第7話ー3
オクトが指差した先を見つめ、ラーナの目が輝いた。
「よかった……!豪邸ですね……」
たどり着いた場所には、数軒の立派な母屋と、広大な馬小屋や家畜小屋が広がっていた。 畜産業者だからか、蝋燭や動物油の明かりで家が照らされていて、非常に大きな家や遠くの小屋ではまだ働いている従者たちの姿も見受けられた。
大きな家の玄関の前に立ち、オクトは大きな声で呼びかけた。
「こんばんは。ヌジーニ村の修道院から参りました」
「どなたか、いらっしゃいますか?」
すると、家主はすぐに出てきて答えてくださった。
「こんばんわ。もしかして、薬を届けてくださったのでしょうか?」
「はい。こちらをどうぞ」
オクトが薬を手渡すと、家主はほっとしたように表情を明るくした。
「本当に貴重なお薬をありがとうございます! よろしければ、今晩はこちらに泊まっていってくださいませ」
「それは助かります。さらに、できれば明日の朝、二人乗りのできる馬を一頭、手配していただきたいのですが……」
「お安い御用です!」
オクトの声を聞いたラーナは、彼の前に出て、宿泊費や馬の手配にかかる謝礼を提示しようとした。すると、オクトもまた彼女にそっと耳打ちした。
「僕たちの方からも、資金は降りています。ここは折半しませんか?」
「いいんですか?」
「はい。こちらも任務上の必要経費になるので」
「ありがとうございます」
二人で相談して金額を提示すると、家主は大喜びで、上等な魔術馬を用意してくれることになった。
「いつもお薬のことでも、本当にお世話になっていますからね……。そうだ!『ククル』という芦毛の馬はいかがでしょう?とても活発でタフな子ですが、あなたのような可愛らしい女性が大好きなんです。きっと相性がいいと思いますよ」
「まあ、なんて素敵なんでしょう! 本当にありがとうございます」
ラーナが華やかな笑顔でお礼を伝えると、家主はますます嬉しそうに目を細め、二人のために部屋まで用意してくれた。
長い廊下は、貴族たちの家のように、多くの蝋燭で明るく、小部屋の扉がいくつも並んでいた。案内された部屋の中には、小さな寝台と荷物を置くための台があるだけで、水場なども共用の簡素なものらしい。けれど、旅の途中で一晩を過ごすには十分だった。
「これだけでも、本当にありがたいですね!」
ラーナが部屋を見回しながら嬉しそうに言うと、オクトもほっとしたように微笑んだ。
「ラーナさんが大丈夫そうで、よかったです」
ラーナの部屋のすぐ隣には、オクトの部屋が用意されていた。扉が並んでいるだけの、ごく簡素な造りではあるけれど、これなら何かあったときにも、すぐに彼女の様子を確かめられる。
(この距離なら、夜中に何かあっても、すぐに気づけるはずだ)
オクトはそう考えながら、自分の荷物を寝台の脇に置いた。
二人が落ち着く頃、農場主が部屋へやってきて、食堂まで案内してくれた。
「よろしければ、職人たちと夕食も食べていってください。今日は、私は家族の元へ失礼いたします。明日の朝、またお声がけいたします」
そう言い残して農場主が去っていくと、すでに食卓を囲んでいた五人ほどの男女が手招きしてくれた。
「こんばんは!お二人は旅の方ですか?」
「はい。首都へ向かおうと思っています」
「そうなんですね。私たちは全員、こちらで働いている職人です」
「ほかにも十人ほど、ここに住み込みで働いているんですよ」
若い男女が親しげに声をかけながら、二人の前にパンとスープを差し出してくれた。
オクトとラーナはありがたく食事をいただきながら、職人たちの話に耳を傾けた。
「外から見ただけでも、馬小屋がとても立派で驚きましたが……皆さん、それぞれ専門のお仕事をされているんですね!」
ラーナが目を輝かせて尋ねると、職人たちは嬉しそうにうなずいた。
「ええ。馬の健康状態や飼育環境を管理する者もいれば、調教を専門にする者もいます。魔術で馬の能力を強化するのも、私たちの仕事のひとつですよ」
「魔力で体力まで強化できるなんて、すごいです!ということは、王族や役所からのご依頼も受けていらっしゃるんですか?」
「もちろんです。王室や宮廷関係の施設が管理する牧場は、ほかにも各地にありますが、こちらでは特に、物理的にも、時間的にも、体力を鍛えた馬の育成に力を入れているんです。特注の馬を求める方からも、ご依頼をいただきますよ」
「まあ……! 皆さん、本当に素晴らしい特殊技能をお持ちなんですね!」
ラーナはすっかり夢中になっていた。
食事を終えてからも次々と質問を繰り出す彼女に、職人たちも気をよくしたらしい。お茶やお酒を勧めながら、自分たちの仕事について、いろいろと詳しく教えてくれた。
胸に手を当て、感心したように話を聞いているラーナ。その横顔を眺めながら、オクトは内心、彼女の周囲にいる男性たちを少しばかり警戒していた。
職人たちは、誰もが大柄で、鍛え上げられた屈強な身体つきをしていた。毎日、馬を相手に仕事をしているのだから、当然なのかもしれない。修道院の神官たちとは比べものにならないほど、腕も肩もたくましかった。
(今日は手足の腫れも赤みも引いているし……あの悪魔が出てこないことを祈るしかない。特に、この男たちの前にだけは絶対に現れませんように……!)
もし悪魔が覚醒し、こんな猛々しい男たちの前で彼女の身体を差し出すような真似をしたら——想像するだけで目眩がする。
(早く部屋へ引き上げて、今日は彼女を休ませなければ……)
オクトが内心でそんな焦りを募らせていると、話題は自然と二人の自己紹介へと移っていた。
「こちらは、一週間前からお世話になっているヌジーニ村の修道院の神官様です。私はラーナ・ミネルと申します。彼の治療のおかげで手足が動くようになり、こうして旅をしております」
ラーナがそう紹介すると、先ほどまで和やかに話していた女性の一人が、ふいに動きを止めた。
「あのう……失礼かもしれませんが、ラーナ・ミネルさんとおっしゃいましたか?」
女性の声には、先ほどまでの親しみやすさとは違う、どこか確かめるような響きがあった。
「ええ、そうですが……?」
ラーナが不思議そうに答えると、彼女のすぐ隣で楽しそうに話していたもう一人の女性まで、すっと身体を遠ざけた。
「えっ……K国で悪女として有名な、あの侯爵令嬢ですよね……?」
「どうして、そんな方がここに……?」
二人の表情から、みるみる笑顔が消えていく。
和気藹々としていた空気が一変し、女性たちはまるで得体の知れないものでも見るかのように、ラーナを睨みつけた。
一気に、その場の空気が凍りつく。
二人の旅立ちの初日。その夜から。
ラーナとオクトの前には、早くも暗雲が立ち込めていた――。




