グリコピロレート公爵令嬢と黒い竜2
空が青い。記憶にある前世の空は、もっと白くて、水色の空だったように思う。青がとても深くて、綺麗。いつも家から見る空とは違い、見渡す限り一面の大空だった。
…………ここは、どこだ。
ララの下にはまだ若い草むらがあった。太陽の光を受け、青く瑞々しい。見渡す限りの大自然! 遥か遠くはなだらかな坂になっていて、ララがいた場所を頂点にして盛り上がっているのがわかる。
もう一度言おう。ここは何処だ。そして、あのバカはどこだ。
わー綺麗な緑! 皆元気ねえ。あっ、小鳥さんがいるわ! お待ちになって~ウフフフフ~! なんてこと、ララは絶対にしないだろう。無邪気になるには彼女は精神年齢が高すぎた。ただ自分が置かれた現状に頭を抱えるばかりである。ちなみに、未だに頭痛はやまず、ララは大変機嫌が悪い。立ち上がって辺りをうろつけばここがどこだか分かっただろうが、頭痛を抱える今は体勢を変えることすら億劫で、ララは未だ寝転んだままである。ここはイカタ山。小さいが異様ににょっきりと伸びた山で、斜面は90度になることもあるという、普通の人間には登れない山である。ララが坂を見に行けばあまりの斜面の急さに目眩がしただろう。体調の悪い今はそのまま転がり落ちてしまったかもしれない。生命の危機だ。勿論、ユウリカ王女がララをここまで運んで来た。ララを頂上に置き、忘れ物を取りに帰って、城の人間に盛大にお叱りを受けている最中である。ララは、大自然の山の上で一人置き去りだった。頭を押さえながらララは呻く。
「クッッッソガキ、地獄に墜ちろ……」
周りに大人がいたならば、不敬罪必至な暴言である。彼女が一人きりで本当に良かった。しかしララは早急にこの山を降りなければならない。この山には動物が住み着かないので、野獣に襲われる心配はない。しかし、この山に動物が寄り付かないのには訳があるのだ。このイカタ山は竜の休息所という別名がある。竜が来るのである。
『ほう、昨日の童ではないか』
ララはその声を聞いて、閉じていた目を開け、自分に語りかけてきた相手が誰だかきちんと確認した後、心の底からユウリカ王女へ思い浮かぶ限りの罵詈雑言を並べた。その言葉をここに羅列することは出来ない。言えることはひとつ、彼女は生前お育ちが大変悪かったであろうということだけだ。
ララがいるせいで山に降り立てない竜は不細工な羽根を動かして山の上空に浮かんでいる。頭を押さえて唸るララを見て、首を傾げた。
『頭が痛むのか?』
至って普通に話しかけてくる竜を相手にララは困っていた。竜は普通、魔族側に位置する生物として知られている。敵なのだ。なのでララはどう対応したものか迷っていた。穏便に何もせず、このまま興味をなくして何処かに行ってしまわないかなあと考えていた。そういうことにしておいてくれ。しかし心を読むという技など特に会得していない竜はそんな心が分からないわけで、更に言葉を続けた。
『何か喋ったらどうだ?』
「ハァ?」
あ、今のなかったことにしませんか? え? もう無理? ああ、そうですか。はい、分かりました。ええ、はい。もういいです。すみません。
『我は今童に話しかけている』
「何で私があんたと仲良くしなきゃなんないわけ?」
すいません、あの、せめてピー音は……あ、無理ですか。そうですか。ああ…。
『機嫌が悪そうだな』
竜は何故か笑いながらそう言った。え? 何で人間以外の生物の感情が分かるのだって? そりゃあ竜だってね、おかしければ笑いますし悲しければ泣くんですよ。当然じゃないですか。鬼じゃないんですからね。え? 鬼は笑わないのかって? いや笑いますよ鬼だって。……あの、この話題やめにしません?
「どっかの誰かさんのおかげでね!」
吐き捨てるようにララは言います。本当に頭が痛そうです。しかし竜は笑っています。
『……ユウリカの相手は大変だろう』
「ただつれ回されてるだけなのを相手をしているというのは正しいのか?」
『今までアレの相手ができるやつはいなかった。誰もが1日で役目を投げ出した』
「おい、人の話聞けよ」
ああ、ああ、竜相手にそんな口を聞いて! しかしこの竜はそんなことじゃ機嫌を損ねたりはしません。ララ! そのことに深く感謝しなさい! 感謝して土下座しなさい! さあ!
