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20/22

Ep.20 苅田

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

列車が小倉駅を離れた瞬間、車体がわずかに揺れ、その振動が座席の背もたれを通して静かに伝わって、胸の奥のざわつきと重なった。

ゆっくりと速度を上げていく車窓に昼の光が反射し、ホームに残る人影を淡く照らす。

その光の揺れが、ふいに陽の笑ったときの目尻の柔らかさを思い出させた。

後ろへ流れていく駅名標が、まるで背中を押すように遠ざかっていく。

窓の外では、ビルの隙間を縫うように線路が伸びている。

並んだ室外機、駐車場の白線。

都会とも地方とも言い切れない景色が、一定の速さで後ろへ流れていった。

ビルのガラスに映る空の色が変わるたび、陽がよく言っていた言葉が胸の奥で蘇る。


 「空の色って、毎日違うんだよ」


その声の軽さが、今はやけに重い。

窓の外の空は淡い水色で、雲がゆっくりと形を変えていた。

陽なら、今日の空をどんなふうに言うだろう。

そんなことを考えてしまう自分が、少し情けなかった。

窓際に身体を預け、ぼんやりと外を見る。

車内は昼特有の静けさに包まれていた。

学生の笑い声も、朝の通勤客の慌ただしさもない。

吊り革だけが揺れに合わせて小さく鳴る。

向かいの席では、年配の夫婦が小さな声で昼飯の話をしていた。

少し離れた場所では、スーツ姿の男が目を閉じている。

誰も他人に興味を持っていない空気が、今はありがたかった。

街のざわめきは遠のき、代わりに列車の規則的な走行音が耳に馴染んでいく。

南小倉を過ぎる頃、住宅街の屋根が昼の光を受けて鈍く光る。

洗濯物が風に揺れ、その動きが陽の笑い方と重なった。

肩を揺らして笑うあの感じ。

誰かの日常が静かに続いている。

その穏やかさが、胸の奥のざわつきをほんの少しだけ和らげた。

やがて、遠くに山の稜線が見えてくる。

冬の名残をわずかに抱えた深い緑が、空の青とゆっくり溶け合っていた。

列車がカーブに差しかかると、車体が傾き、景色が滑るように流れていく。

その動きに合わせて、胸の奥の記憶も勝手に動き出す。


 「のりくん、こっちの席のほうが景色いいよー」


そう言って、陽はいつも窓側を譲ってくれた。

俺は景色なんてほとんど見ていなかったのに。

ただ、陽が隣にいることだけで十分だった。

下曽根に近づくと、視界が一気に開ける。

広い空の下に、工場地帯の銀色の屋根が規則正しく並び、太陽の光を反射してまぶしく光った。

その光の強さが、陽の笑顔の明るさと重なる。

どんな日でも、あいつは笑っていた。

その笑顔に、どれだけ救われていたか。

今さら気づくなんて、遅すぎる。

十三年。

長かったはずなのに、思い返すと途切れ途切れだ。

旅行に行った日。くだらないことで笑った夜。

コンビニでアイスを選びながら揉めたこと。

陽が眠そうな顔でソファに沈んでいた休日。

そんな断片ばかりが浮かんでは消えていく。

煙突から立ちのぼる白い煙が、風に押されながらゆっくりと上へ流れていく。

その白さは、どこか頼りなく、けれど確かに空へ向かって伸びていた。

海が見え始めたのは、その少し後だった。

最初は細い帯のように、遠くの光の中で揺れているだけだったが、列車が進むにつれてその存在感が増していく。

水面が広がり、光を散らす。

そのきらめきが、陽の声の余韻みたいに胸の奥で弾けた。


 「海って、落ち着くよね」


陽はよくそう言っていた。

海を見ているときの横顔は、いつも少しだけ遠くを見ているようで、触れられない場所にいるみたいだった。

その距離に気づいていたのに、見ないふりをしていた。

光を受けた海が、その向こうで白く滲む。

きらきらと反射する水面は、まるで無数の小さな欠片が散らばっているようで、目を細めたくなるほど眩しい。

潮の匂いは届かないはずなのに、胸の奥でふっと蘇るような感覚があった。

電車が揺れる。

その振動に合わせるように、胸の奥も落ち着かないまま揺れていた。

会ったら、何を言えばいいんだろう。


──なぜ終わりなのか


──俺が何もしなかったからいけなかったのか


──もう、無理なのか


考えるほど、どれも違う気がした。

本当に聞きたいことは、もっと単純なのかもしれない。


──まだ、俺にチャンスはあるのか?


そんな言葉、口にできるわけもないのに。

ホームに立つ制服姿の学生。

自販機の赤。照り返すコンクリート。

そのどれもが、妙に現実的で。

逆に自分だけが現実から浮いている気がした。

ふと、窓に映る自分の肩へ視線が落ちる。

そこに陽の手が乗る感覚を、身体だけがまだ覚えていた。

馬鹿みたいだと思う。

別れた相手に会いに行くためだけに電車へ乗って、心臓を掴まれたみたいに緊張している。

十代のガキじゃあるまいし、と自分で呆れそうになる。

それでも、会わずに帰る未来だけは、どうしても想像できなかった。

苅田が近づくにつれ、遠くに工場の巨大なタンクやクレーンが視界に入る。

無機質な風景なのに、どこか温度がある。

どこか生活の息づかいがある。

働く人々の姿は見えないが、昼の光に照らされたその風景は、確かに“動いている時間”を感じさせた。

陽と歩いた街の記憶が、風景の隙間から滲み出してくる。


 「ここ、夜になると綺麗なんだよ」


あのとき俺は、ただ頷いただけだった。

けれど今思えば、陽はあの景色を“誰かと共有したかった”のかもしれない。

意味を深く考えたことがなかったけれど、あのときの陽は何を思っていたのだろうか。

列車が速度を落とし始め、車輪の音が低くなる。

車輪がレールを擦る振動が、床下から響いた。


「次は、苅田―、苅田―」


車内アナウンスで流れた瞬間、喉がひどく乾いた。

手のひらが汗でじっとりと湿っている。

陽の故郷に足を踏み入れるというだけで、胸の奥がざわつく。

まるで、陽の時間に触れることを許されるのか試されているようだった。

窓の外で海と街と空が重なり、ひとつの景色としてまとまっていく。

その静かな変化を眺めながら、胸の奥の痛みがゆっくりと形を変えていくのを感じた。

苅田駅のホームが見えてくる。

白い駅名標が近づき、列車の影がホームに重なる。

ブレーキの振動が足元から伝わり、車体が静かに止まる。

ゆっくり息を吐き、膝の上のカメラバッグへ視線を落とした。

ストラップを握る指先に、じわりと汗が滲んでいる。

窓の外では、春の光を受けた線路が白く光っていた。

胸の奥がじわじわと熱を帯びていく。

逃げたいわけじゃない。

ただ、十三年分の時間が、今になって一気に肩にのしかかってくるみたいだ。

扉が開く前の、ほんの一瞬の静寂。

その短い間に、陽の声がふっと胸の奥で響いた。


 「のりくん、ようこそ苅田へ」


幻のような声だった。

けれど、その一言が背中を押した。

胸の奥で何かが小さく鳴る。

前へ進むための音だった。

故郷に帰るときの陽の表情が、俺は好きだ。

もうすぐ。

その実感だけが、胸の奥で静かに形になっていく。


ご一読いただき、感謝いたします

引き続きお楽しみいただけましたら幸いです

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