第6話ー3
オクトは、互いの顔を見合わせる神官たちの様子を見つめたあと、意を決したように静かに顔を上げた。
(みんなは普通の病気だと思っているけれど、そうじゃないんだ……)
「先に、みんなに話さなきゃいけないことがある」
「なんだ?」
「ラーナさん、少しだけここで待っていてください」
「はい」
立ち上がったオクトに促され、その場にいた七人の神官たちはぞろぞろと廊下へ出て、食堂まで来ると大きなテーブルを囲んで腰を下ろした。
オクトは、昨夜の出来事をかい摘んで話すことに決めた。 ラーナの指先から立ち上った黒い炎のこと。彼女の身体を乗っ取った『何者か』が、自分に向かって語りかけてきたこと——。
「ラーナの身体についたものが、こちらの妖力を狙っていたようだった」
「病気じゃないというのか?」
「悪魔に憑かれている、と……?」
「ああ。数秘の治癒魔術を施したら、彼女の身体を乗っ取っていた悪魔は黒い煙になって、また指先に収まっていったんだ。あの手足の変形は病気なんかじゃない。悪魔の『呪詛』だ」
オクトが話し終える頃には、全員が重苦しい表情で腕を組み、唸っていた。
「そんなまさか。今の時代に悪魔だと……?」
「魔物や悪魔の類は、二百年前に絶滅したとされていたはずだが……」
「俺だって信じたくない。でも、この目で確かに見たんだ」
重い沈黙の中、ステファンは腕を組んで、深く深いため息をついた。
「……こいつの薬草や治療で助けられた病人は、今まで一人もいなかった。だが、ラーナさんには特化して効いた。それも、我々のどの白魔術よりも明らかに……だ」
その静かで重みのある声に、誰も反論できなかった。
「つまり、俺たちの知識の外側にある『何か』だということだ」
その言葉に、全員が言葉を失って黙り込む。
すると、若い神官の一人が、ふと思い出したように口を開いた。
「……じゃあ、ラーナさんが隣国で『狂乱の悪女』って呼ばれていたのも……」
「なんだと?」
「昔から、あの人は突然怒鳴ったり、大声で叫ぶことがあったって噂があるだろ?」
「それも……悪魔の影響だったのか……?」
神官たちが顔を見合わせる中、オクトは黙って考え込んだ。
(なんだその噂……)
「それは……まだ何とも言えないだろう。少なくとも昨晩のことだけでは、昔の噂まで悪魔のせいだとは断定できんよ」
みんなの戸惑いを切り裂くようなステファンの言葉に、若い連中も頷いた。
「……そうですね」
オクトは、ラーナの面影を思い浮かべていた。
初めて会った時の、あの丁寧で美しいお辞儀。
激痛に耐えながらも自分に向けてくれた、心解きほぐされるような柔らかな笑顔。
(僕には……とても“狂乱の悪女”には見えない……)
重い沈黙が落とされる。やがて、おもむろにキリルが呟いた。
「その昔、悪や魔物と対峙するために修道院や白魔術が発展した。だが、悪魔たちが封じられて以降、今や修道院のほとんどは信仰以外は、民間の医療や人々を助ける機関でしかない」
「そうだな……白魔術も回復補助くらいにしか使わない。俺たちは、知っていることが少なすぎるんだ」
ステファンやキリルは視線を上げて、オクトを見た。
「オクトは、最高神官のボンス様に見込まれて神官見になったよな?」
「はい……」
「覚えているか?」
ステファンが眉をひそめて言葉を重ねる。
「お前をここへ送り出す時、あの方は仰っていたんだ」
部屋がしんと静まり返る。
「『皆ができることは、こいつにはできない。だが、誰にもできないことが、こいつにはできる。こいつにしか果たせない神職がある』——とな」
キリルがポンと手を叩いた。
「そうだった! あの方はそう仰っていた!」
「えっ、俺たちは初めて聞いたぞ!?」
他の神官たちが目を丸くして驚く。
けれど、その場で誰よりも驚いていたのは、他でもないオクト本人だった。
「そんなこと……言われていたんですか……!?」
「お前が普段から人の話を聞いていないからだろ」
ステファンは呆れたように苦笑すると、すぐに真剣な表情を取り戻した。
