第24話~小娘~
「あああああああああああああっ!!?」
敵中に響き渡ったマドさんの悲鳴は、不届き者の存在を敵に知らしめるのに十分過ぎる声量を備えていた。
「────っ」
私は周囲の視線が一斉に自分たちに向いた気がして──周りはアンデッドなのでそんなことはないのだが──息をのみ身体を硬直させる。
ヴァンパイアがいる前方は怖くて見れない。今自分は屍人に偽装した状態だ。このまま何食わぬ顔で他の屍人に紛れていればやり過ごすことは可能か? 敵が近づいてきてマドさんを調べられたら鎮静剤の痕跡もあるし流石に誤魔化せない。そうなる前にさりげなくここから離れて──ああいや待て。その前にマドさんの状態は今どうなっている? ヴァンパイアに魅了されたままなのか、それとも魅了自体は解除されていて別の要因で悲鳴を上げたのか。まさか鎮静剤が悪影響を及ぼした? 一旦退くとしてもそれを確認しておいてからでないと次の時に──次? どうして私は次を考えている? ここにマドさんがいるのにどうして逃げようとしているんだ? 敵がどうしてマドさんをアンデッド化していないのか理由は分かっていない。次のチャンスがある保証はない。ひょっとしたら私が余計なことをしたせいでこのままマドさんがアンデッド化されることだって考えられるのにどうして自分一人だけ逃げようとしているんだ? あり得ないだろう!!
「──マドさん!! しっかりしてください、マドさん!!」
我に返った時、私はマドさんの腕を掴んで叫んでいた。紛れてやり過ごすとか後先のことなんて知ったことか。マドさんが一目見て私だと分かるように【変装】の呪文も解除した。
仮にマドさんが正気に戻ったとしても、どうやってこのアンデッドの群れの中から脱出すればいいのかなんて分かっちゃいない。これが馬鹿げた行動だということは理解している。それでもすぐそこにマドさんがいるのに置いて逃げ出すことなどできなかった。
とにかく彼女が正気に戻ってくれさえすればと、焦燥に震える手で彼女の腕を引き、彼女の顔を覗き込むようにして叫ぶ。
「マドさ──」
──ドゴォッ!!
「!?」
殴られた。右拳で思い切り。左のこめかみを撃ち抜かれた。敵にではない。マドさんにだ。荷車にしがみついていた私の身体がバク転するように一回転して、背中から地面に叩きつけられた。
「──ゲフッ」
痛い。受け身も取れず殴り飛ばされて、こめかみと背中が言葉にできないくらい痛くて、視界がぐるぐる回っていた。
「うわああああああああっ!!?」
マドさんの錯乱した悲鳴が聞こえる。
普段から殴られていて慣れたつもりだったが、いつものそれよりずっと痛い。普段の拳はあれで手加減してくれていたのかと、変なところに感動している自分が我がことながらちょっぴりキモかった。
「────!」
いや現実逃避は後だ。
幸いにも周りの屍人の反応は鈍く、すぐに襲い掛かってくる様子はない。私は殴られた衝撃で平衡感覚を失っているが、この感じだと五秒もあれば動けるようになるだろう。
マドさんの魅了は解けている筈だが、重度の錯乱状態で他に何か問題があったらしい。鎮静剤では駄目だった。となると後は毒とか魔術的なものか? 毒消しや聖水が効くだろうか──そんなことを考えている内に五秒が経過し平衡感覚が回復。私は身体を起こして再びマドさんに手を伸ばそうと──
──ドスッ!
「──グェッ!?」
蛙が潰れたような声が私の喉から漏れ、一瞬遅れて自分の胸が踏みつけられたことに気づく。
「……正直驚いたぜ。ひょっとしたらとは思っちゃいたが、ホントにこの屍人の群れに突っ込んでくる馬鹿がいるとはな」
頭上から呆れとも称賛ともつかぬ声が降ってくる。息苦しさを堪えて目を開けると、そこには一目見て戦士と分かる荒々しい雰囲気の男が私を見下ろしていた。
その瞳は暗闇の中でも爛々と赤く輝いている──ヴァンパイアだ。つまりこの男がアンデッドの群れの首魁で、マドさんをあんな風にした張本人。
「あのゴミどもの情報じゃマードレッドに仲間はいないってことだったんだが、あのエルフといい坊主といい、十日足らずの間に何があった? この戦力差を見りゃ普通一〇年来の仲間だって見殺しにするぜ。それともお前さんも陽動で、他にもまだ仲間がいたりするのか?」
「おぇ……ッ!」
ヴァンパイアの男は私の胸に体重をかけながら顔を覗き込んできた。表情を見れば警戒3、好奇心7と言ったところか。
「…………っ」
「お? 悪い悪い。これじゃ喋れねぇか」
男は私の胸に置いた足にかかる体重を少しだけ緩める。
「──で? 結局お前さんマードレッドの何なんだ?」
「蝙蝠風情が、馴れ馴れしくマドさんの名前を呼ぶんじゃねぇ……っ!!」
絞り出すような私の罵声に、男は怒るでもなくキョトンと目を丸くし、やがて馬鹿馬鹿しいものを見たかのように吹き出した。
「──カハッ。何だお前、マードレッドの男か?」
「違うっ!」
どいつもこいつも、男と女と見れば金太郎飴みたいに同じこと言いやがって。
私ごときがマドさんの男な訳がないだろう! 少しはつり合いってものを考えろゴミカス。私はマドさんの、えっと……何だ? 仲間というのは少し対等っぽい感じで言い過ぎだし、下僕というと厭々仕えてるみたいでイメージが良くないな。えっと、えっと──
「私はマドさんの犬だ!!」
「…………は?」
私の答えにヴァンパイアの男は呆気にとられた様子でポカンと口を開ける。
「あ~…………あの小娘がついに色に目覚めたかとからかってやろうかと思ってたんだが……え? 犬? マジで?」
「何がおかしい!!」
「何がって……まぁ、本人が納得してんならいいんだけどよ」
何か勢いでとんでもない風評被害を生み出してしまった気がする。
「うん。こんなところに一人でご主人様を助けにやってきたんだ。正気かどうかは一旦おいとくとして、お前さんとしては大真面目なんだろうさ」
ヴァンパイアはすぐに気持ちを切り替え、肩を竦めて続ける。
「しかし、その小娘にそんな価値があるかねぇ?」
──ア゛?
