共鳴する異能
三回裏、広陵学園の攻撃。
マウンドの杉谷拳士が投じた郭コーチ直伝の「高速スライダー」は、名門の打線に確かな衝撃を与えていた。だが、広陵の四番・二岡和志は、ただのエリートではない。打席での圧倒的な威圧感は、阿賀メッツの黒田をも凌ぐものがあった。
二死ランナーなし。カウントワンボールツーストライク。
拳士は左腕を選び、サイドとスリークォーターの中間から、渾身の力で指先を引き裂いた。
白球が手元で鋭角に曲がる──。
「……捕らえた!」
二岡の驚異的な動体視力と強靭な手首の返しが、消える魔球の軌道を力づくで強振した。
──キィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような、金属バットの硬質な快音がスタジアムに響き渡る。
弾丸のような打球が、左中間へと向かって夜空を突き抜けた。打った瞬間、広陵ベンチからは歓声が上がり、誰もが文句なしの長打──あるいはスタンドインを確信した。
だが、その打球音が鳴り響いた瞬間、ライトの守備位置で激しく目を細めた少年がいた。
佐野賢也。
生まれつき光を知らない彼の耳は、打球音の「高さ」「鋭さ」、そしてバットが球を擦った微かな「摩擦音」を、脳内で一瞬にして純粋なデータへと変換していた。
(角度は三十五度。打球の回転は強烈な右スライス。……上空の浜風の抵抗を受ける)
佐野は、白球を一切見ることなく、左中間で打球を追うレフトの方向へ向かって声を張り上げた。教室では決して出さない、鋭く、明晰な声だった。
「神里、左へ一歩! 弾道はフェンス際で死ぬ!」
その声を、レフトの神里和樹は「聴いた」。
神里は打球を見上げることなく、佐野の声だけを信じて左足の炭素繊維製ブレード(義足)に全体重を乗せた。
──カツン!
グラウンドの土を蹴る、乾いた金属反響音。
次の瞬間、神里の身体は、人間の限界を超えた驚異的な加速度でバックを始めた。黒いブレードが夜の照明を反射して光る。バネのような反発力が、彼を一直線に落下点へと押し出す。
フェンスが迫る。だが、神里はスピードを緩めない。
佐野の「死ぬ」という言葉通り、激しく伸びるかに見えた二岡の打球は、フェンスの手前で急激に失速し、失速しながらもなおフェンス直撃の軌道を描いていた。
神里は、右足で外洋フェンスのクッションを強く蹴り跳んだ。
ブレードのバネと、フェンスの反発。二つの力が重なり、神里の身体が夜空へ向かって高く跳ね上がる。
パシィンッ!!!
空中、フェンスの最上部を越える高さで、神里のグラブが白球を完全に捕獲した。
そのままグラウンドの芝生へ着地し、神里は静かに立ち上がる。グラブを高く掲げた。
「……アウト」
球審の声が響いた瞬間、スタジアムが、そして広陵学園のベンチが完全に静まり返った。
誰もが言葉を失っていた。
見えない目で打球の未来を聴き取ったライト。
理不尽な足でその未来へ先回りした、義足のレフト。
名門・広陵が誇る伝統の「長打野球」が、中学生の常識を遥かに超越した「異能の守備システム」によって、完全に無効化された瞬間だった。
「……なんなんだ、あいつらは」
広陵のキャッチャー・中村が、戦慄を隠せずに呟いた。データにも、教科書にもない。エリートたちの計算回路を狂わせる、本物の「バグ」がそこにあった。
マウンドの拳士は、ゆっくりと外野を振り返り、六本指のグラブをパチンと叩いた。
(佐野の耳と、神里の足。……完璧なハックだ)
拳士の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。
もはやこのチームは、拳士一人の頭脳で動くシステムではない。九つの異能が共鳴し、自律して世界を書き換える、恐るべき軍団へと変貌しつつあった。
スタンドの片隅で、まきがそっと息を吐き、膝の上の防具袋を強く抱きしめた。
0対2。点差は変わらない。だが、試合の潮目は、確実に本川中学校へと傾き始めていた。




