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第九話 一晩だけの修理師


倉庫の扉が閉まると、外の足音は遠ざかり、廃棄倉庫の中には古い鉄と魔石の匂いだけが残った。

セレス・アルムグレンは明日の朝、正式に星紋安定器を回収すると言う。

それまでに許されたのは、外観調査と簡易清掃、そして修理師としての所見をまとめることだけ。

持ち出しは禁止で分解も禁止。用途の断定も認められない。


それでも、リネアにとっては十分だった。

一晩だけでも触れられる、調べられる、ルクスに届く道を探せる。


「一晩だけだ。寝る暇はねえぞ」


バルド・ハーキンが、倉庫の奥から古い作業台を引きずってきた。

片足を補助具で支えながらも、その動きは手慣れている。

彼は机の上に魔法灯を三つ置き、油布と記録紙、古い部品箱を乱暴に並べた。


「倒れるなよ。倒れた修理師は何も直せねえ」


「はい、お心遣いありがとうございます」


リネアは工具鞄を開く。まずは約束を果たさなければならない。

星紋安定器に向き合う前に、倉庫内の廃棄装備を選別し、修理可能なものを見極める。

それがこの一晩を与えられた条件だった。


リネアは棚の前に立ち、深く息を吸う。

壊れた剣。焦げた杖。割れた魔法灯。巻き上げ機構の噛んだ魔導弩。

罠解除具の残骸。縁の欠けた盾。動かない方位盤。片方だけの鎧の膝当て。


リネアの瞳に映るそれらは、ただのゴミではなかった。


誰かが依頼に持っていったもの。

誰かが戦場で握っていたもの。

誰かが生き延びるために頼ったもの。

そして、最後には捨てられたもの。


リネアは一つずつ手に取り、状態を見て三つの山に分けていった。


修理可能。

部品採取。

完全廃棄。


「その魔法灯は外装が割れてるぞ」


バルドが横から言う。


「外装は確かにもう駄目です。でも中の伝導線は生きてます。芯だけ抜けば、小型魔道具二つ分くらいには使えますね」


「こっちの弩は?」


「巻き上げ歯車が欠けていますが、同じ型の壊れた弩があれば補い合わせて直せます。軸受けは綺麗なので、これは部品取りに回そうかと」


「この盾は?」


「表面は焼けてますけど、裏の衝撃吸収板はまだ使えます。固定具だけ替えれば訓練用なら耐久性十分です」


答えるたび、バルドの目つきが少しずつ変わっていった。

リネアは止まらない。焦げた杖から芯材を抜き、罠解除具の歯車を外し、割れた魔石台座から使える結晶受けを取り出す。

簡単に直せるものはその場で直した。魔法灯の接点を磨き、弩の噛んだ軸を戻し、方位盤の針を固定し直す。


そうして夜は深くなっていく。

倉庫の外から聞こえていたギルドの喧騒も、やがて消えた。

魔法灯の光だけが作業台の上に落ち、リネアの手元を照らしている。

指先は油で汚れ、爪の間には金属粉が入り込んでいた。それでも、心は不思議と静かだ。


ようやく修理可能品の山が形になった頃、バルドが低く息を吐いた。


「大したもんだ。半分は本当にゴミだと思ってたんだがな」


「全部は無理です。でも、少しなら戻せます」


「少し戻せるだけで十分なこともある」


その言葉に、リネアは一瞬だけルクスを思い出した。

胸の奥で揺れていた碧い光。無理に動いて自分を守った黒い機械獣。

完全には直せなくても、少しだけ安定させることならできるかもしれない。


リネアは白い布を作業台に広げ、星紋安定器をそっと置いた。

黒銀の表面には埃が入り込み、外縁の溝には細かな砂のような汚れが詰まっていた。

無理に削れば傷がつくだろう。リネアは柔らかい刷毛で埃を払い、細い針で溝の汚れを少しずつ取り除いていく。

やがて歯車と星の紋様が、魔法灯の光を受けて淡く浮かび上がった。


「……やっぱり、似てる」


ルクスの胸部で見た中枢結晶の周辺構造。四方向へ伸びる流路。

中央に収まるべき結晶の受け。拍動を外へ逃がさず、均等に分けるための溝。


これは魔力を溜めるものではない。

力を増幅するものでもない。

乱れた光を整え、揺れる心臓を支えるための部品だ。


「中枢結晶の拍動安定器……」


