Ep.17 小倉
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※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています
民宿の玄関の引き戸が、ガラガラと乾いた音を立てて閉まる。
その瞬間、下関の朝の空気が容赦なく頬を叩いた。
昨夜、厳さんと酌み交わした酒の熱はもうすっかり引いていて。
代わりに少し湿った潮の匂いが、身体の奥に残った重みを冷まし進めていくようだった。
けえこが玄関先まで見送りに出てきて、いつもの調子で笑った。
「また来んさいね。厳さんにも言うとくけぇ」
「はい。……お世話になりました」
頭を下げると、けえこは何か言いたげに口を開きかけて、結局「気ぃつけてね」とだけ言った。
厳はもう海に出ている。
その不在が、妙に胸に残った。
昨晩借りたリボン付きの入浴券は、彼らの手元にしっかりと戻った。
けれど、昨日まで重いとしか感じられなかったカメラバッグのストラップが、今は不思議と、肩に心地いい手応えを残している。
民宿を出ると、寝坊してしまったのもあり
朝の光が少し高い位置で街を照らしていた。
駅へと続く道を歩きながら、一度も振り返らなかった。
振り返れば、あの温もりに、また甘えてしまいそうだったから。
選ばんのも、選びよっちゃ──
耳の奥で、まだあの低い声が紡がれている。
網を入れるか入れないか、それを決めるのは自分自身だ、と。
口の奥に、朝食の鰆のかま焼きの香ばしさと脂の甘さがまだ残っていた。
あれも“走り”だったな、とふと思う。
昨日よりも静かな町は観光客の姿はまばらで、通勤の人々が淡々と歩いていく。
キャリーの車輪がアスファルトを擦る音だけが、自分の存在を確かめるようだ。
下関駅の改札へと向かう朝のコンコースは、昨日の昼下がりとは違って、どこか急ぎ足の生活の匂いに満ちていた。
小倉行きの切符を買い、改札前に差し掛かったときだった。
ふいに、子どもの笑い声が弾む。
改札の向こう側で、若い父親が小さな男の子と手を繋いでいた。
その横で、母親が笑いながら荷物を持ち直す。
何気ない家族連れ。
ただ、それだけのはずだった。
何かに気づいた子どもが、親の手をすり抜けて走ってくる。
一歩下がって道をあければ、男の子は一目散に改札を抜けて提灯の下に走って行き、ピョンピョンと跳ねている。
父親がこちらに軽く会釈した。
すみません、と小さく笑うその声。
(……厳さんに、似てる)
声の響き、雰囲気。
子どもを嗜める仕草。
笑ったときに目尻に寄る皺。
歩幅の取り方。
胸の奥が、わずかに揺れた。
撮れば、きっといい写真になる。
朝の光。家族の距離感。
でも、指は動かなかった。
親たちはそのまま改札を抜け、コンコースの外へと消えていく。
父親の背中は、どこか迷いのない歩き方をしていた。
その姿が、昨夜の厳の言葉を静かに呼び起こす。
選ばんままは、いつまでも続かんぞ──
晩酌を終えた時の。
畳に静かに沈んだその言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
選んだ人間の背中は、こんなにもまっすぐなんだ。
改札を抜けて、ホームへ上がる。
電車が入ってくる音がして、現実に引き戻された。
小倉行きの列車。
ドアが開くと、温かい空気が足元を撫でた。
乗り込む前に、一度だけ振り返る。
揺れはまだある。
胸の奥に残った揺れは、昨日までのそれとは違っていた。
まるで、少しだけ前へ押されているかのような。
「……行くか」
小さく息を吸い、列車に乗り込んだ。
ドアが閉まり、車体が静かに動き出す。
窓の外で、下関の街がゆっくりと後ろへ流れていく。
名残の街を離れ、走りの街へ向かう。
その境目に立っている自分を、ようやく少しだけ肯定できた気がした。
カメラバッグのポケットから小さな紙袋を取り出す。
キーホルダー。
買った理由は単純だった。
彼女が好きそうだったから。
それだけで十分なはずなのに、袋の重さが少しだけ過剰に感じられる。
小さく息を吐いて、窓の外を眺める。
海沿いに差しかかると、朝の光を受けた関門海峡が、薄い銀色の膜のように揺れていた。
潮の匂いはもう届かないのに、波のきらめきだけが窓越しに追いかけてくる。
遠く、関門橋が白い線のように伸びていて、そこを渡る車の影が小さく流れていく。
漁船が一隻、白い航跡を引きながら進んでいた。
昨日までいた街が、海の向こうにゆっくりと遠ざかっていくのが分かった。
しばらくして速度が落ちると、窓の外の景色がぐにゃりと歪み、一気に闇に飲み込まれた。
関門トンネルに入ったのだろう。
海底を潜るその空間に入った瞬間、それまでの乾いたレール音が、コンクリートの壁に反響して重く、くぐもった轟音へと変わる。
列車の車輪がレールを噛む一定のリズム。
窓に映る自分の顔は、金沢を出た時より少しだけ視線が定まっているように思えた。
長い闇。
ふと、昨晩からずっと擡げていた疑問が浮上する。
何故、広島の庭園を撮ったのか。
見せるために撮るのか?
