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化ける猫と黒縁眼鏡  作者: 佐伯 みのる
<翌春の章>
29/30

黒縁眼鏡②

 猫柳の作品は、いつも通り『ざらついたフィクション小説』だった。武藤は黙って物語を読み進める。

 確か、猫柳は「武藤くんの名前を貸してほしい」と言っていた。だからだろうか、一人称の視点なので地の文は"俺"なのだが、周りのキャラクターが『武藤』『武藤くん』『武藤さん』などと声をかけてくる。それがどこか読んでいてこそばゆい。全部、猫柳に呼ばれているような気がして。

 誰かが『武藤くん』と声をかける度に、脳内でその声が猫柳のものに自動変換されるのだ。読みにくいったらない。また貸せと言われたら、絶対に断ろうと武藤は決心した。





 猫柳は武藤の作品のページを開く。たった1ページで、しかも数行。とても短編とすら言えない短文。


 理解不能な感情の発生について。

 結論から言えば、発生そのものの否定はできない。

 有意な変化が継続しているものだからだ。

 一時的なものではない可能性があり、常に流動的である。

 注意深く観察しても、掴もうとしても、水のように零れていく。

 論理では説明がつかない、それが”感情”だからだ。

 うまく言語化できない。きっとこれも”感情”の成せる業だ。


 【シュレディンガーの猫】


 なんだろう?と猫柳は小さく首を傾げた。武藤らしい文章といえばそうだが、どこか違和感が拭えない。シュレディンガーの猫、というペンネームだと武藤は言っていたが……本当はタイトルなのではないか?

 シュレディンガーの猫。箱の中に入っている猫は、生きているか、死んでいるか。それは箱を開けるまで、第三者に観測されるまで確定しない。観測できない状態の時、その箱の中には『生きている猫』と『死んでいる猫』の両方が『存在している』。確かそういう理論だったはず。

 武藤は”感情”を『シュレディンガーの猫』に見立てているような気がした。開けてみないと分からない、感情が入った『箱』。しかも感情は無形物だから常に変わっていて、生きていると死んでいるの二択どころじゃない。そして、心の箱は、自らが開けて見せないと誰にも観測してもらえないのだ。


(なんか……まるで俺のこと、書かれてる気がしてきた……)


 猫を被った猫柳。その中の”感情”は、被った皮の下を覗かないと分からない。そう言われてる気がして、少しだけ鼓動が早くなった気がした。

 しかし、まだ何か違和感が消えない。引っかかりを感じるのだ。武藤のことだ、きっとこれだけじゃないのだろう。絶対に見つけてやる、そう気合いを入れて、猫柳はそのたった1ページの文章を何度も何度も繰り返し読み込んだ。




 物語も終盤に差し掛かった。今回のテーマは『青春』…なのだろうか?と武藤は考える。だが、恋愛小説とも少し違う。小説全体を見るといつも思うのが、『何が言いたいのかわからない』だ。

 小説というものは、文学であれライトノベルであれ、現実世界でも異世界転生でも、どれにしても『テーマ』がある。例えば、主人公が仲間と共に成長して魔王を倒す、でもいいし。異世界に転生された会社員が、己がもともと持つ営業スキルを駆使して成り上がっていく、というのもテーマといえばテーマだ。

 何巻も出ているような小説だと、先が読めないので、最終的な着地点は終盤にならないとわからないことが多いが、文芸誌に載せるような短い小説では、起承転結がハッキリしていないと、小説として成り立たない。

 そして『ぽんず』の作品は、起承転結の起こそあれど、あとは結構いい加減だ。起承転結ではなく、起承承転結の時もあれば、起転承転承、で終わることもある。これは東雲朔夜の時からそうだった。だから、小説としてはいつまで経っても下手くそで、だけど手触りだけは、こんなに愛おしくて。

 今回の終わり方など、こうである。


「―――― あ、春希くん!」

そう呼ばれて、俺は振り返った。


 【完】


 振り返って、どうしたんだ?なぜそこで終わる?だから下手猫って言いたくなるのだ。しかし。しかしである。


(………春希…って、)


 文芸誌を持つ手が、僅かに震えた。




 猫柳はまだ考えていた。小難しい男の思考を探るのは難しい。法学部に在籍している誰かさんなんて、特にだ。引っかかりが(ほど)けない。絶対に何か隠してる、それだけは分かるのに。

 最後まで気付かずにいたら、また「馬鹿猫」と揶揄われてしまうではないか。「こんなことも分からないとはな、駄猫め」まで言われそう。そこまで想像して猫柳はちょっと泣きそうになった。

 もう一度、文章を読んでみる。今後は音読だ。ただし、声は出さずに、空気だけを吐くようにして。


 理解不能な感情の発生について。

 結論から言えば、発生そのものの否定はできない。

 有意な変化が継続しているものだからだ。

 一時的なものではない可能性があり、常に流動的である。

 注意深く観察しても、掴もうとしても、水のように零れていく。

 論理では説明がつかない、それが”感情”だからだ。

 うまく言語化できない。きっとこれも”感情”の成せる業だ。


(………ん……あれ?)


 口にして初めて気が付いた。最初の一音が気になる。もう一度、口を動かしてみる。

”り・け・う・い・ち・ろ・う”。

 なるほど縦読みか。猫柳はそこで一瞬無言になった。傍から見ればずっと無言なのだが、口を噤んで猫柳が眉を顰める。なんとなく分かるような、だけど何かがおかしいような。あと少しなのに喉から出てこない、この気持ち悪さ。

 読み方がおかしいのか。武藤ならどういう意地悪をしてくる?縦読みに気づくのまでは想定済みだろう。となれば、あとは文字の読みかた。

 「理」は「り」または「ことわり」。「結」は「けつ」または「ゆう」「むすぶ」。「有」は「ゆう」か「あり」だが、今回は「う」だ。

 そうやって一文字ずつ解体していく。次の文字は、と「一」という感じを見た時、猫柳の思考はぴたりと止まった。


(「一」……これだけでも”いち”だけど、下の「注」と合わせても”いち”……)


 全てが繋がった。やはりこれは縦読みが正しい。そして読み方を変えなければならないのは、「結」だ。

”り・ゆ・う・い・ち・ろ・う”

 これが正解だ。そして……



「「 なんで知ってんだよ!! 」」



 武藤と猫柳が文芸誌を床に叩きつけたのは、同時だった。肩で息をして、収まってきた頃にチラ、とお互いに目配せする。

「………武藤、春希くん」

「………猫柳、隆一郎?」

 改めて名前を呼び合って、ぷっと同時に吹き出し、二人揃ってゲラゲラと笑った。原稿の中身なんて知らない。武藤など、猫柳が知る前に原稿を提出済みだった。なのに、まさかやってることが同じだったとは。

「やばっ、笑いが、ふひっ、止まんな…ッ、あっはははははははははは!!」

「な、んで、ははっ、ここが、被るんだ!腹いてッ…あははははははは!!」

 ヒーヒーと2人、ソファで笑い転げる。時には腹を抱えて、あるいは肩を、背中を叩きあって。腹から気持ちよく声を上げて、2人は思う存分笑いあった。


次回が最終話です!!

☆面白かったときは評価や感想、レビューなどお待ちしています☆

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