? 東京支社、いつ戻るの?」
乱暴な……と返そうと思ったが、そういえば、話していなかったと気づいた。
「断った」
短く言って、ハイボールを飲む。そして、唐揚げを箸で摘まんだ。
「断った?」
「断ったって?」
直哉と真帆が、俺を見る。
「春、東京に戻るかと聞かれたから、断った」
唐揚げを頬張り、咀嚼していると直哉が手を伸ばしてきて、俺の頭をパシンと叩く。
「いて」
真帆が、俺の背中をバチン! と叩いた。
「いたい! おい! 本気で叩くな」
「トモ。見直した。惚れそう」
真帆の冗談に笑ったが、直哉が真面目な顔になる。
「でも、良かったのか? 出世レースとかあるんだろ? 大企業は?」
「出世レースには縁がないよ、俺は……同期で出世コースに乗った奴らは、北米や欧州、南米に行ってる。俺はどちらかというと、レースからはこぼれ落ちたけど、組織の歯車としては価値があると思ってもらえている……感じかな」
「……ずっとこっちになるかもしれないぞ」
「だとしても、後悔はない」
俺はハイボールを飲み干し、二本目の缶に手を伸ばしながら続ける。
「俺はこの村のこと、あんまり好きじゃなかった。田舎で不便でダサくて……でも、戻ってきて、村がおかしくなっていくのを見ていると……腹が立ってさ」
ハイボールを飲み、二人が俺を見ていることに少し緊張した。
「……なに?」
「いいから続けてよ」
真帆に言われて、ハイボールの缶をテーブルに置く。
「やっぱり、故郷なんだよ。この村は、俺の」
「……もっと、かっこいいことを言うのかと思った」
真帆のからかいも、この時は少し嬉しかった。
「いや、かっこいい。さすが俺の親友。唐揚げ、もっと食べろ」
三人で笑った時、スマートフォンが振動する。
見ると、親父からの電話だった。
「もしもし」
『おう、ゴールデンウィーク明けの七日、午後八時。集会所に集まる。高木が、討論会のことや弁護士との話などを、説明すると言ってくれた』
「わかった。ちょっと待って……親父からで、七日の夜八時に、集会所で反対派が集まる。高木さんから、討論会や弁護士の説明があるって」
「俺も、真帆も参加で。いいな?」
「うん、もち」
「俺と直哉、真帆は参加」
『なんだ、三人でいるのか?』
「祝杯中です!」
直哉の大声は、電話の向こうの親父にも届いていて、笑い声が聞こえてきた。
俺はここで、親父に確認をする。
「高木さん、渡邊先生に、例のことはもう伝えたって?」
『ああ、そちらも調べてもらう』
電話を終えて、ハイボールに手を伸ばした。
例のこと。
班目は、小林だという件だ。
まだ、この件は公にしないことになっている。
俺から、この件の報告を受けた高木さんは、「まだ公開しないほうがいい」と言った。
一気に広がれば、班目に証拠を消されるなど、先回りされる恐れがあるという。
弁護士による動画の保存と、証拠として使えるかどうかの確認を終えてから、公の場で公開すべきだと、高木さんは考えていた。
いよいよ……本格的に反撃が始まる。
-・-・-・-・-
五月七日、木曜日。
仕事を終えて帰宅し、着替えて家を出た。
集会所に向かう道中、村の人たちとよく会うことに気づく。
皆、同じ方向へ向かっていた。
反対派の人たちだ……皆、後ろ指をさされたくないから隠していたけど、ネット討論会がきっかけとなり、勇気を出して集会所に行こうと思ってくれたんだろう。
「こんばんは」
何度か見かけた人だと思い、挨拶をすると向こうも気づいてくれた。
「ああ、こんばんは。見た?」
「もちろん、見ましたよ。親父と二人で」
こう返したところで、誰だっけと思い出そうとしていると、彼のほうから名乗ってくれた。
「村上さんだよね? 川上です、陣内の」
「ああ、どうも。橋をちょっとあがったところの?」
「そうです。いやぁ、二日の討論会、よかったなぁ。俺、三回も見ましたよ」
二人で会話をして歩いていると、集会所が見えてきた。
前回よりも、人が多いかも……。
直哉と真帆も、少し遅れて到着した。菜々美さんは家で宏君を見ているそうだ。
須永さんが、隣の高木さんと話し込んでいる。その横に、親父もいて、ネット討論会の司会者もいた。
ん? と思うと、集会所の外にはカメラを構えた数名が待機している。
撮影?
