第17話ー4
(神官同士だったら、肩を抱き締めたり、飛びついたりできるのに……)
思わず触れたくなる気持ちを必死に抑えながら、二人は街の通りを抜け、小川沿いに人目の少ない場所を探して歩いた。しかし、どこへ行っても数人の人が洗濯をしていたり、何かの作業をしていたりして、落ち着いて話せそうな場所は見つからなかった。
「今日は夕方になる前に、早めに宿へ行くのはどうですか?部屋で二人で、ゆっくり話せる時間を長く取った方がよさそうですね」
オクトの提案を聞いたラーナは、驚いたように彼を見上げ、目を丸くした。
「わわわ、私ったら!!! そんなことにも気づかず、申し訳ありません!こんな真っ昼間から、わざわざ時間を作る必要なんてなかったですよね」
どうやら、彼女は自分の提案を今になって反省し始めたらしい。慌てふためくラーナを見て、オクトは大急ぎで両手を振り、誤解を解こうとした。
「いえ、そういう意味ではありません! 二人で話し合うべきことはたくさんありますし、特にミルコについてどうするかという話は、きちんとしておく必要があります。こうして先に時間を作ってくれたのは、とてもいい提案でした!!!」
オクトが慌ててそう伝えると、ラーナはまだ少し驚いた顔をしていたものの、やがて何かに納得したように頷いた。
「ミルコ様は、どこまでご存知なのでしょうか……?」
「ちょっと、ここに腰掛けましょうか」
オクトに促され、二人は古びた教会の石段に並んで腰を下ろした。周囲では人々が行き交い、近くでも何人かが作業をしていたが、立ち話をするよりは落ち着いて話せそうだった。
オクトとラーナは自然と肩を寄せ合い、周囲に聞こえないよう、互いの耳元へ顔を近づけて小さな声で話し始めた。
「以前、どこかの宿場で、彼と会っていませんでしたか?」
オクトはラーナの耳元に手を添え、内緒話をするように声を潜めた。ラーナもそれにならい、彼の耳にそっと顔を近づけて手を当てて囁き返した。
「それが……記憶にないのです」
ラーナの息が耳元に当たって、オクトは全身の神経がそこに集中してしまう。
(こんな距離で話すなんて……ちょっと恥ずかしいけど……なんだか嬉しい……)
互いの顔がすぐ近くにあることに、二人とも落ち着かない気持ちを抱えながら、それでもまたお互いの耳に口元を近づけて話を続けた。
「もしかすると、魔王の姿で彼に会ったことがあるのかもしれません」
「!!?」
その言葉を聞いた途端、ラーナの顔から血の気が引いていった。オクトはそんな彼女を見て、できるだけ落ち着いた声でゆっくりと話しかけた。
「焦らなくても大丈夫ですよ。彼の話では、夜、部屋の中から大きな物音が聞こえてきて、扉を開けて入ったら、あなたが倒れていたそうです。話をしたら、精神的な疾患だと思ったようで、すぐに麻酔魔法をかけて眠らせたと言っていました。彼は医師ですから、そういった処置にも慣れているのでしょう」
「……恥ずかしいですし、自分でも気づかないうちにそんなことをしていたなんて……恐ろしいです」
ラーナは自分の両腕を抱き、身を縮めるようにしてうつむいた。その姿を見たオクトは、彼女を不安にさせないよう、言葉を選びながら慎重に続けた。
「彼は、まだあなたの中にいるものが悪の魔王だということまでは気づいていません。それに、これからは僕がついていますから」
「でも、昨日は階段のところまで出ていましたよね?私の知らないうちに部屋の外へ出てしまったり、ミルコさんみたいに、他の方と接触したりしている可能性もあるなんて……」
「昨日のことは、僕がほんの一瞬だけ部屋を離れるつもりで、水場へ行くときに鍵をかけ忘れてしまったのが原因です。それに、以前ミルコと会ったときも、彼は部屋の中からガタゴトと大きな音が聞こえたので、驚いてわざわざ施錠して部屋に入ったと言っていました。これからは僕がしっかり気を配っていれば、同じことは防げるはずです」
