第三十八話 障壁
摂津国・大坂城
秀頼が左大臣に任官する二月前、秀頼と前左大臣・九条忠栄は大坂城の一室にいた。
「義兄上、よう参られた。」
忠栄の正室・豊臣完子が淀殿の猶子であったことから、秀頼と忠栄は義兄弟の関係であった。
「藤吉郎殿、今日はこの場を設けて頂き、かたじけない。」
「義兄上、今日はどうなされた。」
「単刀直入に申し上げよう。藤吉郎殿、再び右大臣に成ってくれぬか。」
「右大臣で、ござるか。」
秀頼はしばらくの間黙った後、少し険しい顔でこう答えた。
「右大臣でしたら、お受けできかねまする。」
忠栄は平静を装っているが、秀頼の言葉を聞き、表情からは動揺が隠せていなかった。
「何故じゃ。この話はこれからの豊臣にとっても悪い話ではないはず。さらにこの話が豊臣にやって来たということは、宮中からも一定の支持があるということじゃ。」
「その思いは有難いことでござるが、恐れながら、豊臣は日に日にその勢いを増しております。ここで某が右大臣になれば、宮中の争いに巻き込まれることになってしまいまする。豊臣の面目が立ちませぬ。」
「それなら、もう任官は良いということか?」
少し苛立ちを込めた声で忠栄は言った。
「左大臣なら、是非ともお受けしとうござる。」
「藤吉郎殿、貴殿も勿論存じておるとは思うが、先例を見ても左大臣に武家が就くのは少ない。貴殿も今は、宮中の行事などに参加しておる時はないであろう。」
「某がもし左大臣をお引き受けした場合は勿論、宮中のことは義兄上に全てお任せ致しまする。義兄上は先例を気にしておられるのでしょうが、秀忠に将軍職を継がせておきながら、某に任官を求める事こそが最大の矛盾でござろう。そんな先例があるのでござるか?」
「それはそうであるが、何故そこまで左大臣にこだわる。」
「義兄上には、お話しておきましょう。」
この夜からの二月、忠栄の奔走によって秀頼は左大臣就任に成功したのであった。
紀伊・和泉国境付近
紀州攻めの総大将、毛利勝永は戦線が中々進まないことに頭を悩ませていた。
「また奇襲でござる!」
「またか!大人しくしておけば良いものを!」
豊臣本軍、四国方面軍などの活躍を聞き、勝永は日々焦りを感じていた。
「まさかこれ程抵抗してくるとは…」
「感心しておる場合ではないわ!しかし紀ノ川さえ渡れぬとは…」
「ここは強引に紀ノ川を渡りまするか?」
「いや、あやつらには地の利がある。犠牲も大きいであろう。」
「申し上げます!どうやら彦根で戦が始まったようにございまする!」
「時がないな…」
「殿、やはりここは川を渡るべきにござる。」
「我らの役目は一刻も早く紀伊を片付け、後顧の憂いを絶つことにこざる。今は好機でござろう。」
「兵たちはこれまでの戦での経験がございまする。一網打尽にしてくれましょう。」
「相分かった。川を渡り、一気に和歌山城を目指す!」
『はっ!』
紀伊国・紀ノ川 豊臣方
「案の定、あやつらも陣取って来ましたな。」
「敵の大将は、頼宣か?」
「あの旗印、家老の安藤帯刀かと。」
紀伊国・紀ノ川 徳川方
「皆良いか!まずここで何としても勝永の首をとるのじゃ!」
『応!』
「ここで我らが毛利勢を破れば、和歌山城に詰めて頂いている殿にご出陣頂く手筈になっておる!勝機は我らにある!全軍かかれ!」
こうして徳川方の攻撃から戦闘が始まった。やはり、徳川方の結束力の強さ、そして地の利があること、川の流れを生かした攻撃で、豊臣方は序盤から防戦一方となっていた。
紀伊国・紀ノ川 豊臣方
「皆の者!ここが勝負所である!進め!」
「殿、あれをご覧ください!」
「なんじゃあれは…」
そこには丸に上文字、かつて村上水軍が使った船旗を掲げた船団が、続々とやってきた。
「何故村上水軍がここにおる!」
「いや…あ、確か来島村上家の一族が紀伊に招かれたというのを耳に挟んだような気が致しまする!」
「まずいな…」
「殿、後方が崩れておりまする!」
「このままでは包囲されまする、ここは一度退きましょう!」
「致し方あるまい、全軍退け!」
退却していく毛利勢を村上水軍は続々と撃破していった。結果的に豊臣方は大敗。大きな被害を被ることとなった。
近江国・彦根城
「では、彦根城攻めの軍議を始める。何か策のあるものはいるか?」
「某に、一つございまする。」
「市兵衛、申してみよ。」
「はっ。彦根城は徳川方にとって、東国防衛のまさに砦となるような城。簡単には落ちませぬ。そのため、強攻は最後まで控えたほうがよろしいかと。」
「ならば、兵糧攻めか。」
「その通りにございまする。徳川方の集結も直ぐではない様子。時はございまする。」
「しかし福島殿、兵糧攻めとなればかなりの長丁場になる場合もある。井伊もここを死守してくるだろう。そこまで徳川が待ってくれようか。」
「恐らく城内が飢え始める前に、開城することでしょう。」
「だから井伊は…そうか、確かにそうかもしれませぬな。」
「井伊は一枚岩ではありませぬ。必ず直孝は勝負に出てくるはずです。ここだけではなく、四国、紀伊などの戦況の変化によっては、一月と掛からずに落城するかもしれませぬ。」
「確かにそうじゃな。よし、市兵衛の策で兵糧攻めにかかれ。」
「申し上げます!紀伊でお味方大敗の情勢!毛利様は行方知れずとのことです!」
順風満帆だった豊臣軍に、最初の障壁が立ちはだかることとなった。




