第4話ー3
「やはり僕の処置ではダメだったようですね……ごめんなさい。驚きましたか?」
「いいえ、オクト様の処置はとても効いたので、皆様のお話の方が不思議でした」
「ふふふ。まだ治療も始めたばかりですし、そのうちわかりますよ。しばらく滞在されている間、この修道院や村でゆっくり過ごされると良いですね」
柔らかな彼の様子を見て、ラーナも笑顔で答えた。
「はい。様子を見て、うまくいくといいのですが……」
二人で並んで廊下を歩いていると、ふと、窓から差し込む光が目に入った。
診察室のある廊下から礼拝堂の反対側へ出てみると、そこには大きな中庭が広がっていた。
庭を囲むように、パティオと呼ばれる回廊が続いている。
美しい装飾が施された回廊には、ベンチが並んでいて、中庭には大きな椰子の木や棕櫚、様々な薬草が植えてあるようだった。
「こちらで薬草を育てているんですよ」
オクトは右手を光のほうへ差し出して、そちらへ案内してくれた。
「研究の場としても、芸術的にも素晴らしい場所ですね」
「そうなのです。モザイクの円柱も美しいですし、心も癒されますよ」
爽やかな風が庭を吹き抜ける。
ローズマリーやゼラニウム、レモングラスなどの葉が、柔らかな日差しを浴びて、そよそよと揺れていた。
「素敵ですね。まるで楽園のような光景です」
「オレンジが実る頃は、さらに華やかですよ」
ラーナは葉にそっと鼻を近づけ、木の幹をゆっくりと撫でてみた。
「手足の調子がいい時には、こちらで日光浴をしたり、左手にある図書館から本を持ってきて読んだりすることもできますよ」
「いいですね!」
「こちら側から食堂へも抜けられますので、お茶を楽しむこともできます」
オクトはあちこちへ長い手を差し伸べながら、滞在中に療養客が休める場所を一つひとつ教えてくれた。アッシュブラウンの髪も、きりっとした瞳も、朝の光を浴びてキラキラと輝いて見える。
暗がりでは気づかなかったけれど、日差しの中で、長い手足をゆったりと滑らかに動かす彼の所作は優雅だった。少し影のある微笑みまでも、神々しく見えてくる。
(こんな美しい素敵な方と、一緒に中庭でお茶することができたら……どれだけ幸せだろう……)
光の降り注ぐ温かな中庭で、彼とお茶をしたり、クッキーを食べながら読書する。ベンチにはブランケットやクッションを敷いて、ふんわりと柔らかく、温かくできたら……。きっと、とても心地いいはず。
ふと、初めて自分の脳裏に浮かぶ優しい光景に、ラーナは驚いた。
(オクト様とは昨日出会ったばかりなのに……。久しぶりに、手足の痛みが殆どない日だから、かな?)
身体が思うように動くし、軽いからだろうか?思いもよらない、軽薄な空想を、ラーナは自分の頭をぽんぽんと叩いて追い払う。
すると今度は、現実の病気と魔王のことを思い出してしまい、たちまち悲しい気分になった。
(とほほ。そんな場合じゃなかったわ……)
そんな彼女の様子を眺めていたオクトは、ふと手を差し出して、中庭の中央のベンチへ招いてくれた。
「ちょっとこちらにかけませんか?右手を見せていただきたいです」
「はい」
ラーナが右手を差し出すと、オクトは手首の湿布と、手の甲、指先をじいーっと観察した。
「うーん、やっぱり、昨日、初めてお会いした時よりも、本当に腫れも、赤みも気がするんですよね」
「気がするのではなくて、本当に効いていますよ」
ラーナは、満遍の笑顔で彼に応えた。
朝の一連で、すっかり自信がなさそうな表情のオクトだったけれど、彼女の笑顔を見た瞬間に、また輝く笑顔を取り戻した。
「ははは。よかった。本当、油断は禁物なんですけどね……」
「昨日から、本当に最高に調子いいんですよ!!本当に感謝してるんです!」
(以前の様子を写真に撮って、見せてあげられたらいいのに!)
