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18/22

Ep.18 小倉

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

列車が速度を落とし始めた。

レールの振動がわずかに変わり、車輪が街の気配を拾い始める。

窓の外に広がる景色はさっきまでの海の灰青が薄れ、代わりに街の乾いた光が車窓から滲み込んだ。

次の街が近づいている。

ビルの壁面に朝の光が跳ね返り、街路を照らしている。

その光は下関の柔らかい潮風を含んだそれとは違って、どこか硬質で、輪郭がはっきりしていた。

窓に映る自分の顔は、関門トンネルを抜けたときよりも少しだけ落ち着いて見える。

揺れはまだある。

けれど、その揺れはもう、昨日までのように足を止めるものではないと思いたい。

ホームが見えてきた。

人々の動きが、街のリズムをそのまま体現しているように見える。

急ぎ足のサラリーマン。

ゆっくりと歩く老夫婦。

スマホを見つめたまま立ち止まる学生。

それぞれが、それぞれの速度で進んでいる。

選んだ道を、選んだ歩幅で。

列車が完全に減速し、ホームの黄線が目の前で止まった。

深く息を吸う。

まだ答えはない。

ただ、進む方向がひとつだけ、薄く輪郭を持ち始めていた。

けれど、降りる準備だけはできている。

指先がカメラバッグのキーホルダーを無意識に探っていた。

ドアが開く音がして、温かい空気が足元に流れ込む。

ストラップを握り直してホームへ降りた。

カメラの重みで、肩に食い込むそれが、俺の足を地につけているような。

その重さが、今日ここに来た理由を無言で思い出させる。

ホームの床はわずかにざらついていて、靴底が吸い付くような感触があった。

そのわずかな抵抗が、前に進むことをためらわせる。

行けばいい。

行けば、何かが変わるかもしれない。

でも、行ったところで、何も変わらないかもしれない。

そんな考えが、波のように胸の内側を往復していた。

小倉駅の空気は、下関よりも乾いていて、どこか鉄の匂いが混じっている。

その空気で喉が少しだけ張りつく。

その感覚が、返事のないメッセージの画面とどこか似ていた。

乗り換えまでは、少し時間がある。

返信もないのに、このまま行ってもいいものか。

足早に乗り降りしていく乗客たち。

目の前の光景はどこもかしこも動いているのに、自分だけが少し遅れて世界に追いついているような感覚があった。

悩んだ末に、一度コンコースへ降り、宛もなく歩き出す。

その時だった。


「……道紀?」


背後から、自分の名前を呼ぶ声がした。

声が耳に触れた瞬間、胸の奥で何かが跳ね、背筋がわずかに強張った。

心臓が一拍、明らかにリズムを外す。

人混みのざわめきが一瞬だけ遠のき、耳の奥で自分の鼓動だけがはっきりと響いた。

足が止まるというより、地面に縫い付けられたように動かなくなった。

空気の温度が一瞬だけ変わった気がした。

駅のざわめきが遠のき、代わりに自分の呼吸の浅さだけがやけに大きく響く。

喉の奥が乾き、舌が上顎に張りつく。

振り返ろうとするのに、首の後ろの筋肉が固まって動かない。

背中に汗がじわりと滲むのが分かる。

ほんの数秒のはずなのに、時間が薄く伸びていくようだった。

反射的に振り返るまでの一拍が、妙に長く感じられる。

視線が合った瞬間、胸の奥に溜まっていた空気がふっと抜ける。

輝生だった。

最後にあった二年前と何も変わらない、朗らかな笑顔と瞼が少しだけ重そうに垂れ下がっている。


「やっぱり道紀だ!うわ、マジか……こんなとこで会うなんて、偶然すぎんだろ」


輝生が笑いながら近づいてくる。

歩み寄る足取りは落ち着いていて、声のトーンも昔より少し低い。

その自然な距離感に、胸の奥が少しだけ緩んだ。


「あれ?お前、一人?陽ちゃんは一緒じゃないのか?」


その名前が出た瞬間、足が止まった。


「……ああ。陽は、いない」

「え?」


輝生の眉がわずかに寄る。

それから視線を逸らし、コンコースを行き交う人の波を見つめた。


