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Ep.03 神戸

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

「普段は何で撮ってるの?」

「仕事は一眼ですね。プライベートはほとんどスマホですけど」


仕事ではたくさんの機材を使い分けるのに、今の自分を一番救ってくれるのは、ポケットから数秒で取り出せるこの薄い板だ。


「なんで分けてるの?」

「…いや、まあ、なんというか……仕事以外でファインダーを覗くのは覚悟がいるけれど、スマホ越しなら、現実を少し遠いコンテンツとして眺められるというか…楽、なんですかねぇ」

「ふーん」


波と戯れるように進む船体。

誰かの笑い声に混じるエンジン音。


「大事な時にさ」

「……?」

「ちゃんと撮らないんだね」


船は水面を押し分けて進む。

遠くで鳴くカモメの声。

何事もないように穏やかな船内で、俺だけがその一言に捕まった。

船底から伝わる低い振動が、胸の奥の同じ場所を叩き続ける。

直美は、静かに海を見つめながら言った。

俺はカメラを肩に戻し、控えめに深呼吸する。


「…今は怖いんです。ちゃんと撮ろうとすると、全部が重すぎて」


ポケットからスマホを出す。

その軽さが、妙に心を落ち着かせる。

相棒は、構えた瞬間に“ちゃんと撮ること”を求めてくる。

ピントも、構図も、その一枚に意味を持たせようとしてしまう。

世界が固まる。

切り取れば、その瞬間から“残るもの”になる。

だからこそ、慎重になってしまうのかもしれない。

思い出の一枚を残そうとするほど、それは“今”じゃなくなる気がする。

切り取った瞬間に、もう過去に押しやられてしまうようで。

だから、どうしても構えきれない。

でもスマホは違う。

流れるままに切り取って、気に入らなければ消せばいい。

残すことに責任を持たなくていい。

残すかどうかすら、曖昧なままにしておける。

その距離感が、今の自分にはちょうどよかった。


「でも、これなら気楽に撮れる。逃げかもしれません。だけど、まだ触れるんです」


スマホを手にしたまま、海を眺める。

指先で軽く画面をなぞりながら、現実と少し距離を置くような感覚に浸る。


「ねえ」


直美が、さっきよりほんの少しだけ低い声で言った。

言い淀むように、彷徨いていた視線がかち合う。


「変なこと聞いていい?」


波の音に紛れそうなその声が、やけにはっきりと耳に残る。


「……なんですか」

「なんで、船に乗ろうと思ったの?」


一瞬、呼吸が止まった。

言葉を探す。


「……わからないです。昔、彼女と乗った気がして」


懐かしくて。

自分でも驚くほど、あっさりとした答えだった。

懐かしさが胸を満たす。

直美は少し目を細め、微かに笑ったような表情を浮かべる。


「そっか……過去を振り返るのも悪くないよね」


その言葉には、何か確かめるような余韻が含まれていた。

それ以後は、会話もなく。

それぞれが静かに海を眺めた。

やがて、船は岸に近づく。

乗客たちが下船する中、直美も立ち上がり、俺に軽く微笑んだ。


「じゃあね」


それだけ言って、直美は先に降りた。

一瞬だけ、振り返る。


「……撮りなよ」


軽く顎で、相棒の方を示す。


「下手でもさ」


それだけ言って、今度こそ行ってしまう。

その言葉に、少し救われた気がした。

港の光景も、今は過去と現在をつなぐ舞台になっている。


「ありがとう。直美さんも」


別れ際の短い言葉だけど、心に温かさが残る。

港の風が頬を撫で、波の音がやや遠ざかる。

降り立った硬い地面の感触に、ふわふわとした感覚から現実が少しだけ戻ってきた。

予定通り、腹ごしらえをしようとumieの建物内を歩き回る。

あの時、何を食べたのか──思い出せない。

フロアマップを見ても、見たような見てないような、確信のある店がない。

角を曲がり、通路を迷いながら、かすかな記憶と今の景色を重ねる。

どの通路も、かつての記憶とは少し違って見え、立ち止まる。

目の前の吹き抜けに、なんとなくポケットからスマホを取り出す。

画面越しに、景色を見る。


