第9話ー3
◇ ◇ ◇ (オクト目線)
二つ並んでいたベッドを、それぞれ部屋の両端へ寄せる。間にはテーブルや椅子を並べ、荷物を積み上げて、できる限りお互いの視線が届かないように仕切りを作っていく。
そんな作業をしている間も、オクトは終始、上機嫌だった。
一方のラーナはというと、なぜか先ほどからずっと、どこか沈んだ表情を浮かべている。
(……あれ? どうしたんだろう?やっぱり、今日は疲れているのかな?)
オクトは少し気になったものの、旅を始めたばかりだから疲れていて当然だろうと考え、それ以上は深く追及しなかった。
ラーナは、旅館の人にお金を渡して、お湯の入ったタライを女性用の供用水場に運んでもらったらしい。身体や髪を洗って、着替えを済ませてから部屋へ戻ってくると、夕食を食べる気にもなれない様子でベッドの端に腰を下ろしていた。
男性用の水場の方で身支度を終えたオクトは、そんな彼女に声をかけた。
「ラーナさん、夕食はどうしますか? 食堂があるので、何か食べに行きせんか?」
「……はあ」
返ってきたのは、気の抜けたような返事だけ。ラーナはぼんやりとした目で床のあたりを見つめていて、今にもそのまま眠ってしまいそうだった。
「ずいぶんお疲れですね!では、僕が食堂から何か食べ物を持ってきますから、ラーナさんはここで休んでいてください」
「……はい」
「食堂へ行っている間、何も気を使わずに、どうぞ横になって休まれていてくださいね」
オクトは部屋を出る前に、一瞬、彼女の手元や指の色を確認した。
(そんなに腫れていないし、赤くもないから大丈夫だと思うけれど……とにかく急いで、持って来れる分だけでも夕食をお持ちしよう)
部屋の鍵を外からかけ、オクトは廊下を走って食堂へ向かった。
*
食堂へ入ると、客の姿はまばらだった。オクトは店を切り盛りしているらしい男性を見つけると、さっそく声をかけた。
「すみません。もしよろしければ、部屋で休んでいる連れのために、スープやパンを持ち帰らせていただけませんか?」
ところが、事情を説明するなり、男性はあからさまに渋い顔をした。
「うちでは、そういうことはやっていないんだがね」
「連れがかなり疲れているようでして……。食器を汚したり、部屋を散らかしたりするようなことは、決してありませんので」
「そう言われてもなあ……」
男性は面倒くさそうに頭をかいたあと、ようやく折れてくれた。
「……じゃあ、あんたはここで食べていきな。それから、パンと肉くらいなら持っていってもいい。スープは朝になったらまた出すから、ここで食べるようにしてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
物臭げに、ドンっとスープとパンと肉を差し出された。温かで豊かな山々の食事に手を合わせ、感謝しながらも、オクトは大急ぎで平らげた。
(まあ、早食いなら慣れているしね)
オクトはあっという間に自分の分を平らげると、持ち帰るための準備に取りかかった。パンには切れ目を入れ、肉は食べやすい大きさに細かく切る。スープに入っていた野菜は、汁気をよく切ってからパンの間に挟んだ。
最後に、持っていた清潔な布巾で包めば、簡単な携帯食の出来上がりだ。
(よし。これなら、部屋でも食べやすいだろう)
オクトは包みを手に持って、ラーナが眠る部屋に、急いで戻っていった。
*
正直に言えば、オクトは少しばかり浮かれていた。
宿に着き、ラーナと同じ部屋で過ごすことになったとき、彼は心の中で、こっそりとガッツポーズをしていたのである。
(……もしかして、僕という人間は、ラーナさんに生理的に拒絶されるような相手ではないってことなのかな……!?)
もちろん、そんなことを本人に尋ねる勇気はない。
それでも、同じ部屋で過ごすことを受け入れてもらえた。それだけで、なんだか彼女に少し認めてもらえたような気がしていた。
(いやいや、別に、それ以上の意味なんてないよ?全然ないけどね……!)
心の中で言い訳をしながらも、頬が緩んでしまうのは止められなかった。
思い返せば、今朝、ククルに二人で乗ったときから、ラーナはオクトが近くにいても、特に嫌がる様子を見せなかった。
もちろん、あのときは落馬しないために、しっかりとつかまってもらう必要があった。だから、彼女が自分に身体を寄せてきたのも、仕方のないことだったのだろう。
それでも――。
(それにしても、治療以外でこんなに近くにいることって、普通はなかなかないんじゃないかな……)
医師のような役割を担う神職者と、その患者。本来なら、二人の関係は、あくまで治療する側と治療を受ける側にすぎない。治療以外でここまで互いの距離が近くなることなど滅多にないのではないか——。いつの間にか、ラーナと過ごす時間が少しずつ特別なものになっている。
(……いやいや、何を考えているんだ、僕は!)
——柄にもなく、不埒で淡い期待を抱いてしまっていた。
そう……あまりに浮かれすぎていて、オクトは気づいていなかったのだ。
ラーナが、初めての二人乗りでどれほど身体を揺さぶられ、疲れ切ってしまっていたのか。
病に侵された身体で、どれほど無理を重ねていたのか。
そして、彼が気づかないうちに、彼女の手足の炎症がどれほど進行してしまっていたのか――ということに。