「悪や魔物が復活し始めている予兆なら、一大事だ。ボンス様なら、何かご存知かもしれない。ラーナさんの身体のことも、悪魔のこともな」
キリルや他の神官たちも、それぞれの意見を呟きながら強く頷いていた。
「お前にできる何かを見抜いているお方だ。少なくとも俺たちよりは、何か手がかりをお持ちだろう」
「この片田舎にいる俺たちよりも、首都の方が近隣の魔物に関する情報も集まっているはずだ」
オクトは拳をぎゅっと握りしめた。胸の奥に、確かな灯火が宿るのを感じる。
「一度、ラーナさんを呼んで、話をしてみるか」
「はい」
(ラーナさんを助ける方法があるかもしれないけれど……悪魔が憑いているなんて知ったら、ショックを受けるだろうな……)
オクトの不安を感じ取ったのか、ステファンやキリルは優しく肩を叩いた。
◇ ◇ ◇
オクトとステファンは、ラーナの部屋へ向かい、控えめにドアをノックした。 コンコン——。
「ラーナさん、ちょっと食堂でお話ししましょう」
「はい、お伺いします」
二人と共にラーナが食堂へ向かうと、他の神官たちも勢揃いで待っていた。 ラーナは先ほどよりも顔色が良く、穏やかな表情で席についた。 けれど、熟練の神官たちですら、互いに顔を見合わせ、なかなか話を切り出せずにいた。
昨夜、オクトが目撃したこと。そして、彼女の身体に起きている異変はそれほど、尋常ではない問題だった。これは、本人にもきちんと伝えなければならない。
やがてステファンが意を決したように口を開いた。
「ラーナさん。あなたの手足の痛みですが……どうやらただの病気ではない可能性が高いのです」
「……」
「病原菌や体質の問題ではなく——魔物や悪魔の類のモノが身体に棲み着いているようなのです」
その言葉に、ラーナは驚くどころか、静かに大きく頷いた。
「……やはり、そうでしたか」
「……え?」
今度は、神官たちの方が驚く番だった。ラーナは少し目を伏せる。
「皆さんも、私の中の悪魔に気づいてくださったのですね」
「ご存知だったのですか?」
「はい。分かります……痛みが一番初めに襲ってきた夜、手から出る煙から話しかけられたことがあったのです。『悪の魔王だ』と名乗っていました。指先から出る黒い炎も、あの激痛も普通ではありませんでしたし……明らかにおかしいと思っていました」
落胆した様子の彼女に対し、オクトは言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「実は……昨晩、一時的にではありますが、あなたの身体が完全に、その『悪の魔王』に乗っ取られてしまっていたようでして……」
「ええっ!? そ、そこまでだったとは……」
驚いて自身の両手を見つめるラーナに、キリルがそっと補足する。
「ええ。オクトの前で、悪魔があなたの身体を使って会話をしていたようです」
ラーナは口元を抑え、顔色はすっと蒼白に変わっていった。
「全く……覚えていません……」
そのショックを受けた様子を見て、オクトの胸が激しく痛んだ。
本人に自覚がないまま、あの悪魔は彼女の可憐な身体を利用していたのだ。
(僕に迫ってきたなんて……本人も知らないんだ……)
昨晩の光景がよみがえるだけでも胸が締め付けられ、オクトは大きなため息をついた。
「今までにも、似たようなことはありませんでしたか?」
ステファンが尋ねると、ラーナは首を横に振った。
「分かりません……少なくとも、誰かに指摘されたことはありませんでした」
「もしかすると、今回は旅の疲れや体調の悪化で身体が弱り、悪魔が表に出てきてしまったのかもしれませんね」
ステファンは腕を組み、考え込むように視線を落とした。
「まずは状況を整理しながら、慎重に観察する必要があります。それと同時に、悪魔の力をこれ以上強めない方法も探さなければなりません」
その言葉に、ラーナは思い詰めたような表情を浮かべた。
「正直に言います。もし本当に、『悪の魔王』なら、今この世界で殆ど絶滅したはずの魔物や悪魔の種族を全て目覚めさせてしまう種となる可能性がありますし、この修道院だけでは対処法がわかりません」
