絶対王者の盤面
公式戦・第四回戦。ライジングスタジアムのメイングラウンドを包む空気は、これまでのどの試合よりも重く、冷たく張り詰めていた。
対戦相手は、前年の広島地区大会を圧倒的なスコアで制した絶対王者──東広島ボーイズ。
バックネット裏には、広島ライジングドラゴンズの二軍監督・石原の姿があった。その視線の先には、本川中学校のベンチで静かに戦況を見つめる息子・卓人の姿がある。
卓人は、まだこの異能のシステムと完全に噛み合っていなかった。今日のスタインラインアップに彼の名前はない。サードの定位置には、いつも通り鋭い眼光を放つ宮﨑俊平が腰を据えていた。
だが、東広島ボーイズの布陣を見た健二のメガネが、スコアブックの上でわずかに曇った。
「……これは、中学生のチームじゃないな」
東広島ボーイズのメンバーは、文字通り「規格外」だった。
三番サードのブラウンJr、七番レフトのロサリオJr──かつて広島のプロ野球を沸かせた助っ人外国人の血を引く、圧倒的な体格の怪物たち。さらに、ショートには守備の達人・梵裕太郎が構え、ベンチには森下、七里、ジョンソンといった、いつでも試合を終わらせられるエース級の投手が三人、不敵な笑みを浮かべて控えている。
そして、マウンドで静かに右腕を回すのは、東広島の絶対的エース、前田健太郎。
完璧なマニュアルと、徹底された合理主義。彼らは拳士たちの「バグ」を駆除するために用意された、最強の「システム」そのものだった。
「プレイボール!!」
一回の表、本川中学校の攻撃。
先頭打者の杉谷拳士が、左打席に入った。広陵戦での満塁弾。その残像を背負う拳士に対し、東広島の捕手・藍沢翼はニヤリと笑った。
(お前たちのデータは、石原(卓人)の移籍も含めて、全て解析済みだ)
前田健太郎の初球。
──ビシッ!!!
無駄のない、極限まで洗練されたオーバースローから放たれた白球は、拳士のインコースギリギリへ、寸分の狂いもなく突き刺さった。138キロ。現時点での中学生の限界値に近い剛球。
「ストライク!」
拳士はピクリとも動かなかった。だが、その瞳は冷徹に前田の指先をハックしていた。
(球速、回転数、リリースポイント。……広陵の福原とは、精密度が違う。この投手、自分の肉体を完璧にコントロールしている)
二球目、外角へ沈むスライダー。三球目、インコース高めのカットボール。前田の制球は、まるで定規で線を引いたように正確だった。拳士のバットは空を切り、三球三振。
続く二番・健二も、低めのチェンジアップを引っかけさせられてサードゴロ。三番・源田は、外角の直球を綺麗に流し打ったが、ショートの梵が地を這うような華麗なステップでこれを好捕。一塁へ矢のような送球を送り、三アウト。
本川中学校の誇る打線が、一回の表、わずか九球で完全にシャットアウトされた。
「……これが、東広島ボーイズ」
ベンチに戻った健二が、冷静にスコアを書き込む。
「彼らのシステムは、僕たちの不規則な動き(バグ)を、ただの『ノイズ』として処理する回路を持っている。小細工は通じない」
一回の裏、東広島ボーイズの攻撃。
拳士がマウンドに上がった。両腕を交互に回し、マウンドの土を踏み固める。
バッターボックスには、一番センター・西田竜馬。
拳士は右腕を選び、セットポジションに入った。郭コーチ直伝の、低い重心からの高速スライダーを投じる。手元で直角に消える魔球。
しかし、西田のバットは動かなかった。ベースの外側へ逃げる球を、完璧に見送る。
「ボール!」
健二が息を呑んだ。東広島の打者たちは、拳士の「右投げの軌道」を、最初から完全に頭に入れて、スイングの始動をコンマ数秒遅らせていた。
二球目、左腕に切り替えてのインコースへのシュート。西田のバットがコンパクトに一閃した。
──カキィン!
詰まりながらも、打球はレフト前へと綺麗に落ちる。ノーアウト一塁。
完璧なマニュアル野球。彼らは、拳士の左右の投げ分けを「驚き」ではなく、ただの「選択肢の二択」として冷徹に処理し始めていた。
マウンドの拳士は、グラブの中で右手の指先を強く押し潰した。
じわりと、両腕の奥に熱が籠もり始める。
ベンチでは、石原卓人が拳を握りしめ、かつてのチームメイトたちの完璧な動きを凝視していた。
(やっぱり、東広島のシステムは崩れない……。杉谷、お前の魔術は、あいつらにはもう効かないぞ)
スタンドでは、深尾まきが膝の上の古い防具袋を抱きしめ、息を詰めてマウンドを見つめていた。
0対0。
怪物たちが作った「バグ」を、絶対王者の「システム」が冷酷に修正しにかかる、本当の死闘が幕を開けた。