「……別れた。今、苅田に戻ってる」


言葉にすると、胸の奥に沈んでいた重さが少しだけ形を持ったような気がした。

輝生は驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりと息を吐いた。


「……そっか。いや、なんか……ごめん。知らずに言っちまって」

「いや、いいよ」


かすかに笑うと、輝生はしばらく俺の顔を見つめ、それから顎をしゃくった。


「乗り換えまで時間あるか?ちょっと茶でもしよう……話したら、楽になることもあんだろ」


その言い方は、昔と変わらない。

必要以上に踏み込まないけれど、放ってもおかない。

そんな輝生の性格が、そのまま滲んでいた。


「お前は時間大丈夫なのかよ」

「じゃなかったら聞かねえよ。心配すんな。無理にとは言わないけど」


精悍な目元が、ふっと溶けて少年のような柔らかさが浮かぶ。

一瞬だけ迷い、そして小さく頷いた。


「……わかった。奢れよ」

「なんでだよ」


二人は並んで歩き出す。

小倉駅の雑踏の中で、その歩幅はほんの少しだけ軽くなっていた。

コンコースに出ると、天井の高い空間に人々の声が反響していた。

そのざわめきの中を歩きながら、俺は自分の足音だけが妙に浮いて聞こえる気がした。

輝生の足取りは昔と変わらず一定で、歩幅を合わせるように半歩だけ速度を落としてくれている。

そのさりげない気遣いが、胸の奥にじんわりと染みた。

入店した店内は、朝の混雑が一段落した時間帯音楽が静かに流れている。

窓際の席に腰を下ろすと、コーヒーの香りがふっと鼻をくすぐる。

輝生はメニューを閉じ、こちらをじっと見た。


「……で、小倉にいるってことはさ」


言葉を選ぶように、少し間を置く。


「陽ちゃんに会いに行くつもりなんだろ?」


視線を落とし、カップの縁を指でなぞる。


「まあ、そうなんだけど………」


別れ話に発展した、あの日。

キッカケは些細なことだった。

もう何度めか分からないコンテストの結果を待つだけの日々。

今後はどうするのか、そんな話から始まったと思う。

外は夕暮れ。

彼女の左頬を掠める半逆光が、輪郭をオレンジに飛ばしていた。

その光景を見つめながら会話を重ねる度に、違和感があった。

今なら、分かる。

あの日の陽は、いつもより少しだけ静かだった。

言葉を選んでいるというより、言葉そのものを手放そうとしているような沈黙があった。

窓の外の夕陽がゆっくり沈んでいくたびに、部屋の色が変わっていく。

その変化に合わせるように、彼女の表情も少しずつ遠くなっていった。


 「もう、いいよ」


その一言の前に、ほんのわずかな呼吸の揺れがあった。

彼女は少しだけ笑っていた。

泣いているわけでも、怒っているわけでもない。

ただ、何かをそっと置いていくような、そんな声。

深刻な話をしている最中なのに、窓から差し込む光が綺麗すぎて。

無意識にレンズのピントリングを回したくなってしまった。

俺は何か言わなければと口を開いた。

けれど、喉の奥が固まって動かなかった。

漏れたのは空気だけだ。

陽の指先が膝の上でぎゅっと握られた。

その小さな仕草が、言葉よりも先に胸に刺さった。

あの時、俺は何を言えばよかったんだろう。

何を言えたんだろう。

答えは今も分からないまま。

あの日の沈黙は、今もまだ心の隅に置き去りのままだ。


「……“会って話したい”ってメッセージは送った。でも、まだ返事が来てない」

「確かに、返事がないのに行くのは、迷うよなぁ」


輝生は責めるような口調ではなかった。

むしろ、状況を丁寧に整理してくれているような声音だ。

けれど、だからこそ。

痛みを感じてしまうのだろうか。


「でもさ、道紀。お前、確かめたいんだろ?“もういいよ”の意味を」


その言葉に、胸の奥がひりつく。

小さく息を吐いた。


ご一読いただき、感謝いたします

引き続きお楽しみいただけましたら幸いです

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