オクトにもっと自信を持ってほしくて、もどかしい思いをしていると、彼もまた、大きな声を上げた。
「それはこちらのセリフです!!」
「ふふふ。またしばらくこちらでお世話になります」
「はい。どうぞよろしくおねがいいたします」
二人は狭いベンチで向かい合いながら、そろって頭を下げていた。
ラーナはこの際、ずっと気になっていたことも尋ねてみることにした。
「昨日のオクト様は一体、どんな薬草をお使いになったのですか?」
「僕はローズマリーと、ラベンダーと、アグリモニーと……芍薬とオウギと甘草と他にも色々……って、ラーナ様にお伝えしてわかるものですか?」
彼の言葉を聞いて、ラーナの中に、前世の記憶がかすかによみがえる。
(……あれ? ローズマリーやラベンダーはともかく、芍薬に甘草って……それ、漢方のCMとかで聞く名前だよね?……どうしてこの世界に東洋医学の知識があるんだろう?)
「はい。少しだけ……わかります。炎症を沈静化させるということですか?オクト様は、幅広い地域の知識も勉強されている様ですね」
ラーナの返事に、彼は目を丸くして驚いた。そして、口元に人差し指を立て、周囲をそっと見回した。
「よくご存知ですね。一応こちらでは内緒にしていてください。他の医学はご法度なので」
「はい」
この修道院内で、彼が爪弾きにされている理由が少しだけわかった様な気がする。
(その世界の法則以外の知識を、保守的な人たちは良しとしないものね)
けれど、この世界の一体どこで、彼はそんな知識を身につけたのだろう。
「オクト様はたくさんのことをお勉強されたのですね?とてもすごいことだと思います!!!普通は知る機会もなかなかないと思いますが……」
ラーナが心から感嘆すると、オクトの表情がふわりと和らいだ。
「そんなふうに言っていただけたのは初めてですが……。実は」
柔らかな日差しの中、彼のグレーブラウンの瞳が、ビー玉のようにキラキラと輝いていた。
「学生時代を共に過ごした親友が、大きな重責を抱えて。精神的に落ち込んで、身体を壊して大変だったんです。彼を助けたくて、学校の図書館の様々な文献をしらみ潰しに……」
そこまで言いかけて、オクト様はふとこちらを向いて笑った。
「こんな話してもつまらないですよね」
「いえ、とても興味深いです!!!オクト様の知識の源が知りたかったので」
(もしかすると、魔王と対峙できるような知識も、得られるかもしれないし……)
少しずつ、周囲の人たちから知識や情報を集めていかなければ……。
「その学生時代を過ごされた場所はどちらなのですか?」
「ここからはかなり東の方の、R国です」
「オクト様の故郷ですね!?……だいぶ遠いですね」
「もしご興味がある様でしたら、この修道院にも資料室があります。こちらでも、ハーブについて学ぶことができますよ」
「ありがとうございます」
「行ってみますか?」
「はい!」
それから、オクトに案内されて、その日は一日、図書館を回ったり、村で必要な買い出しができるお店や、役場を案内してもらった。
(すぐに色々なことがわかるわけではないけれど、心と体の炎症を沈静化するものが、何かしら効いているのかもしれない)
修道院は、やはり他で見るそれ以上に、はるかに当時の最新技術を全て取り入れたような施設になっていた。あらゆるところで湯が沸かせる火元や暖炉があるし、薬草調剤施設も整っていた。その土地の医療が発展した理由の一つになっている、豊かな山や川の美しい水を汲み取る水路も完備されていた。
(余裕のある生活空間や、豊かな暮らし方も、療養のための人が集まってくるのも、全て、基盤が整ってるおかげなのね……)
立ち寄った薬局や図書館で本を調べてみても、今のところ得られたのは、それくらいだった。
(それでも、滞在中に様々な状況を目にできるし、もう少し文献を当たってみよう)
ラーナは、そう心に決めた。
それなのにーーー。
翌日から、ラーナの身体は再び激しい痛みと腫れに襲われ、まったく動けなくなってしまうのだったーー。