「少し早いですが、大勢お越しのようで、始めたいと思います」
高木さんが、マイクを使って話した。
「最初に、株式会社メディアブリッジ東京の兵頭様をご紹介します。今回、この集会の様子を撮影したいとお申し出いただきまして、快諾しました」
高木さんに紹介された兵頭氏が、マイクを借りて挨拶をする。
「株式会社メディアブリッジ東京の兵頭です。この度はお世話になります。二日に、高木先生とご縁いただき、またこの天露村の問題を私は表層でしか知ることができていないと感じ、撮影許可をお願いしたところ、快諾いただきましたのでお邪魔しております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
高木さんが、再びマイクを握った。
「前回のように、この集会の様子が加工されないよう、ここは撮影してもらったほうがいいと思い、こうした次第です」
高木さんの説明に、集まっていた面々が一斉に拍手をする。
「それでは、私から説明をさせていただきます」
高木さんによる、これまで明るみにされていなかった動きと、これからの予定が話された。
高木さんは、俺から紹介を受けた渡邊法律事務所に、ネット上で拡散されている嘘の情報と人格攻撃への対策を相談した。そして、渡邊先生が動画を投稿し反対派を貶めていた投稿主たちへと、一斉に法的措置をとると通知をし、そのうちの一人から、謝罪と情報提供を受けている。
今後、司法手続きを経て公開されていく情報は、証拠となっていくだろう。
また、投稿主たちは二日のネット討論会を視聴していて、謝罪の連絡と協力の申し出を受けているとも話した。
三十分ほどの説明の後、質疑応答となる。
直哉が、手を挙げた。
「高木先生、お疲れ様です。露田直哉です。父の代わりに、参りました」
「露田君、お疲れ様です。大変な時に、本当にありがとう」
高木さんは頭を下げ、ハンカチで目頭を押さえる。
「露田さんには、本当に悪いことをしました……本当に、申し訳ないことを……病気だとわかっていたのに、ここに立たせるようなことをして本当に申し訳ございませんでした」
高木さんが、深く頭を下げたまま、ハンカチで目を何度も拭くのが見える。
「いえ、父は喜んでいました。ここに立たせてもらって、喜んでいました。今日は一言、お伝えしたいと思って……大変な状況だったのに、一人で矢面に立って、批判にも負けず……村のためにご尽力くださって、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。以上です」
直哉が、口を閉じた。
俺は、拍手をする。
真帆も、隣の人たちも。
集会所に集まった人たちが、高木さんのために、拍手をした。
高木さんは、会の最後にこう話した。
「村長に対しては、まず公開質問状を出します。それでも説明を拒むようであれば、解職請求、いわゆるリコールの動きをとることも視野に入れます」
集会が終わり、親父は高木さんたちと話があるというので、一人で帰路につく。
今度は、白い奴らの尾行はなかった。
物事がいい方向へ進むと、夜空を見上げる余裕もできたと感じる。
よく晴れていて、美しい夜空と月がキレイだった。
歩きながら、高木さんが発言したこれからのことを考える。
リコール。
簡単なことじゃない。村の有権者の三分の一以上の署名が必要だからだ。
輝く未来の会の信者が増えている現在、この三分の一が集まるだろうか?
