東雲朔夜②
一応、オールでの遊びが無ければ毎晩家には帰っているが、そうでない時は武藤の家に行ってから帰ることが殆どだったので、こんな時間に家へ帰るのは久し振りだと考えながら、猫柳はコンビニ弁当をぶら下げてエレベーターに乗っていた。
家の鍵を開けて中に入る。寒い。電気をつけてエアコンの電源を入れる。そういえば、武藤の家に行くときは、先に家主が帰っているので部屋も暖かかったことを思い出す。
「………さっむ」
家の中だけど吐く息が白い。猫柳は靴を脱ぐと部屋の中に入る。相変わらずリビングに堂々と置いてあるベッド。自分の部屋は散らかり放題。仕方がないのでベッドの上で弁当を食べるしかない。武藤がこれを見たら何と言うだろうか?きっと、怒髪天を衝く勢いで怒り、説教が始まるに違いない。
簡単に想像がついて、猫柳がフッと小さく吹き出す。ゆっくりと暖房が効いてきたので、ダウンジャケットを脱いでその辺に放ると、弁当は一先ず横に置いておいて、猫柳はベッドに転がった。
何かがおかしい。昨日からずっとその違和感が拭えないでいる。あの律儀な武藤が既読無視をしているから、と思っていたが、もしかしたら違和感の正体はそれではないのかもしれない。
そもそも、猫柳という人間は『既読無視』されてもまったく気にしないタイプだった。……だったはずなのだ。返事が来ないなら来ないで構わない。だったら自分と話せる他の相手を探せばいいだけだった。有り難いことに、猫柳のLINEには、そういった類の友人の連絡先がいっぱいある。だから、武藤と連絡が取れない時点で、違う相手と遊べばいいだけの話なのに。
確かに武藤自身に違和感を感じている。だけど、それよりもっと『おかしい』のは、きっと自分の方なのだ。
「なんでだろねぇ……なんで、前みたいに上手くできなくなっちゃったんだろ」
あの雨の日に、武藤の前でだけは猫を被らないと決めた。だけど、”それ以外”はそうじゃない。だから、いつもの笑顔で仲間と楽しく遊べば良いのだ。食べに行ったり遊びに行ったり、身持ちが固いわけでは無かったので、ぶっちゃけるとワンナイトラブもしたことがある。だけど、今は。
「………前に、他の奴らと飯食いに行ったのって……いつだったっけ……」
授業のある日に、大学の食堂で同じ学部と奴らと食べることはあるけど、あれはまだ午後からも授業があったりしての流れなので、ノーカンだ。
「………覚えてないなぁ」
あの雨の日からすべてが変わってしまった。自分の心のど真ん中を、生真面目な顔をして陣取ってる奴がいる。もう、誤魔化しようがない。
違和感の正体のひとつが分かった。いや、分かってたけど見ないふりをしてただけなのだ。
「武藤くんに、マジで惚れてんだなぁ、俺」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、仰向けに寝転んで、右腕を両目の上に置く。じわり、と熱いものが服に滲んで、猫柳は歯を食いしばって嗚咽を耐えた。
家に帰って色々ぼんやり考えていたことで、猫柳は課題のレポートがあったことを思い出せた。今までの流れだとギリギリまで忘れてるパターンなので、ラッキーとも言えるだろう。
今回は有難いことにフィールドワークではなく、ちょっと調べ物をすれば終わるだけの簡単なものだ。念のために、しつこいかも、と思いながらも武藤に居場所を問うLINEを送ってみたが、相変わらず既読しかつかない。小さくため息をついて、猫柳は課題に必要な書籍を探すため、カバンを手に教室を出た。
目指すのは、大学図書館。
図書館内で必要な書籍を探す。無駄に広いから大学図書館はあまり好きじゃない。しかし、ここじゃないと借りれない本なのだから仕方ない。
「見ーっけ」
目当ての本を見つけて猫柳が手を伸ばす。だが、隣の本に引っかかって床に落としてしまい、小さく舌打ちをする。こういう小さなことにもイラついてしまうほどに、今の自分には余裕がないのか。苦笑いを隠せず本を拾おうとしゃがんで、そして、見つけてしまった。
窓際の、利用者が本の閲覧や調べ物など自由に使える、窓に沿って横並びの机が並んでいるブース。そこに、見慣れた後ろ姿。既読無視をしている相手は、ここにいた。
静かに受付カウンターに行って貸出手続きを終え、本をカバンにしまってから、猫柳はくるりと方向転換した。ゆっくりと、窓際の机に寄っていく。窓から外を伺えば、雪がチラホラと舞っていた。なるほど、昨夜がひどく寒かったはずだ。
武藤は法学部のテキストを出してはいたが、それらはペンケースと共にブースの端に避けられている。代わりに、部室から持ち出したのだろう、文芸誌が積まれていた。
部室で読めばいいのに、そうしない。なぜ?