共有するとは残すことなのか?
もう、見せる相手はいないのに。
「もういいよ、か」
瀬戸内の海を眺めながら何度も反芻された言葉が、海底の闇の中でまた浮かび上がってくる。
結局、何が「もういい」なのか。
未だに分からない。
答えは結局、どこにもなかった。
ただ、あの言葉を受け取った瞬間の。
胸の奥がすっと冷えていく感覚だけが、今も身体のどこかに沈殿している。
金沢を出てから今日まで、カメラを構えても指が動かなかった瞬間がいくつもあった。
撮ったところで、誰に見せるのか分からなかった。
十三年間、自然になっていた共有という行為が、急に宙ぶらりんになったまま。
手の中で重さだけを主張していた。
広島の庭園を撮ったときのことを思い出す。
あの静けさ。固く閉じた蕾の揺れ。
写真を確認したとき、胸の奥に小さな空洞が生まれた。
“見せる相手がいない”という事実が、思っていた以上に深く刺さっていた。
共有とは、残すことなのか。
それとも、誰かと同じ時間を生きることなのか。
俺の写真は、どちらのためにあるのだろう。
暗闇の中で考えると、答えはどれも輪郭が曖昧で、触れようとすると指の間からすり抜けていく。
レール音が少し跳ねた。
その瞬間、ふと気づく。
“分からないままでも、前に進むことはできる”という、当たり前のことに。
選ぶというのは、何かを決めることだけじゃない。
分からないからこそ。
分からないままでも、立ち止まらずに進むこともまた、選ぶという行為なのかもしれない。海底にいるという現実感が薄いまま揺られていると、鼓膜の圧迫感がふっと軽くなり、視界の先が白く弾けた。
目に飛び込んできたのは、北九州の少し煤けた、けれど力強い朝の光。
北九州の朝の光は、山口側のそれよりもわずかに硬く、どこか鉄の匂いを含んでいるように思えた。
湿り気を帯びた潮風の代わりに、工場地帯から流れてくる微かな油の匂いが混じるかもしれない。
門司の古い赤レンガの建物が車窓をかすめ、列車は一気に九州の地を滑り出していく。
褪せたりくすんだりしているレンガは、長い時間を積み重ねてきた街の呼吸のように、朝の光に照らされて鈍く彩られている。
かつて多くの船が行き交い、人と物が絶えず流れ込んだ港町の名残。
列車の速度に合わせて伸びたり縮んだりする影はまるで、過去と現在が交互に揺れながら追いかけてくるようだった。
遠くに見える海は、下関側よりも色が深い。
青というより、鉄を溶かしたような濃い灰青。
その上を、貨物船がゆっくりと滑っていく。
波の立ち方も違う。
潮の流れが変わるだけで、こんなにも海の表情が変わるのかと、思わず見入ってしまう。
昨晩、最後の一口を飲み込み、窓の外に目を向けた。
夜の海はどこまでも深く、深い藍色に染まっていた。
その暗闇の向こう側に、切り取るべき新しい光が待っているような気がしたのだ。
寝る前に送ったメッセージの返信は、まだない。
ご一読いただき、感謝いたします
引き続きお楽しみいただけましたら幸いです