「……」
「ですが、首都の大神殿にいらっしゃるボンス様なら、何かご存知かもしれません。それに、そちらには白魔術の大家が揃っています」
その名前を聞いた途端、ラーナの瞳がまっすぐにステファンへ向けられた。
「そのようなお話を伺いたくて、私はここまで来たのです」
ラーナは静かに椅子から立ち上がると、決意を込めた眼差しで告げた。
「私、すぐにでも都へ向かいます」
一同が目を見開いた。
「今の身体でですか!?大人の男性の足でも三週間はかかる道のりですよ!」
「馬車の乗り継ぎでも二週間ほどかかります。無茶ですよ!昨日まで、起き上がることすらできなかったのに」
「オクトを使いにやります。彼が戻るまで、ここで療養して待っていてください」
次々に制止の声が上がる。 それでも、ラーナの瞳は揺るがなかった。
「ここへも、自分で参りました」
彼女は、周囲の顔を一人ずつ見つめた。
「ですから、今度も自分で行きます。直接ボンス様にお会いして、診ていただきたいのです」
その瞳には、強い覚悟が宿っていた。
ここまで来るのに、どれほどの痛みに耐え、どれほどの不安を抱えてきたのか。
それを知っているからこそ、その場にいた誰もが、軽々しく彼女の決意を否定することはできなかった。
そしてオクトの胸には、また別の切実な情熱が渦巻いていた。
(またあの悪魔が現れたら……)
誰もいない危険な旅路で、彼女が一人きりだったら——。
(もし……またあの悪魔が、僕以外の誰かにあんな風に彼女の身体を差し出したりしたら大変だ!)
気づけば、抑えきれない言葉が口をついて出た。
「僕もご一緒させてください!」
ラーナは目を丸くしてすぐ横に座っているオクトに振り向いた。
「え……?」
「僕の治療はラーナさんには効果がありますし……」
オクトは自分の小指へ視線を落とすと、誓約の証である指輪のような痣が、静かに輝いている。
「それに……もう誓約も結んでしまいましたから」
その言葉に、神官たちも一斉に加勢する。
「そうですよ、連れて行った方がいい」
「痛みがかなり軽減されるなら、一緒の方が安全です」
ラーナは困ったように微笑んだ。
「ですが……修道院の皆様にも、オクト様にもご迷惑ではありませんか?」
するとキリルが即座に返した。
「むしろ逆です!」
「え?」
「こいつの治療は、この修道院では誰の役にも立ちませんから!」
「ちょっと!」
オクトが抗議すると、重かった空気が和らぎ、小さな笑いが起こった。
「ですが、あなたには効く」
ステファンが、柔らかい表情で頷いていた。
「それがなぜなのか調べることは、オクト自身にとっても大切な課題なのです」
「僕も知りたいんです」
オクトのチャコールグレーの瞳が、真っ直ぐにラーナを見つめる。先ほどまでの戸惑いとは違う、確かな決意が宿っていた。
「なぜ僕の術だけが効くのか……そして、どうすればあなたを救うことができるのか」
ラーナはしばらく言葉を失い、見つめ返してから、やがて、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
そして、花が咲くような柔らかい笑顔を向けた。
「オクト様。どうぞ、よろしくお願いいたします」
その笑顔を見た瞬間、オクトの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
自分の力に自信があるわけではない。
悪魔についても、彼女の病についても、まだわからないことだらけだ。
それでも――自分を信じてくれるラーナがいる。
そして、自分もまた、彼女を助けたいと願っている。ならば、今度こそ逃げずに向き合ってみよう。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
朝の光が、食堂の窓から差し込んでいた。
その柔らかな光に包まれながら、二人は都へ向かう約束を交わした。こうして、ラーナを救う方法と、彼女の身体に潜む悪魔の正体を探るため――オクトとラーナの長い旅が、始まろうとしていた。