  カシャ


確認もせずに、ポケットに戻した。

それで、よかった。

今、確認してしまうのは、怖いから。

ただ、今この瞬間に触れたという事実だけが残ればいい気がした。

ぐぅ、と腹の虫の訴えに、さて、と切り替える。

ピンとくる店はなかった。

結局、今の気分で選ぶしかない。

迷った末に目についたバーガーショップに入り、オススメを注文する。

テーブルに座ると、昔の笑い声が耳の奥で揺れた。

スマホで撮ろうかと思ったが、やっぱりそのまま目の前の料理に集中する。

こういうのは、彼女が必ず撮っていた。

あたたかいうちに食べよう、と急かしながら、撮り終わるのを待ったこともある。

香りが鼻をくすぐり、手に触れる熱にほっとした。

バンズの焼き目も食欲をそそる。

かぶりつくと、濃いめのソースと肉の旨みが口いっぱいに広がった。

無意識が、隣に誰もいない現実を突きつけてくる。

笑い声も、会話もない。

けれど、それでいい。

誰かとじゃなくても成立する時間を味わう。

食べるという行為が、今の時間を静かに刻んでくれる。

ひと口、またひと口。

あたたかさと香りが、ゆるゆると心の奥を柔らかくしていく。

食べ終える頃には、ほんの少しだけ肩の力が抜けた気がした。

写真を撮ることも、過去を思い出すことも、まだ怖い。

でも、この小さな時間は確かに今に繋がっている。

ゆっくりと食べ終えてから店を出て、街を歩く。

三宮まで歩いて、マップを頼りにかつての順路を辿る。

今は季節が違うため、電飾は欠片もない。

けれどあの年の冬、ルミナリエの光に二人で包まれながら歩いたことは覚えている。

あの時、ここに巨大な光の回廊があったんだ。

煌めく光のトンネルの、一番最後を抜けた後、彼女はふと笑って言った。


 「また来ようね」


俺も笑って頷いた。

その時は、心のどこかで『いつでも来れる』と思っていた。

今、その景色の余韻に浸りながら、もう隣には誰もいないことを実感する。

温もりはもう届かない。

駅へと戻る道すがら、街灯やイルミネーションに照らされた路上を楽しんだあの時の帰り道で、彼女が露店で写真を買っていたことも思い出す。

彼女は二枚の写真を買っていた。


 「宝物にする」


あの時、彼女は黒い台紙に貼られた写真を見せびらかすように笑っていた。

横に長い紙に焼かれた光景は、今でも手元で輝いているのだろうか。

風が頬を撫で、車の音が耳に響く。

振り返ると、観覧車もポートタワーも小さくなっていた。

あの時感じた胸の高鳴りは、時間の流れと共に、静かに遠ざかっている。


──あの時も、こうして見ていただろうか


港の光景と、思い出のなかのルミナリエ。

そして自分の手の中にある相棒を交互に見つめながら、俺は足を踏み出す。

列車の時間が迫る。

過去を抱えつつ次の目的地へと向かうために、一歩ずつ前に進む。

駅までの道。

昔と変わらぬだろう角のパン屋や、整備された歩道、そして観光客の姿。

それでも、記憶の中の街と完全に重なることはない。

駅に着いて、ロッカーからスーツケースを取り出す。

自動改札の冷たい感触に現実がより鮮明になる。

ホームで待つ間、足元で小さく波打つ人々の影を眺める。

列車の音が遠くから徐々に近づき、扉が開くと、軽く息を整えて乗り込む。

肩にかけたD800Eに触れた。

直美にエールをもらっても、この相棒が軽くなることはない。

けれど。

今朝よりは、少しだけマシかもしれない。

それが本当かどうかも、よくわからないまま。

次の駅でなら、またレンズキャップを外せるかもしれない。

指先がレンズキャップの縁に触れる。

外すつもりはない。

ただ、その感触を確かめるだけで、少しだけ距離が縮まった気がした。

そんな、根拠のない予感だけを乗せて、列車は滑り出す。

車窓から流れる景色は、港の思い出を静かに背中から押してくれる。

次の町へ向かう道程は、まだ未知だ。

だけど歩き出す足には、朝よりはほんの僅かに、力が戻ってきていたのかもしれない。


ご一読いただき、感謝いたします

引き続きお楽しみいただけましたら幸いです

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