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第18話ー2

ミルコが身分を明かして説得しようとしたが、オクトはその腕を引いて、女将の言葉を遮るように外へ出た。


 裏手の奥まった暗い路地を歩きながら宿の看板を探し回っても、どこもかしこも「満室」を示す旗が掲げられている。 旗が上がっていないのは、通りの一番奥に佇む、ボロボロで小さない民宿だけだった。

二人は、藁にもすがる思いでその敷居をまたいだ。


「どこも聖女様の巡回のおかげで満室だったでしょう?」

「はあ……」

宿のお婆さんは、二人の様子を気にすることもなく、世間話を始めた。

「お客さんたちも、みんな聖女様のお姿を一目見ようと遠方から集まってきているのよ」

「そんなに有名な方なのですか?」


「さあねぇ? ……あら! うちも最後の『一部屋』しか空いていないけれど、そこでいいわね?」

老婆に尋ねられるがまま、二人は適当に相槌を打っていた。なんとか屋根の下へ入れることにはなったものの、三人同室の狭い部屋へと通されることとなった。



 一番奥の部屋へ入ると、オクトは、ミルコが荷物を置いてランプに火を灯すよりも先に、ラーナをベッドへ横たわらせた。彼女の身体を支えていた腕を離そうとしたとき、手足にそっと触れたオクトは、思わず息を呑んだ。指先から足先まで、驚くほど冷え切っていたのだ。


(どうして、こんなに冷たいんだ……?)

一瞬にして、胸の奥に嫌な予感が広がり、オクトが急いで白魔術を施そうとした。


その瞬間――。


「わーっはははははは!!!」


部屋の中に、地の底から響いてくるような、低く恐ろしい男の笑い声が轟いた。

ラーナはベッドの上で上体を起こし、片足を持ち上げるような姿勢のまま、目を細めていた。

その瞳の奥では、またしても真っ黒な炎がゆらりと瞬いている。


「おい、お前。よくも騙してくれたな?」

「なんだ?騙してなんかいないぞ!」

「全く……」


ラーナの身体に入り込んだ悪魔は、右腕をふわりと持ち上げ、空中に円を描くように動かした。すると、たちまち部屋中に黒い煙と炎が舞い上がった。室内の温度が急激に下がり、肌を刺すような冷気が広がった。ちょうど火をつけようとしていたミルコは、思わず寒気で身を屈めた。



「お前、今日、あの女を見ただろう?聖女だなんて呼ばれていた、あいつこそ悪魔だ」

「何を言っているんだ? お前と何か関係があるのか?」

「あいつの恐ろしい邪気にやられたのを見てただろう?この女の身体は、お前の口づけじゃないと治らないぞ?」

「何を……!!?」


悪の魔王が、別の身体を欲しがること以外の、別の人間について言及し始めたことに、オクトは強い違和感を覚えた。

(きちんと大事なことを聞き出さないと!何かこの呪いを解くヒントがあるかもしれない……っ!)


「なんだ?お前は、あの聖女と呼ばれている女性と関係があるのか?」

「大ありさ!あいつは、この女の親族だ」

「なんだと?!」


「この女の身体は、あの女と夫の言動によって歪められ、苦しめられている。お前が口づけをしない限り、この身体の激しい痛みは治らないぞ?」


(悪魔は何度も『口づけ』を求めてくる。直接的な唇と唇の接触は、きっと悪の力を増幅させるトリガーか何か危険な罠に違いない。……けれど、唇以外への接触なら、以前も大丈夫だったはずだ……!)


オクトがラーナの瞳を見つめたまま、頭の中で考えを整理していた、そのときだった。

ラーナの瞳の奥に潜んでいた魔王が、部屋の隅で固まっているミルコの姿を見つけた。


「なんだ!お前もいたのか!お前でもいいぞ!」

ラーナの身体がミルコの方へ向かおうとした瞬間、オクトは素早くその腕をつかんだ。

「俺にしろ。あいつの方へは行かせない」

「ははは! そうこなくっちゃ!」

悪魔はラーナの身体で、思いっきりオクトの方へ迫ってきた。

「痛むのはどこだ?手足だろう?」


オクトは、ラーナの身体を拒むことなく、その足元に跪いて、手を優しく包み込むように触れた。

「俺のキスの方がいいんだろ?」

「そうだ!!」

ラーナの右手をほんの少し持ち上げると、オクトはその手の甲に軽く唇を落とした。そして、何度も撫で回すように優しく触れていた。

「ああ!それだよ!」


続いて左手も同じように優しく持ち上げ、そっと口づけると、指先から手の甲にかけてゆっくりと唇を這わせた。さらに彼女をベッドに座らせ、今度は両足にも、ひとつひとつ丁寧に口づけていった。


(ラーナさんの柔らかくて白い指先が腫れてる……)


その間、オクトの指先は、ラーナの手や足を確かめるように滑らかに動き、気づかれないようにこっそりと薬草を塗り込みながら、必要な箇所を慎重に刺激していた。


その様子を目の当たりにしたミルコは、思わず気が遠くなりそうだった。

真っ白で柔らかな手。

甘いキャンディのように艶めく爪。

その指先の一つひとつに、オクトの赤い唇が触れ、つたっていく。

あまりにも親密で、あまりにも淫靡な光景に、ミルコは目のやり場に困っていた。



ベッドに座っていた魔王は、やがて身体をするりと横たえ、オクトを誘うように手を伸ばした。

「ねえ、こっちに来て」

柔らかな指先が彼の頬をなぞり、首筋を優しく撫でる。そのまま首元へ吸い付くように腕を回して、抱きついてきた。


(魔王は、俺にキスをさせるために、誘い込もうとしているんだろう。だけど、こちらも準備はすべて整った!!!)


オクトは魔王に悟られないよう、唇を奪われない距離を保ちながらも、彼女の身体を支え続けた。もちろん、密かな治療の手を止めるつもりはない。けれど、ラーナの甘い吐息や指先、首筋や胸元に触れる柔らかな肌の感触に、心臓が落ち着かないほど速く打ち始めていた。


「あなたの鼓動が、どんどん速くなっているわ」


魔王がそう囁き、ラーナの顔をしたままオクトの耳元へ唇を寄せた。そして、その耳たぶに軽く口づけた瞬間、オクトの口から思わず声が漏れた。

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