連鎖する火花
0対2。依然として広陵学園のリード。
だが、三回裏に佐野の「耳」と神里の「バネ」が見せた超人的な守備は、名門の完璧な計算盤面に、目に見えないひび割れを入れていた。
潮目が変わったことを、本川中学校のナインは本能で察していた。
五回表、メープルス第2チームの攻撃。
先頭は、あの夜スタジアムで茂治の背中に魂を射抜かれた男、七番センター・高木豊。
マウンドの福原忍は、なおも冷徹なエリートの顔を崩していなかった。初球、外角低めを鋭くえぐる最速135キロのストレート。
だが、高木の目に迷いはなかった。居場所のなかった夜、金網越しに狂ったように見つめ続けた白球の軌道。その残像が、福原の剛球と重なる。
──カキィン!
球威に押し込まれながらも、高木は分厚い手首の力だけでライト前へ弾き返した。先頭打者出塁。
続くは、静かに目を細める八番ライト・佐野賢也。
佐野は打席に入りながら、福原の指先がボールをリリースする「摩擦音」を聴いていた。四回を過ぎ、福原のフォークのキレが、ほんのわずかに、数ヘルツのレベルで鈍くなっている。
二球目、落差の小さくなったフォーク。佐野のバットが、その軌道を正確に、まるで見えているかのようにすくい上げた。
──パシィン!
クリーンヒット。打球はレフト前へと転がり、ノーアウト一二塁。
スタジアムの空気が一変する。広陵ベンチの中村がマウンドへ声をかけるが、本川中の「バグ」は止まらない。
九番レフト、神里和樹が打席に立つ。
神里は左足のブレードを一度だけ地面に打ち付け、その反発の感覚を脳に直結させた。走るためのバネは、今、打席での爆発的な踏み込みのためにある。
福原が投じたインコースの直球。神里はブレードのしなりを利用し、凄まじい回転軸で身体を翻した。
──バチィィィン!!
引っ張った鋭いライナーが、一塁手の二岡のグラブを弾いてライト前へ転がる。
ノーアウト満塁。
誰もが予想しなかった、下位打線での電撃的な三連打。本川中ベンチの石井が喉をからして叫び、源田が小さく口元を緩める。
マウンドの福原の額に、初めて冷たい汗が伝った。
(なんだ、こいつらは……。データにあるスイングじゃない。めちゃくちゃだ……!)
ここで打席が一番に回る。九番ファースト、大槻祐太朗。
大槻はバットを短く持ち、ただ不敵に笑っていた。彼の足に脳みそはない。あるのは、フィールドの全ての隙間を突く野性の本能だけだ。
福原の初球。満塁の重圧の中、エリートが選んだのは、最も信頼する外角低めのストレートだった。
大槻は、その球に食らいついた。綺麗なフォームではない。バットの芯でもない。ただ、ボールの勢いを殺しながら、すくい上げるような、泥臭いスイング。
──ポコン。
間の抜けた打球音が響いた。
打球は高く上がり、一塁手の二岡と、ライトの七尾のちょうど真ん中──一塁後方の、誰もいない芝生の上へとふわりと落ちた。
ポテンヒット。
「走れぇぇぇ!!」
拳士の怒号が響くより早く、三塁走者の高木がホームベースへ頭から滑り込んでいた。一塁後方からの不規則なバウンドを処理する間に、高木の右手がベースを白く染める。
「セーフ!!」
1対2。
ついに名門の牙城を崩し、1点を返した。
歓喜に沸くベンチ。だが、大槻は一塁ベース上で、砂だらけの顔できょとんとしていた。
「狙ったわけじゃないんだけどな。落ちたわ」
「お前の悪運はデータを超えてるよ」二塁へ進んだ佐野が、目を細めたまま呆れたように呟いた。
なおもノーアウト満塁。打順は二番・杉谷拳士へと続く。
マウンドの福原は、手にした白球を凝視したまま、激しく肩を上下させていた。完璧に統率されていた広陵のシステムが、本川中の理不尽な連鎖の前に、完全にオーバーフローを起こし始めていた。
拳士はゆっくりと打席へ向かう。六本指のグラブを外し、バットを握り直すその瞳には、すでに逆転の盤面が冷徹に描き出されていた。
スタンドでは、まきが弁当箱をしっかりと抱え直し、夜風の中で前を見つめていた。
6月の夜。名門を飲み込む怪物の嵐が、ついに本格的な猛威を振るい始めようとしていた。




