グリコピロレート公爵令嬢と魔導書5
ロジンが部下を大勢引きつれてララが寝かせられていた居館の一室に辿りついた時、部屋の中は大混乱を極めていた。温厚で知られているグリコピロレート公爵とその夫人、子どもたちと何故か虎が部屋の中で右往左往しているのである。公爵は倒れた夫人を抱えながら床に蹲って使用人たちに指示を飛ばしているし、長男アトロピンは末娘で今回の騒動の被害者、ララと父である公爵の間を青い顔で右往左往しているし、次男スコポラミンはララの傍らに控えて離れない虎相手にウワー! ウワー! と頭の悪そうな言葉を連呼しているし、被害者の筈のララはベッドで右手を横に振りながら、「違うの! 私じゃないの! 違うの!」と叫んでいる。全体的に慌ただしく、多くの使用人がひっきりなしに部屋を走り回っている。ロジンが思わず唖然としていると、背後からスッと彼の目の前に現れる人がいた。
「何をしているのですか!」
この国の王妃だった。深い黒の髪を頭の上で纏め上げ、常に凛と佇む王妃が供と共に現れ、部屋の中を一喝する。部屋の内部にいた人間は全員ピクリと動きをやめ、王妃を振り向く。全員が驚くほど顔を真っ青に染め、やってしまった、という表情をしていた。使用人の何人かはひきつけを起こしている。
「一体何があったというんです! グリコピロレート公爵までこの、よう……」
部屋に足を踏み入れた王妃の口が止まる。公爵が屈んでいる傍らに横たわるものがあることに気付いたせいだ。その瞳は驚きに丸く開かれ、口は震えながら中途半端に開く。ロジン含む宮廷魔法使い達は全く状況が分かっておらず、首を傾げた。王妃が悲愴な声で名を呼んだ。
「ユウリカ……ッ!」
宮廷魔法使い達は皆驚きに口を間抜けに開いた。公爵が首を振りながら退いた先にはぐったりと横たわるユウリカ王女の姿が確かにある。これまで様々な騒動を引き起こし、散々この城を掻きまわし破壊しても尚倒れることのなかったあのユウリカ王女が、倒れている。あの、ユウリカ王女が!
いついかなる時も冷静だった王妃が取り乱したように王女に近寄るのをロジンも追った。ロジンの部下で医療魔法が得意な部下も何人かついてくる。駆け寄った王妃が王女を抱き起こし、ユウリカ王女の顔が露になる。涙で肌はカピカピ、髪はぐちゃぐちゃであったが、何故かその顔は幸せそうであった。王妃が呆然と呟く。
「寝て、いる……?」
「はい、王妃様。ユウリカ王女は寝ていらっしゃいます。どんなに揺り動かしてみても、目を覚ましません」
ユウリカ王女は感覚が鋭く、人が近くに寄ったらすぐに目を覚ましてしまうことで有名だった。赤ん坊の頃から睡眠時間が極端に少なく、また眠そうな素振りも見せないという王女の超人ぷりはこの城の者は誰もが知っている。視線を感じるだけでも目を覚ましてしまうのに、今は幸せそうな顔で、起きる様子は欠片も見えない。ロジンの部下がはっとしたように呟く。
「魔力が枯渇しています…!」
王妃は驚愕で顔を染めて、ロジンを見つめた。ロジンも驚きに目を剥きつつ、王女の魔力を探る。確かに今の王女は魔力が全く残っていなかった。今まで王女がどれほどの無茶な魔法を使ったことだろう。魔導理論など全く知らない王女の使う魔法は燃費が悪く、無駄な魔力を大幅に使う。そんな魔力量で押しきる無茶な魔法を王女はいつも乱発してきた。それでいて一度も魔力が尽きることなどなかったのに、一体何をしたというのか。原因にまるで検討がつかないロジンは王妃に頷いて見せる他することはなかった。
「この子の魔力が枯渇するなんて……一体何をしたというのです」
呆然と王妃は呟く。周囲にいた人間全員が同じように呆然としていた。部屋が沈黙に包まれる中、一人の侍従が「あの……」とか細い声を出した。皆が彼に注意を向けると、縮こまりながら両手に抱えていた物を目の前に掲げる。魔導書だった。
「何故それがここに!」
「ボロボロになっているぞ」
「馬鹿な……」
宮廷魔法使い達が動揺する中、ロジンはさっと立ち上がり侍従の元へ向かった。彼から魔導書を受け取ろうとし、あまりの熱さに取り落としてしまう。
「あっつっ……!」
「ロジン様!」
「ロジン殿!?」
宮廷魔法使いと近衛騎士団が沸く。それを片手で制して、ロジンは上着を脱いだ。上着を使って魔導書を抱え込み、慎重に持ち上げる。魔導書は未だかなりの熱を発していてとても素手で触れそうにない。しかしさっきまで侍従はこれをしっかり持っていた。ロジンは疑惑を抱きながら目の前の侍従に目を向けた。すると彼は先ほどまでの恐縮した様子消し去って、老齢の古狸がするような喰えない笑みを浮かべていた。
「全く、あの王女の教育をしっかり頼みますよ。殺されるかと思いました」
「なっ、」
「ロジン殿! お下がり下さい!!」
