第8話:「狂乱の悪女」の正体 (ラーナ目線)
驚いた表情を浮かべる二人の女性を前に、オクトはとっさに左腕を伸ばし、ラーナを庇うようにして一歩前へ出た。
「ラーナさんは、そんな方ではありません。噂とはまったく異なる、とても温かくて気品ある方です」
彼女に向けられた冷たい視線を、少しでも遮ってくれているようだった。でも、オクトが返した言葉に、女性たちはますます険しい表情になった。
「あなたに、いったい何がわかるというのですか?」
「まだ知り合って一週間ちょっとだと、おっしゃっていたじゃないですか」
責め立てるような声が重なる中、ラーナは一瞬だけオクトの方を見て、小さく頷いた。それから、食堂にいる全員へ向き直ると、深々と頭を下げた。
「驚かせるような名を名乗ってしまい、大変申し訳ありませんでした。今夜は静かに部屋で過ごし、明日朝一番に出発いたします。どうかご容赦くださいませ。皆様に決してご迷惑をおかけすることはいたしません」
そう言い残すと、ラーナはそそくさと食堂を辞し、自室へ続く廊下へと向かった。オクトはその場に残された人々へ軽く頭を下げてから、すぐにラーナの後を追いかけた。そして、彼女の腕にそっと手をかけて足を止めた。
「ラーナさん! 待ってください!」
「……」
「噂のことなら、実は修道院でも聞いていました。でも、僕はあなたのことを信じています。だからこそ、一緒に旅をしようと思ったんです」
オクトは、彼女の腕を掴んだまま、曇りのない瞳でまっすぐラーナを見つめていた。彼が本気でラーナを知ろうとしていることが伝わってきて、彼女は小さく息を吐き出すと、意を決したように微笑んだ。
「そうですね……。オクト様には、先にきちんとお話ししておかなければいけませんね」
ラーナは自室の扉を開け、オクトを中へと招き入れた。
「今、落ち着いてお話しできる場所は、ここしかないと思いますので」
「はい。失礼します」
二人は並んで、小さなベッドの端に腰を下ろした。部屋には、手元を照らすための蝋燭が一本あるだけで、それを置けるような台さえ見当たらない。仕方なく床に置いた蝋燭の灯りを、まるで焚き火でも囲むようにして、二人はしばらく見つめていた。
やがて、ラーナが静かに口を開いた。
「K国のミネル家は、ここ、L国との国境のすぐそばに領地を持っています。そのため、こちらの国にも親戚が比較的多いのです」
「はい……」
オクトは顔だけラーナに向けて、真剣な様子で耳を傾けていた。余計な口を挟まず、彼女の話を一つも聞き逃さないように気遣ってくれているようだった。
「私が幼い頃、ミネル家はとても豊かな侯爵家でした。領地には広大な農地があり、産業もそれなりに発展していて、資源も豊富に採れたのです。それらに関わる企業を長年支援していたこともあり、株や運営への発言権も多く持っていましたし、首都に出向く際は常に王政にも携わって参りました」
ラーナは、遠い昔を思い返すように、ゆっくりと言葉を続けた。
「父と母は、家業にも王政にもとても真面目に取り組んでいました。私と弟のボリス、それに家の使用人たちも、みんな仲がよくて……。特に、メイド長の娘であるルチアは、幼い頃から私の大親友でした。いつも弟と私とルチアの三人で遊んだり、一緒に勉強したりして暮らしていたんです」
そこまで話すと、ラーナの声がほんの少しだけ静かになった。
「――ですが、私が十六歳、弟が十四歳の頃。突然、不慮の事故で父と母が亡くなってしまったのです」
「ええっ……!?」
オクトの息を呑む気配に、ラーナは静かに伏目になった。その表情には、今でも当時の出来事を思い出すたびに胸が痛むような、かすかな陰りがあった。
「両親を失った直後、すぐに領土に引き返し、路頭に迷いそうになった私たちを、従者たちが必死に支えてくれました。特にルチアの家族は、私たちが幼いながらも父の仕事を理解していたことを知っていたため、子供の意見にも真摯に耳を傾け、領地運営を助けてくれたのです。
——ですが、よく知らない親戚たちが急にやってきて、ミネル家の富を貪ろうと、入れ替わり立ち替わり押し寄せてきました」
その場の凄惨な状況を察したように、隣のオクトが深く悲痛いため息をつく。幼い姉弟が両親を亡くしたばかりだというのに、そこへ財産目当ての親戚たちまで押しかけてくるなんて、想像するだけでも腹立たしい。
「運営している企業に横槍を入れられたり、弟のボリスが何度も売り飛ばされそうになったり……。ルチアの家族と私たちも、何度も引き離されそうになって、本当に大変でした。それで――」
そこまで話したラーナは、一度、言葉を切った。彼女自身、できれば口にしたくない過去なのだろう。それでも、彼女は、少しだけ指先に力を込め、思い切って口を開いた。
「何度やめてほしいと頼んでも、どうにもならなかったので……私は毎回、彼らに怒鳴り散らしたり、大声で皮肉を言ったり、罵倒や非難を浴びせたりして、親戚たちを何度も追い出したのです」
「ああ!」
オクトは、何かが腑に落ちたとでもいうように、はっと目を見開いた。その反応を見たラーナは、ますます恥ずかしくなってうつむいた。
「それはさすがに、貴族として、あるまじき行為でした……」
膝の上でスカートをぎゅっと握り締めながら、ラーナは深く肩を落とした。自分の口から語ると、当時の自分がどれほど取り乱していたのか、改めて突きつけられるような気がしたのだ。ところが、隣から返ってきたのは、彼女が予想していたものとはまったく違う声だった。
「ええっ?」
オクトは素っ頓狂な声を上げ、理解できないというように首を傾げていた。
「怒鳴ったり、大声を出したりするなんて、あってはならない、はしたない行為なのに……。本当に多くの親戚たちから『気がふれた』とか『狂気の悪女』とか呼ばれましたし……それから二年後、私が社交界にデビューする頃には、もう、すべての人にその話が知れ渡っていました」
「ええええ~!?」
今度こそ、オクトは大袈裟なくらいに声を上げた。
そのあまりの驚きように、ラーナは思わず顔を上げる。何も、そこまで驚くことはないのではないだろうか。自分がしてしまっていたことは、貴族社会だけでなく、日本にいた頃でも「よろしくない」と言われるようなことだと思っていた。
けれど、オクトは真剣そのものだった。
「怒鳴るなんて、僕の国では日常茶飯事でした」
「ええっ?」
今度はラーナが目を丸くした。




