逆流する血脈
三回裏、東広島ボーイズの攻撃。
一番・西田に「生体ノイズ」をハックされ、レフト前ヒットで出塁を許した本川中学校。王者のシステムは、一度掴んだ綻びを徹底的に引き裂きにきた。
二番・野々村健二郎は、拳士の左腕の癖を冷徹に見抜き、外角の高速スライダーを完璧に流し打ってライト前へ。ノーアウト一二塁。
続く三番・鈴木悟は、拳士が焦りから投じた真ん中高めのストレートを逃さず、コンパクトなスイングでセンター前へと弾き返した。
ノーアウト満塁。
スタジアムの全方位から東広島の歓声が地鳴りのように押し寄せる中、四番サード、ブラウンJrがゆっくりと打席へ向かった。丸太のような両腕が、本川中のナインに無言の死刑宣告を突きつける。
絶体絶命の盤面。ここで本川中学校のベンチが動いた。
衣笠総監督が、パイプ椅子からゆっくりと立ち上がり、審判に向かって太い腕を掲げた。
「タイム。……サードの宮﨑に代えて、石原(卓人)」
スタジアムが、そして本川中ベンチが一瞬で凍りついた。
先ほど異次元の野生でブラウンJrの打球を捕らえ、二塁打を放ったチームの主砲・宮﨑を、この満塁の局面でベンチに下げるという非情な決断。
「なんば言いよっとですか、総監督……っ!」
サードの定位置から猛然とベンチへ戻ってきた宮﨑俊平が、むき出しの佐賀弁で不満をぶちまけた。額に青筋を立て、衣笠を睨みつける。
「俺の守備の、どこん不満ですか! ブラウンの打球ば止められるのは、俺の野生(目)だけやろが!」
衣笠は動じなかった。その鋭い眼光で宮﨑を正面から見据える。
「宮﨑。お前の野生は本物だ。だが、東広島はお前のその野生すら先ほどの打席で檻に閉じ込めた。今のブラウンJrは、お前の一歩目の予測をさらに逆手に取るマニュアルを藍沢から受け取っている。……これ以上の泥仕合は、チームが燃え尽きる」
衣笠は、ベンチの後方でスパイクの紐をきつく締め直していた少年へ視線を移した。
「東広島のシステムを壊すには、そのシステムの内側で育った『本物の毒』が必要だ」
「……チッ、好かん。胸糞悪か」
宮﨑は激しく舌打ちをすると、グラブをベンチの床に叩きつけるようにして、渋々ながらも交代を了承した。すれ違いざま、ユニフォームに着替えた石原卓人の胸元を、宮﨑の鋭い眼光が射抜く。
「おい、エリート。後ろは俺がベンチから見ててやる。無様な真似しやがったら、タダじゃ置かんぞ」
「……言われなくても、僕の仕事を果たすだけだ」
石原卓人は静かに、しかし冷徹な足取りでサードの守備位置へと向かった。
バックネット裏の特別席では、ライジングドラゴンズの二軍監督・石原が、シートから身を乗り出して我が子の姿を凝視していた。
(卓人……。お前は、自分が育った東広島の完璧な檻を、内側からどうハックするつもりだ)
サードの定位置に就いた卓人は、マウンドの拳士を見た。拳士は冷酷なまでに澄んだ瞳で、新入部員の横顔を見つめ返している。
卓人はグラブを叩き、マニュアルの「言語」をチームに共有し始めた。
「杉谷、城島。ブラウンJrの今のハックマニュアルは、僕がシニア時代に設計した『対・変則投手用』のロジックそのままだ。あいつは初球、必ず外角の球を『見送るフリをして、踏み込んで逆方向へ運ぶ』。……裏をかくなら、そこだ」
卓人の言葉に、健二のメガネの奥の瞳が妖しく光り、拳士がグラブの中で白球の縫い目を強く押し潰した。
ノーアウト満塁。打者、ブラウンJr。
本川中のシステムに、東広島の最高級パーツにして最大の「毒」が組み込まれた。王者の完璧な計算回路が、身内のハックによって、初めて狂い始めようとしていた。




