野生の足が、定石を壊す
六回、七回と、試合は煮詰まった。
星野凛子は、一点を失うたびに即座に配球を修正してくる。宮﨑のホームランパターンを、その打席内ですでに無効化していた。
(一打席で修正してくる。……こいつ、試合中に進化する)
スコアは1対5。
拳士はグラブを叩きながら、ナインを見渡した。
(力でねじ伏せても、データで封じられる。なら、やることは一つだ)
「聞け。全員バントで動く。ヒットを狙うな。出塁したら足で揺さぶれ。あいつのデータは、パワーとスピードへの対応に最適化されている。ならこっちは、あいつが最も嫌がる『泥臭い泥仕合』でいく」
八回表。先頭は九番ファースト、大槻祐太朗。
バントの構えから転がした打球は、三塁と左翼の間、誰もいない芝の上にふわりと落ちた。
その瞬間、大槻の身体が弾けた。
一塁を蹴る。二塁へ向かう。そこまでは想定内。だが、二塁ベースを回った大槻の足は、三塁コーチの制止をも無視して止まらなかった。
「大槻! ストップ!!」
指令が筋肉に届くより先に、足が爆発する。左翼手の送球より速く、大槻が三塁へ頭から滑り込む。
「セーフ!!」
「なんでやねん!!」
拳士が叫んだ。ベース上の大槻は、砂だらけの顔でばつが悪そうにヘルメットを直した。
「……止まろうとしたんだけど、足が」
「お前の足に脳みそはないのか」
「ないかもしれない」
拳士は言葉を失った。だが、マウンドの星野凛子が、初めてスコアブックを持つ手を止めた。
(バントからの三塁進塁。……あの加速度は、データにない)
星野はペンを走らせようとして、止めた。数値に落とせない何かが、そこにいた。大槻の足は、計算の外側にあった。野性的な本能が生み出すトップスピードは、スコアブックの升目を突き抜ける。
ノーアウト三塁。打者は一番、杉谷拳士。
拳士はバッターボックスへ向かいながら、三塁の大槻を一瞥した。
(お前の本能が、星野の完璧なデータを初めて壊したんだ)
マウンドの星野と、バッターボックスの拳士の視線が交わる。星野のスコアブックには、まだ答えのない問いが刻まれていた。
スタンドで、まきがそっと立ち上がる。
試合の主導権が、ようやく拳士たちの手元へと流れ込んでくる。