マドさんを馬鹿にされたと感じて私の脳が一瞬で沸騰するが、それが形となって表れるより早く、男は身体を半身ずらし私からマドさんが見えるようにして続けた。
「よく見てみろよ、そいつを。ガタガタ震えて怯えるばかりで、まるでホントにそこいらの町娘みたいじゃないか」
荷車の上のマドさんは目をギュッと固く瞑り、頭を抱えて幼子のように小刻みに震えていた。
「俺がマードレッドにかけた精神支配はとっくに解けてる。縛るものは何もない。もうとっくに自由になってるのに、そいつはお前さんがこうして殺されそうになっても知らんぷりしてるんだぜ?」
──錯乱してるのに、自由? どういうことだ?
「あいつの向かいに座ってる屍人が誰か分かるか?」
言われて、マドさんと向かい合うように荷車に乗っている屍人を見る。単なる見張り役かと思って気にもしていなかったが……ドワーフ? あれは、まさか──
「父親だよ」
「!」
「そいつは自分の父親の死体を見ただけで、すっかり心が折れて動けなくなっちまった。二年前、一度は自分が止めを刺したってのに、もう一度やれと言われたら無理なんだと。いや二年前も追い詰められて自棄になってたからできただけで、本当は身内を素面で傷つけられるような人間じゃないんだろうさ。復讐だ何だのとカッコつけちゃいたが、所詮そいつはどこにでもいる普通の小娘でしかないんだからな」
「────」
全身の血液が沸騰して一瞬で冷めたような奇妙な浮遊感。
目の前の男が言っていることが意味不明過ぎて、いつの間にか怒りすら忘れていた。
「しかし犬ときたか。こうなるとマジもんの狂人の可能性も出て来たな。さて、どうしたもんか……」
男は私の感情を置き去りに、少し考えるように呟く。そして改めて私の顔を観察し──
「……まぁ、見てくれはいいし、取っておけば何かに使えるだろ」
その瞬間、男の両目が怪しく光り、私の胸から足をどかす。
「…………?」
何をしているのだろう? 私は男のその動きに首を傾げ──逃げ出すでも反撃するでもなく、ぼんやりと男を見つめていた。
男の左手が私の胸倉を掴み、宙に持ち上げる。それでも私はなにも抵抗せず、脱力してされるがまま。そのことをおかしいとすら思わなかった。
男はゆっくりと私の首元に顔を近づけ──
「しっかりなさい!!!」
──ギィン!!
「っ!」
虚空から突然ディネルースが現れ男に斧で切りかかる。突然の奇襲を、しかし男は驚きながらもしっかり剣で受け止めていた。その攻防で私の身体は再び地面に投げ捨てられる。
「──ケフッ」
衝撃でぼんやりとしていた意識がほんの少しだけクリアになった──魅了の魔眼か?
「彼女を救いに来たんでしょう!? しゃんとなさい!!」
ディネルースの叱責で更に少しだけ意識が晴れる。
そうだ。とにかく動かなければ。ディネルースが時間を稼いでくれている今の内に何か。
私が反応の鈍い身体に喝を入れ、身体を起こそうとした──刹那。
「!?」
ディネルースと鍔迫り合いをしているヴァンパイアの男と目が合い、その目がニヤリと嗤ったのが見えた。
──ヒュン!!
ヴァンパイアの男がディネルースの長柄斧をいなし、私に向かって剣を投擲する。
尻もちをついていて反応の鈍い今の私では回避不可能。
「──ちぃっ!!」
──ザシュッ!!
「!?」
鮮血が舞う。私を庇ったディネルースの腕をヴァンパイアの剣が貫いていた。
そしてヴァンパイアは腰に差したもう一本の剣を振りかぶり──




