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杉谷拳士物語  作者: 水前寺鯉太郎
中学生編

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33/56

連鎖する火花


 0対2。依然として広陵学園のリード。

 だが、三回裏に佐野の「耳」と神里の「バネ」が見せた超人的な守備は、名門の完璧な計算盤面に、目に見えないひび割れを入れていた。

 

 潮目が変わったことを、本川中学校のナインは本能で察していた。

 五回表、メープルス第2チームの攻撃。

 先頭は、あの夜スタジアムで茂治の背中に魂を射抜かれた男、七番センター・高木豊。

 マウンドの福原忍は、なおも冷徹なエリートの顔を崩していなかった。初球、外角低めを鋭くえぐる最速135キロのストレート。

 だが、高木の目に迷いはなかった。居場所のなかった夜、金網越しに狂ったように見つめ続けた白球の軌道。その残像が、福原の剛球と重なる。

 ──カキィン!

 球威に押し込まれながらも、高木は分厚い手首の力だけでライト前へ弾き返した。先頭打者出塁。

 続くは、静かに目を細める八番ライト・佐野賢也。

 佐野は打席に入りながら、福原の指先がボールをリリースする「摩擦音」を聴いていた。四回を過ぎ、福原のフォークのキレが、ほんのわずかに、数ヘルツのレベルで鈍くなっている。

 二球目、落差の小さくなったフォーク。佐野のバットが、その軌道を正確に、まるで見えているかのようにすくい上げた。

 ──パシィン!

 クリーンヒット。打球はレフト前へと転がり、ノーアウト一二塁。

 スタジアムの空気が一変する。広陵ベンチの中村がマウンドへ声をかけるが、本川中の「バグ」は止まらない。

 九番レフト、神里和樹が打席に立つ。

 神里は左足のブレードを一度だけ地面に打ち付け、その反発の感覚を脳に直結させた。走るためのバネは、今、打席での爆発的な踏み込みのためにある。

 福原が投じたインコースの直球。神里はブレードのしなりを利用し、凄まじい回転軸で身体を翻した。

 ──バチィィィン!!

 引っ張った鋭いライナーが、一塁手の二岡のグラブを弾いてライト前へ転がる。

 ノーアウト満塁。

 誰もが予想しなかった、下位打線での電撃的な三連打。本川中ベンチの石井が喉をからして叫び、源田が小さく口元を緩める。

 マウンドの福原の額に、初めて冷たい汗が伝った。

(なんだ、こいつらは……。データにあるスイングじゃない。めちゃくちゃだ……!)

 ここで打席が一番に回る。九番ファースト、大槻祐太朗。

 大槻はバットを短く持ち、ただ不敵に笑っていた。彼の足に脳みそはない。あるのは、フィールドの全ての隙間を突く野性の本能だけだ。

 福原の初球。満塁の重圧の中、エリートが選んだのは、最も信頼する外角低めのストレートだった。

 大槻は、その球に食らいついた。綺麗なフォームではない。バットの芯でもない。ただ、ボールの勢いを殺しながら、すくい上げるような、泥臭いスイング。

 ──ポコン。

 間の抜けた打球音が響いた。

 打球は高く上がり、一塁手の二岡と、ライトの七尾のちょうど真ん中──一塁後方の、誰もいない芝生の上へとふわりと落ちた。

 ポテンヒット。

「走れぇぇぇ!!」

 拳士の怒号が響くより早く、三塁走者の高木がホームベースへ頭から滑り込んでいた。一塁後方からの不規則なバウンドを処理する間に、高木の右手がベースを白く染める。

「セーフ!!」

 1対2。

 ついに名門の牙城を崩し、1点を返した。

 歓喜に沸くベンチ。だが、大槻は一塁ベース上で、砂だらけの顔できょとんとしていた。

「狙ったわけじゃないんだけどな。落ちたわ」

「お前の悪運はデータを超えてるよ」二塁へ進んだ佐野が、目を細めたまま呆れたように呟いた。

 なおもノーアウト満塁。打順は二番・杉谷拳士へと続く。

 マウンドの福原は、手にした白球を凝視したまま、激しく肩を上下させていた。完璧に統率されていた広陵のシステムが、本川中の理不尽な連鎖の前に、完全にオーバーフローを起こし始めていた。

 拳士はゆっくりと打席へ向かう。六本指のグラブを外し、バットを握り直すその瞳には、すでに逆転の盤面が冷徹に描き出されていた。

 スタンドでは、まきが弁当箱をしっかりと抱え直し、夜風の中で前を見つめていた。

 6月の夜。名門を飲み込む怪物の嵐が、ついに本格的な猛威を振るい始めようとしていた。

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