表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
杉谷拳士物語  作者: 水前寺鯉太郎
中学生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/56

想定外の決壊


 ノーアウト満塁。打席には怪物を超えた怪物、四番・ブラウンJr。

 サードの定位置に入った石原卓人がもたらした、かつての古巣の「内部ハックデータ」は、確かに本川中学校のバッテリーに一筋の光を与えていた。

「初球、外角を見送るフリをして踏み込んでくる。杉谷、城島……そこを突くんだ」

 卓人の生きた言葉に、健二が細かく指を動かす。

 マウンドの拳士は左腕を選択した。セットポジションから地を這うような重心。放たれたのは、外角低めへ逃げる高速スライダー──ではなく、卓人のデータを元に、ブラウンJrの踏み込みを見越してそこから「さらに外側へボール二個分」逃げる、超鋭角のボール球だった。

 ──ブンッ!!!

 ブラウンJrの丸太のような腕が、卓人の予言通り完璧なステップで踏み込んできた。しかし、卓人の頭脳が導き出した「限界のさらに外」を通過する白球に、怪物のスイングがわずかに狂う。バットの先端が白球をこすり、乾いた音が夜空に跳ね上がった。

 ──ポコォン。

 打球は内野の頭上を越え、レフトの神里の前へとふわりと上がった。詰まったレフトフライ。

「神里、捕ってすぐバックホームだ! 西田の足なら突っ込んでくる!」卓人が叫ぶ。

 神里がブレード(義足)のバネを鳴らして落下点へ滑り込み、難なく捕球。一死。

 だが、東広島ボーイズの走塁マニュアルは、この程度の「バグ」で停止するほど甘くはなかった。

 三塁走者、一番・西田竜馬。神里のグラブに白球が収まった瞬間、彼のスパイクが爆発的な推進力で三塁ベースを蹴った。

「突っ込んできた……っ!」

 神里が着地と同時に強烈なステップでバックホームする。炭素繊維のブレードがしなり、矢のような送球がホームベースへ突き刺さる。完璧な軌道。白球と西田の突入が、完全に同時にホームプレート上で交錯した。

 ──バシィィィッ!

 激しい砂煙の中、健二のミットが西田の体に触れる。しかし、西田の左手は、健二のタッチを神懸かり的なスライディングでかいくぐり、すでにベースの角を白く染めていた。

「セーフ!! タッチアップ成功、1点追加!!」

 0対1。

 卓人のデータで四番を打ち取りながらも、東広島の「セオリーを極限まで研ぎ澄ました足」の前に、ついに先制点を毟り取られた。

 だが、本当の地獄はここからだった。

 一死一二塁。スコアボードに刻まれた「1」の数字が、マウンドの拳士の脳内システムに、目に見えないノイズを走らせていた。

(データを合わせた……。完璧にハックしたはずなのに、それでも点が動くのか)

 わずかな、本当にわずかな思考の遅れ。それが、拳士の両腕のリリースをコンマ数ミリ狂わせた。

 打席には五番レフト、ロサリオJr。父親譲りの獰猛なスイングを誇る、もう一人の規格外。

 健二のサインは、動揺を断ち切るための外角低め、右腕からの高速スライダーだった。

 しかし、拳士の指先が白球を押し潰す瞬間、限界を迎えつつある右肘の奥がピクリと跳ねた。縫い目から指が滑る。

 スッポ抜けた。

 白球は、ベースの「ド真ん中」へ、回転を失ったただの棒球となって吸い込まれていった。最も投げてはいけない、危険極まりないエラー・ボール。

「杉谷、ダメだ……っ!!」

 健二の悲鳴のような声が響いた瞬間には、すでにロサリオJrの黒バットが、スタジアムの夜風を切り裂いていた。

 ──ドゴォォォォォンッ!!!!!

 広陵戦での宮﨑の一撃すら生ぬるいと感じさせる、文字通りの爆音がスタジアムを圧殺した。

 放たれた白球は、カクテル光線の光を浴びながら、信じられない速度のライナーとなってバックスクリーンへと一直線に上昇していく。センターの高木が一歩も動けず、ただその圧倒的な破壊力の軌道を目で追うことしかできなかった。

 バックスクリーン中央、防護ネットを突き破るかのような衝撃音。

 スリーランホームラン。

 0対4。

 東広島ボーイズのスタンドから、スタジアムが崩壊するほどの歓声が湧き上がる。

 マウンドの拳士は、呆然とバックスクリーンを見上げたまま、動けなかった。右手の指先はかすかに震え、六本指の特注グラブが重く垂れ下がる。

 ベンチでは、宮﨑がパイプ椅子を激しく蹴り飛ばし、佐賀弁で怒号を上げた。

「だけん言うたろが! エリートのデータなんかに頼るけん、あいつらのパワーに力負けするとたい!」

 サードの卓人は、ロサリオJrが悠々とダイヤモンドを一周する姿を、ただ唇を噛み締め、血が滲むほど拳を握りしめて見つめていた。

 スタンドでは、まきが胸の前で両手を固く結び、夜風に揺れる茂治の古い防具袋が、まるでかつてマウンドで散った父の悲劇を再現するかのように、冷たく重く沈黙していた。

 完璧なデータ。それを上回る圧倒的な理不尽の力。

 本川中学校の快進撃は、四点差という巨大な鉄の檻の中に、完全に閉じ込められようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