「武藤くん」
小さな声で名を呼ぶが、読書に集中しているのか返事がない。もしかしたら気づいてすらいないのかもしれない。一体何をそんなに真剣に読んでいるのかと、武藤の肩越しに覗き込んで、猫柳が息を呑んだ。
東雲朔夜。まただ。……また、東雲朔夜。文化祭の日を思い出す。テーブルいっぱいに放られていた文芸誌、それらのページも全て……。
「そんなに、ソイツがいいの」
思わず強めに声が出て、それで存在に気づいたのか武藤がビクリと肩を跳ねさせる。東雲朔夜の小説に没頭するあまり、猫柳の声かけにすら気づかなかったということか。
それほどまでに……猫柳は東雲朔夜に勝てないということか。自分はこんなに武藤を見ているのに、武藤の目は違う方を向いている。どこにいるかも分からない、東雲朔夜という奴の方へ。それがどうにも悔しい。ここにいるのに。目の前に、立っているのに。
「…なんだ、猫か。驚かせるな」
「ちゃんと声はかけましたー。なに、もしかして昨日も一昨日も、ここにいたの?」
「まぁ…な」
「……ここで、それ、読んでたの?」
開かれた東雲朔夜の小説のページ。武藤が感じている東雲朔夜がどんな姿をしているのかは知らないが、少なくとも猫柳よりも優先したかったもの、ということなのだろう。それは、今までの既読無視が証明している。
東雲朔夜の正体を言えば、きっと驚くだろうか。だけど、言わない。いや、言うことができない。伝えられればこんなにラクなことは無いだろうに、東雲朔夜の存在した『時期』が悪い。理屈でものを考える武藤は、きっと信じやしない。
「武藤くんは、さ。……東雲朔夜が好きなの?」
「ああ……好きだな。いや…これは”愛”なのかもしれない。それだけの長い時間、俺はこの人の小説と向き合ってきた」
「……そんなに、昔から?」
「あの時は、イベントに出向いてまで買いに行っていたぐらいだからなぁ……」
紙に載った小説の文字を撫でて、感慨深そうに武藤が穏やかな声を出す。つまり、この大学に入って猫柳と出会う前から。そういうことだ。
猫柳に、勝ち目など最初からなかった。
「俺は、この人の小説を愛している。」
なんて愛おしそうな目で活字を見るのだ。そんな視線、猫柳は向けてもらったことなどないのに。悔しい。……どうしようもなく、悔しい。
「それ………俺より?」
「え?」
思わず本心が口をついて出てしまった。少し驚いたような顔で、武藤が肩越しに猫柳を振り向く。そう、今の今まで武藤は『こっちを向いて』すらいなかったのだ。
「そっか、……うん、分かった」
「おい猫?どうし、」
「ううん、なんでもない。じゃあね」
ヘラっと笑みを見せ、それに武藤の背がぞくりと粟立った。今、間違いなく猫柳は自分に対して『猫を被った』。本心を隠した、そういうこと。なぜ今……なぜ今さらそんな必要があった?
(………あんなに、寂しそうな目をしておいて)
だけど猫柳が武藤に対してそうした、ということは、隠したい感情があったということだ。どうしても隠しきれてない部分が目からこぼれていたけれど。
東雲朔夜の小説を愛していると言ったことで、猫柳がどうしてあんな表情に至ったかが分からない。傷ついたような、……まるで捨てられた子猫のような。
そこまで考えて、武藤は反射的に立ち上がった。少なくともこのまま放っておくなんてできない。テキストもペンケースも文芸誌も適当にカバンに突っ込んで、武藤は図書館の出口へと向かった。
次回へ続く!!
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