第9話:色々な意味で刺激的すぎる旅?! (ラーナ目線)
朝。
早くから支度を終えていたオクトとラーナは、明け方から作業していた牧場主から、約束通り芦毛の「ククル」を引き合わせてもらった。
躍動感あふれる大きな身体のククルは、一見活発そうだったが、そっと手を差し出したラーナへ、嬉しそうに温かな鼻先を寄せてきた。
「よろしくね、ククル」
ラーナが優しく声をかけると、ククルは警戒する様子もなく、尻尾を振って、喉を鳴らして可愛らしい声を聞かせてくれた。
「やはり。ラーナさんとは相性が良さそうですな」
家主は満足げに頷いた。
「ありがとうございます。お世話になりますね」
オクトが約束していた代金を手渡すと、牧場主は大喜びでそれを受け取った。彼はそれから、オクトとラーナの二人がククルの背中に乗って牧場から出るまで、にこにこと手を振って見送ってくれていた。
「よかったです。昨日の一件もあったので、もし『ククル』を譲っていただけなかったらどうしようかと、少し心配していたんです」
牧場を出てしばらくするとラーナは、自分のすぐ前に座るオクトの背中へ向かって、ほっとしたように声をかけた。
昨夜、食堂で自分の名前を明かした途端、あれほど空気が凍りついてしまったのだ。もしかしたら、あの主人も噂を気にして、馬を売ってくれなくなるのではないか。そんな不安が、まったくなかったわけではない。
「家主にとっては、代金のほうが大事だったのでしょう。それに、噂話なんて、いちいち気にしていたら商売になりませんからね」
オクトは楽しそうに笑いながら、ちらりと後ろを振り返った。
その瞬間、ラーナは思わず息をのんだ。彼の甘い吐息が、おでこに当たるのを感じてしまったからだ。
(あれ……? どうしよう。二人乗りって、こんなに密着するものだったっけ?)
ラーナの長いスカートでは横乗りしかできず、補助鞍にしっかり身体を寄せて、ぎゅっと掴んでいなければスルッと滑り落ちてしまいそうだった。すると、ラーナの腕や手は、どうあがいてもオクトの背中に当たってしまう。
(この時代でも、女性がパンツスタイルでいられたら、もう少し上手に距離を取って乗れたはずなのに……!)
今さらながら、二人乗りというものを完全に理解していなかった自分を悔やんでしまう。
(今度、自分でパンツを縫ってみたらいいのでは……?ああ、そもそも、旅に出る前に用意できていたら、旅の間ずっと楽だったかも?)
などと後悔しても、今さらもう遅かった。オクトはククルと共に、体勢を前方に傾けはじめていた。
すると、オクトがもう一度、ほんの一瞬だけ振り返り、ふわりと彼の髪が、ラーナの頭頂に柔らかく触れた。
「これから少し飛ばしますので、振り落とされないように頑張ってくださいね」
返事をする間もなかった。
オクトはそう言うと、ラーナの手をそっと取って、自分のお腹のあたりへと導いたのである。
「ぎゅっと僕にしがみついていてください。行きますよ!」
「は、はい……!」
途端に、ラーナの心臓は一気に忙しくなった。
(ちょ、ちょっと待って……!これ、私、オクト様にバックハグしてるのと同じなのでは……!?恥ずかしいい!!)
そんな考えが頭をよぎった、その直後。
「やっ!」
オクトの短い合図とともに、ククルは地面を蹴り、ものすごい勢いで走り出した。
「ひゃああああっ!!」
(こ、これはすごい揺れとスピード……!!!)
森の中を駆け抜けるククルの背中は、激しく揺れた。木の根や地面の凹凸を越えるたび、身体が跳ね上がり、今にも馬の背から飛んでいってしまいそうになる。
(落ちないようにしがみつくこと以外、何も考えられない……!もう、恥ずかしいとか言ってる場合じゃないかな……!?)
とはいえ——昨日、自分は頭をしっかり洗えていただろうか? 前世の日本では一日シャンプーしなかっただけでも匂いが気になったのに、ハーブのお湯で流したくらいで本当に大丈夫なのだろうか……?などと、だんだん自分の体臭ばかりが気になり始めてしまう。
(ちょっと、これ……毎回こんな感じで密着していくってことよね!? 香水か何かで本気で対策しないと……!)
そんな余計な心配をぐるぐると巡らせてオクトの背中にしがみついていると、ふと、ラーナの鼻先を、心地よい香りがくすぐった。
木々の深みを思わせるウッドの香りに、落ち着いたムスクの香りが重なった、とても上品で、どこか安心するような香りだった。
(……あれ? これって、オクト様の香水かな?)
ラーナは、思わず彼の背中へ顔を寄せそうになり、慌てて踏みとどまる。
(すごくいい香り……。気品があって、落ち着く香りだわ……)
彼の大きな背中の温もりに触れていると、胸の奥がキュンとくすぐったくなる。 オクトのしなやかに引き締まった背中の暖かさや、彼の硬い腹筋の感触——そんな場所の上着の生地へ手を伸ばし、身を寄せても許されるなんて、あっていいことなのだろうか。
恥ずかしさと、どこかえも言われぬ愛おしさに胸が高鳴る——。
(……ううう、どうしたって、意識しちゃうな……)
――なんて、甘い気持ちに浸っていられたのも、ほんのわずかな時間だった。
オクトがさらにスピードを上げた。ククルの勢いが格段に上がり、風が頬を打ち、景色があっという間に後ろへ流れていく。身体は上下左右に揺さぶられ、少しでも気を抜けば、補助鞍から振り落とされてしまいそうだった。
(ひゃああっ! うそでしょ!?ちょっとでも気を抜いたら、本当に大変なことになるわ……!オクト様との距離も、ククルのスピードも、刺激強すぎなんだけど……?!)
それからのラーナは、余計なことを考える余裕もなく、ただひたすら振り落とされないように、身体中に力を込めて座り続けることになった。