三叉路まで戻ってきたところで、いつもなら灯りがついている家々が、今日は暗いと気づいた。この村の北部の空き家は、輝く未来の会の出家信者たちに次々と貸し出されていたはずだが……。
疑問は、神社の鳥居が見えてきた時、解けた。
白い人たちが、ぞろぞろと鳥居をくぐり、階段をのぼっていく。
気づけば、俺の後ろにも、白い恰好をした人たちがぽつぽつと歩いていた。
皆、神社に向かっているようだ。
俺はスマートフォンで電話をするフリをして、後ろの人たちが通り過ぎるまで立ち止まった。そして、彼らから距離をとり、神社の裏手に通じる道に向かう。
直感が、訴えていた。
何をやっているか、確認しろ。
スマートフォンの電源を切り、裏道から神社へと入る。灯籠の影に隠れ、社殿の床下へともぐりこんだ。カビくさいが、耐えられないほどじゃない。
少しずつ進み、境内広場に集まる輝く未来の会の信者たちを盗み見る。
前回よりも、大胆になれているのは、俺の覚悟が決まっているからだろう。
「このままでは、また追い出されてしまいます!」
「教祖様は、本当にあのような捏造をおこなっていたのですか?」
「教祖様は、どうしてお話をしてくださらないのです?」
「小林様! なんとか言ってください」
「小林様! あの報道は嘘ですよね? 教祖様が、まさかあのようなことをなさってはおられませんよね?」
青年部理事の小林は、信者たちに囲まれて、彼らの訴えを黙って聞いていた。
近藤と数名が、その小林を守るように立っている。
輝く未来の会の内部も、あの動画と、その後の報道が理由でゴタゴタしているのだ……。
潮目が変わるとは、まさにこのことだというように、あのネット討論会の前と後では、メディアの報じ方ががらっと変わった。
それまで、閉鎖的な村の住民たちが、外部から村をよくするために移住してきた人たちを追い出そうとしていたような報じ方だった。
しかし、ここ二日ほどは、過疎自治体が移住者たちに振り回されているという報じ方に転じている。ひどいところでは、新興宗教による村の乗っ取りと発言するコメンテーターまでいた。
「お前ら! 教祖様が信じられないのか!」
近藤が大きな声を出し、信者たちが静まる。
ここで、小林が近藤の肩に手をおいた。
二人は、囁く声量で会話をしたようだ。俺のところには、二人の話す内容は聞こえてこない。
それから小林が、信者たちに向かって言う。
「班目様には、班目様のお考えがございます。それを私たちが論じるのは、ミライに背くことになります」
彼はそこで信者たちに向かって、手を払うような所作をした。
波がひくように、信者たちが一斉に膝をつく。
一人の男に、その場にいた全員がひれ伏す異様な光景。
「あなた達の不安はよくわかりました。私のほうから、ミライに申し上げ、班目様をお導きくださるようお祈りしておきますので、安心してください」
この青年部理事の小林と、班目を名乗る小林はどういう関係なのか? 偶然同じ苗字だった、で片付けるにはできすぎている。
二人が親子だったら……?
ここで思考を止めて、深呼吸をする。
輝く未来の会の人たちが、彼らの祈りの声をあげ始めたのだ。しかしそれは、言葉というよりただの声で、低い声から高い声へと変化させていく叫びという表現が近いかもしれない。
それを、飽きもせずに、何度も、何度も、繰り返す。
異常な集団の中心に立つ若い男が、手を夜空へと突き上げる。ちょうど、その先には月があった。
幻覚かと思うほどに、月がぐらりと揺れたように見える。
瞬きをして、再び月を見た。
……今夜は、満月だったか?
いや……集会所を出た時は、三日月だったよな?
言葉にできない不気味さで、俺はもうこれ以上、ここにいたくないと感じる。
音を立てないように、慎重に裏手へと戻った。
誰もいない……誰にも、見られていない。
走り出したい欲求を懸命にこらえ、静かに神社を離れた。




