第12話ー3
「淑女に対して失礼ですよ。まずはご自身から名を名乗られたらどうですか」
三白眼で思い切り射貫くように睨みつけるオクトに対し、男性はふっと面白そうに目を細めた。
「ははは、これはすまなかった。私はミルコ・ホジッチです。流浪の医師をしています。昨日、お見かけしましたが……気づきませんでした?」
「全く……気づきませんでした」
ラーナはその名を聞いても、全くピンとこなかった。
(えーっと……お医者様? どこか遠い親戚かしら、それとも貴族の社交界での繋がりかな……?)
貴族社会とはまた異なる「知の権威」として独立した立場を持つ医師の世界。もし、知人がいれば記憶に残っているはずだけど、自身のミネル家の主治医くらいしか思い当たらなかった。
ラーナが首を傾げていると、ミルコは大げさに溜息をつきながら歩み寄ってきた。
「本当に覚えていない? ほら、この顔に見覚えは?」
「……」
返答に困って黙り込むラーナを見かねたオクトが、二人の間に割り込むように一歩前へ出た。
「僕はヌジーニ修道院の神官、オクト・ハミスと申します。彼女は僕の患者です。治療のために首都の修道院へ向かっている途中なのです。……医療に携わるお方だったのですね」
差し出されたオクトの手を見て、ミルコは表情を和らげ、力強く握り返した。
「ヌジーニの修道院とは素晴らしい!!あの一帯でも、最大規模を誇る優れた治療院ですね!」
「ミルコ様も、この地域の医師が不在の村々を回られているのですね?」
「ええ。俺は公的な要請を受けて、村や街の状況を見て回っています」
二人が自己紹介を交わしながら握手を交わすと、先ほどまでの刺々しい空気は消え、思いのほか、和やかな雰囲気が漂い始めた。
長年、民間人達の救済のための医療は修道院を中心に発達してきたが、近年では学術としての医学の進歩に伴い、骨折や感染症、急性疾患などは医師や病院が主に処置を行うようになっていた。
逆に、長期的なケアを要する慢性疾患や不治の病の多くは、変わらず修道院が受け皿となっている。 病院と修道院は互いの専門性を補い合う良好な関係を築いているため、二人は同業者としての親近感が湧いたようだった。
「実はシアール村で診療していて、昨晩は同じ宿に泊まっていたのですよ。お二人をお見かけしていました……」
「昨夜は同じ宿に滞在されていたのですね」
誰かにつけられていたわけではなく、ただ目的地が同じ方向だっただけだと分かり、オクトは心底ほっと胸を撫でおろした。そして同業者の語る現場の話に、興味深く耳を傾けた。
「今は皮膚炎が流行していて、どこも人手が足りていないのが現状です」
「そうだったのですか……全く気づいていませんでした」
二人の専門的で楽しげなやり取りを微笑ましく見守りながらも、ラーナはやはり彼のことを思い出せずにいた。
和気あいあいと語り合っていたオクトとミルコだったが、近隣の状況ついて話していた途中で、ふとミルコが怪訝そうな視線をラーナへと向けた。
「……それにしても。ヌジーニの優秀な神官様が、一体どうして男装した『狂乱の悪女』と一緒におられるのですか?」
ミルコの投じたその一言で、オクトの顔から、先ほどまでの笑顔が一瞬にして消えた。
(ああ、また……)
ラーナは、また弁明しなければ、と思った。
「危害を加える意図はありません」とお伝えしようと立ち上がった瞬間——オクトがさらに一歩前へ踏み出し、ミルコとの間を完全に遮った。
「ミルコ先生のような素晴らしい活動をされているお方が、どうして彼女のことを深く知りもしないで、勝手な噂で決めつけるのですか? 彼女は決して悪女などではありません。治療のために旅をしており、病気から身体を守るために、必要に迫られて男装をしているだけです」
「へえ……」
「まさか、一流大学の医学部を卒業されたような権威あるお方が、よく確かめてもいない街の噂話に尾ヒレをつけて触れ回るような、浅はかな真似はされませんよね?」
ミルコが皮肉めいた言葉を吐き出す隙すら与えず、オクトは冷徹な口調で捲し立てた。 その凛とした声に、ミルコは一瞬驚いたように目を見開き、オクトの顔をまじまじと見返した。
「あれ……? 待てよ、君、まさか……ああ」
一瞬、ミルコは何かを悟ったように言葉を飲み込み、オクトをじっと見つめていたが、やがて追及を諦めたように肩をすくめた。
「……いえ、なんでもありません。仰りたいことはよく分かりました。私は先を急ぎますので、これで失礼します」
ミルコの言葉を聞き、オクトは淡々と頭を下げ、彼に別れの挨拶をした。
「お気をつけて」
ミルコは栗毛の馬に跨がり、風のように颯爽と走り去っていった。
二人でその背中を見送ったあと、オクトはラーナを慈しむような優しい眼差しで見つめ、声をかけた。
「心ない他人にどれだけおかしなことを言われようと、絶対に気に病んではいけませんよ」
「ふふふ……」
「あなたはご自分を信じて。そして僕のことも信じて、ついてきてくださいね!」
「はい……!」
ラーナがククルへ近づくと、ククルも嬉しそうに、彼女の手のひらに甘えるように鼻を擦り寄せてきた。
二人は再び互いの手を取り合い、協力してククルの背へと跨がった。そして爽やかな風を切りながら、次なる目的地・ワイマー村を目指して街道を急ぐのだった——。