『アレは今までずっと一人ぼっちだった。次々と母が代わり侍女が代わり使用人が代わり、アレの側に留まれる人間は居なかった』
「いやいきなりどうした」
『お前以外のやつではアレについていけないだろう』
「ねーよ」
『そうか? 人と逸脱しているという点では、アレもお前もさして変わりはないだろう』
ララはその時初めて竜に興味を持ったように視線を向けた。藍媚茶色の目が鈍く輝く。幼女の外見には凡そ似つかない瞳の輝き方だった。
静かにララは問いかける。
「今、なんて?」
『我には解る。その小さな外見に押し込められた魂が、見た目通りの形を成していないことが』
「……へえ?」
『このことをアレに教えてやれば、今以上にお前に付きまとって大変だろうなあ?』
にやにやと意地悪く哂う竜を視界に収めて、ララは分かりやすく嫌悪を示した。随分と俗物的な竜だ。我とかいう一人称を使っておきながら、なんと性格の悪いことだろう。……そろそろナレーションの役代わってもらえませんか? ええ、はい、ちょっと彼女の心の声が耐えがたいというか、こんなに可愛い子からあんな言葉聞きたくなかったっていうか……、はい、私しかいませんよね。はい。すいません。はい。
「【放送禁止用語です】竜め。冥府に堕ちろ」
『我はアレが割と気に入っていてな。気にかけているのだ』
「じゃあアンタがあの糞馬鹿と一緒にいてやればいいじゃん」
『そういうわけにもいかない。アレが王女である限りは』
「あの糞馬鹿は王女なんてしてるから余計性質がわりぃのよ。そんなん捨てさせちまえっつーの!」
『言っていいのか? アレに、お前のことを』
ララは盛大に舌打ちをしました。頭の中は依然竜への悪口で一杯になっています。もうこの仕事辞めたい。女の子に幻想を抱いて生きたい。
『もうすぐアレが帰ってくる。アレの名前を呼んでやってくれ』
「何で私が」
『アレはユウリカと呼んでもらったことがないのだ。頼む』
ララは竜を鼻で笑った。
「そんなの、私も一緒だけど!」
ララの名前はユウリカ・ベラドンナ・ララという。本来なら愛称はユウリカから取るのが正しいのに、父親の意向で3番目のララから愛称が来ている。そのことにララは少なからず不満に思っていたし、その元凶となったユウリカ王女を良く思っていなかった。その自分が、彼女をユウリカと呼ぶなどと! 例え天地が引っくり返ったとしてもやらないに違いない。が、今ララが相対しているのは竜である。ユウリカ王女を気に入ってる、ララ曰く、幼少期に性格がねじくれ曲がってそのまま大人になった底意地の悪い竜である。先ほど殊勝にも頼むと言っていたのに、あっさりとお願いは脅迫に替わった。
『では、呼べ。命令だ』
ララはこの世界で生まれてから今まではっきりと命令されたことは一度もない。拒否権のないお願いはあれど、はっきりと『命令』と言われたことはないのだ。公爵家に生まれ容姿にも恵まれたララにそんなことを強要する人間はいなかった。初めて味わう屈辱にララは身を打ち震わせる。糞! バラされることがなんだっていうんだ! 今まで以上に王女に付きまとわれる!? そんな確証どこにもないじゃないか! しかし1%でもその可能性があるのならば、ララはその可能性を潰すことに身を費やすしかなかった。会ってまだたったの二日だが、ユウリカ王女がララに与えた恐怖は大きい。
『ではな。またお前には会いに来よう』
「二度と来なくていい!」
強風を巻き起こしながら竜は去って行った。ララは結局終始横たわったままである。完全に竜を舐めている。すいません、いつもはこんなんじゃないんです。ただ今日はちょっと具合が悪くて……、はい、頭痛が酷いようです。ええ、原因は分かっています。ユウリカ王女の石頭に自ら頭突きしてしまったせいですね。はあー、しかし、ようやく竜は行ってくれましたか。ほんと良かったですよこれで私の仕事は終わりってもんです。今回は彼女の心の声があまりにも酷いものだったので仕方なく私が呼ばれただけですからね。いつもは全然、まったく、関わることなんかない存在ですから! 私は! 全然違う仕事を押し付けられて全然勝手は分からないし、途中から私の本音も駄々漏れになっちゃうし……もういいことなんかないですよ。ええ、私のことなんか綺麗さっぱり忘れてくださってけっこうです。ええ、ええ! それではお暇させて頂きます。こたびのユウリカ・アルバ・ララの所業、何卒目を瞑って頂けると幸いでございます。いつもはもーちょっと、猫を被れる子でございますので。ええ、お約束しますとも。ですから何卒何卒、此度のことはどうぞ記憶から抹消させて頂きたく……え? なら何でこんな話書いたかって?それはララがユウリカ王女をきちんと名前で呼ぶ羽目になった顛末だからでございます。ちなみにララはこの後、迎えに突進して来たユウリカ王女を不承不承名前で呼んでやって、感動の余り全力で抱きしめられて肋骨を折る重傷を負うのでございますが、そんなことはもう私の知ったことではないので割愛させて頂きます。職務怠慢じゃないか? 最後まで仕事をしろ? 知りませんよそんなのこれそもそも私の担当じゃありませんし。文句は担当のデスクに置いておくので文章にして提出して下さい。それでは皆さま、本当に御機嫌よう。またお会いすることはないでしょう。