「……」
ラーナは何も答えず、うつむいたまま小さく頷いた。その様子を見て、オクトはもう一度彼女の耳元へ顔を寄せ、声を潜めた。
「昨日のことは、どこか断片的に覚えているんですか?」
「はい……。昨夜、なぜか階段のところにいて、身体をあちこちにぶつけていたことと、誰かとすれ違った後にオクト様が来て、止めてくださったことを少しだけ……」
話しているうちに、ラーナはみるみる顔を真っ赤に染め、両手で熟したリンゴのような頬を覆っていた。 それを見つめているうちに、オクトの方まで熱が伝染したかのように、耳先まで真っ赤に染まる。
(あいつのところへ行くなと言ったことも、覚えているのかな……)
「ミルコさんは一体、どこからどこまで見られてしまったのでしょう……」
「階段で、僕があなたを抱きかかえて連れていくところを見たようです。そこまで詳しく見られたわけではないので、僕としては、今後の彼の様子を見てから、どこまで話すか判断した方がいいと思っています」
「はい」
「できるだけ大事にはしたくありませんし、元々、他の人に話すつもりもありませんでしたし。ただ、彼は医師ですし、思慮深い方でもあります。もしかすると、味方になってもらうことで、あなたにとっても良いことがあるかもしれません。僕たちだけでは得られない知識を持っている可能性もありますから」
オクトの考えを聞いても、ラーナの表情はまだ晴れなかった。彼女がどれほど不安に思っているのかを察したオクトは、無理強いするつもりはないと、さらに言葉を添えた。
「もちろん、ラーナさんが気乗りしないのであれば、無理に仲間になってもらうつもりはありません。口外しないように伝えて、ここで別れることもできますから」
「しばらく様子を見てみる、というオクト様のご判断に、私も同意します」
「……そうですか」
「大丈夫です。これからは、オクト様が部屋を離れないようにしてくださるのでしょう?」
「はい。そうします」
「ありがとうございます」
すぐ耳元で囁かれたラーナの甘い声に、オクトは思わず胸を高鳴らせた。これ以上意識してしまわないよう、急いで別の話題を探す。
「でも、正直なところ、ミルコのところへまで行こうとしたのは意味が分かりません!!」
「それは私ではなく、中にいる者が勝手にしたことですから……」
「まあ……そうですよね。まったく、恐ろしいことです。僕が必ず止めますから!」
「お願いします」
「でも、もしかすると、何か前と違って、ミルコの方へ向かう理由があったのかもしれません」
「ええ?」
「一度、時系列や、話は整理しておいた方がいいように思います」
「確かに……」
そんなやり取りをしているうちに、オクトの頭には、悪の魔王がラーナの身体を使って自分の首に腕を回し、首筋に触れたり、キスをしようとしたりした夜の光景が蘇ってきた。
柔らかな肌の感覚や彼女の薔薇のような香りを思い出しただけで、顔全体が沸騰しそうなほど熱くなり、彼は思わず視線をそらした。
(わわわ!!ラーナさんも、あのときの感触まで覚えていたりして……)
ちらりと彼女の方を見ると、ラーナもまた、両手で一生懸命に赤くなった頬を仰いでいた。
(そういえば、あいつがミルコのところへ行こうとするのを止めたくて、思わず『可愛い』なんて言ってしまったけど……。もしかして、あれも聞こえていたのかな……)
そんなことを考えているうちに、二人はすっかりお互いの顔を見られなくなってしまった。結局、一つ目の鐘が鳴り響くまで、二人は互いにそっぽを向いたまま、吹き抜ける風に身を任せ、目の前で揺れる草木を眺め続けていた。