「おかげで彼女の魔法が中途半端になってしまいました。いずれ再挑戦しに来てください。絶対ですよ」
視線を向けられたララはびくりと体を震わせる。彼の目は瞳孔が開いており、狂気が宿っていた。その瞳が”絶対逃がさない”と語っているようだ。
近衛騎士団が槍で侍従を騙る彼を取り囲み拘束する。王妃や王女、公爵一家は宮廷魔法使いが敷いた結界に守られ、皆一様に不審人物に目を向けていた。しかし彼はララしか見ていない。
「捕らえろ!」
一寸の隙なく相手を追い詰めた、筈だった。逃げ場のなくなった彼は捕らわれる寸前、空気に溶け込むかのように掻き消える。もやのような塊になったソレは、ロジンが抱える魔導書に吸い込まれるように溶けていく。呆然とその様を全員が視線で追い、魔導書を抱えるロジンにやがて視線を移す。ロジンは魔導書の熱が急激に冷めて行くのが分かった。頭の中に一つの仮説が浮かぶ。
「まさか、今のは魔導書の意思……なのか?」
魔導書は稀代のタキソールが作成し遺した、貴重な魔法の道具だ。今まで数多の者に魔法を伝えて来た。しかし、これが一体どういう仕組みでどうなっているのか、全くの未知数だ。実際に魔導書を使った者だって理解できていないし、タキソールも詳しいことは語らなかったと聞く。こうした不可思議な現象が起こることも可笑しくはなかった。
それでも魔導書が実態を持って言葉を解すなど、荒唐無稽な仮説だ。しかし、それ以外に考えられない状況証拠が揃っていた。証人の数は20人以上に及ぶだろう。ロジンは信じられない思いでいながらも、自分の仮説が間違いではないことを確信していた。すっかり温度のなくなった魔導書をしげしげと眺め、ふいにララへと視線を移した。
「あ、」
そういえば、公爵令嬢の目覚めを誰も祝っていない。
「まずは魔導書から5歳という幼い時分で生還できたことを祝おう。アルバ魔法王国の王として誇りに思う」
豪華で重苦しく、天井がやたら馬鹿高い一室で、上座に腰かける王が恭しく言葉を紡いだ。豪華に見えれど、その実この部屋に存在する調度品全てが魔法道具であることを私はついさっき知った。王が纏っている外衣も王冠も全てそうだというのだから、この国はどれだけ備えれば気が済むのだと声を大にして叫びたい。魔族ってそんなに怖いんですか? 隙が無さ過ぎて息が詰まりそうです。マジで。
横に侍らせた虎に手を伸ばした。虎がすり寄ってきて、毛の触り心地の良さに少し心が安らぐ。王様もね、お父様もね、騎士団の人達もね、みーんな空気が重たい! どんより! え、これ私の快気祝いなんだよね? 別に今魔族が侵攻してきましたとかいう知らせ入ったわけじゃないよね?
「魔導書に引き込まれた理由が王女のせいであること、父として詫びる。申し訳ない」
王様のモウシワケナイはすごく低い声で、腹の底から絞り出したような振動が含まれていた。本当に心底申し訳なく思っているんだろう。こんなに厳格な国の王なのに、臣下、それも5歳児に謝罪出来るなんてすごい王様だ。え? 何で王女のせいってことになってるんだって? そりゃあ、勘違いを訂正してないモン。当然じゃないですか。自分に不利になる間違いをこの私が正すわけないでしょ!
恐縮して頭を垂れる父の横で、私はまっすぐに王様を見上げた。あのユウリカ・スポンジ頭・オウジョサマとの共通点を探してみる。鼻と口が、面影があるかもしれない。王様は年の割に随分と皺が多く、疲れているようだった。何年もずっと戦争している国の王様というのは皆早く老けるのかもしれない。息抜けないだろうし。癒しである筈の一人娘は国一番のトラブルメーカーだ。見上げる私に気付いた王様は、しばらく私と目を合わせた後、ゆっくりと瞼を閉じた。睫毛長いなーオッサン。そうして次に開けた目の色は、全く読めなかった。さっきまでは私に対して憐憫の意思が感じられたのに、今は何も分からない。
だから、王様が口を開いた時、体がビクついた。
「これからも我が王女のこと、よろしく頼む。覚えたその魔法で王女を守り、導き、監視してくれ」
お父様と私はこの時全く同じ顔をした。目ん玉ポカーン、お口ぽかーん。後ろに控えていた騎士たちだって、もしかしたら甲冑の下では同じ顔をしていたんじゃなかろうか。今この王様は、何て言った? え? 監視? 実の娘を、虎を従える5歳の幼女に、監視しろって?
退出する王様を見送って、ギギギと首を唸らせながらお父様を顔を合わせた。わあ、私の顔立ちはお母様譲りですけど、さすが親子、全く同じ表情ですね私たち!
「今、監視って言ったか……?」
「言いました、お父様」
驚きの余り舌ったらずな言葉遣いにするのも忘れ頷く。公爵家といえど、うちは前世の記憶がある私から見ても至ってフツーの家族関係を築いている私達一家である。『監視』って、えええ……?