記録紙に、リネアはそう書き込んだ。

そして寸法を詳細に測っていく。外縁の直径、中央空洞の深さ、四つの接点の角度。

魔力流路の幅、欠けている部分の位置、溝の流れ方。どこに負荷がかかり、どこが固定されていたのか。


本体は持ち帰れないが、形状は模写できるし、魔力の流れも記録できる。

同じものは作れなくても、代わりになるものなら組めるかもしれない。


リネアは取り外した部品の山から、小型軸受け、魔力伝導線、破損した結晶台座、焦げた杖の芯材を拾い集めた。

それらを白い布の横に並べる。


完全な星紋安定器には届かない。

けれど、ルクスの胸部に仮設する安定環なら作れるかもしれなかった。


「これと、これを組み合わせて……黒銀の微細片が少しでもあれば、流路の癖を合わせられるかも」


「おいおい。本体を持ち帰れねえから、代用品を作るつもりか」


バルドの声に、リネアは顔を上げた。


「完全なものは無理です。でも、一時的に拍動を抑えるだけなら」


「本当に、何を直す気なんだか」


リネアは答えなかった。

バルドも、それ以上は聞かない。

代わりに、古い部品箱を一つ足元へ寄せてくる。


「使えそうなものはそこに入れておけ。俺から主任に話は通す。今夜だけで、倉庫の廃棄費はかなり浮く。報酬として少し部品を持っていくくらい、文句は言わせねえ」


「いいんですか」


「お前さん、冒険者には向いてなかったんだろうな」


リネアの肩がわずかに強張る。

しかし、バルドは毅然と続けた。


「だが、道具を生かす場所には向いてる。少なくとも、この倉庫じゃ誰より役に立ってるな」


その言葉に、痛みは感じなかった。

むしろ、胸の奥に静かな称賛が染み込む。


夜明け前、リネアはようやく所見を書き終えた。

修理可能品の一覧。部品採取可能な装備の分類。

星紋安定器の外観記録。仮設安定環の試案。

指先は痺れ、目の奥は熱い。それでも、作業台の上に並んだ紙と部品の山を見ると、不思議とまだ力が湧いた。


朝の光が倉庫の高窓から差し込む頃、セレス・アルムグレンが戻ってきた。

彼女は作業台を見て、わずかに目を細める。


「……一晩で、これを?」


「はい、これが所見です。こちらが修理可能品の一覧で、そちらが星紋安定器の外観記録です」


セレスは紙を受け取り、無言で読み進めた。


「蓄魔器ではなく、中枢結晶の拍動安定器。四方向の接点から、大型魔導機構の駆動系と連動する可能性。外縁溝の欠け方から、強い衝撃で基部から外された痕跡……」


彼女の声が少しだけ低くなる。


「正式な魔道具師ではない人間が、一晩でここまで書いたのですか」


「分かる範囲だけです。推測も含みます」


「推測と明記している点は評価しましょう」


セレスは星紋安定器を布で包み直した。


「本体は予定通り協会が回収します」


分かっていたことなのに、リネアの胸は少し沈んだ。


「ですが、倉庫の修理選別については成果を確認しました。報酬として、廃棄予定部品の一部払い下げを許可します。星紋安定器の清掃中に剥離した微細片も、記録済みの廃棄片として扱います」


リネアは顔を上げた。

バルドがにやりと笑う。


「よかったな、嬢ちゃん」


手に入ったのは、星紋安定器そのものではない。

けれど、寸法は写したし流路も記録した。黒銀の微細片もある。

伝導線も、軸受けも、結晶台座も、絶縁芯材もある。


完全な修理には届かないだろう。

それでも、ルクスの胸の光を少しだけ安定させることならできるかもしれない。

リネアは払い下げられた小さな部品箱を胸に抱いた。


「待ってて、ルクス」


そう小さく呟いて、倉庫の扉へ向かう。

そのときだ、ギルドの表側から、職員の声が響いた。


「北方未開拓遺跡先行調査隊《暁の剣》到着しました!」


リネアの足が止まる。


レオン。ミーナ。エリス。カイル。


会いたくなかったかつての仲間たちが、朝のギルドに戻ってきた。

部品箱を抱く腕に、自然と力が入る。


今の自分は、もう彼らに認めてもらうためにここにいるわけではない。

けれど過去はいつも、こちらの都合など待ってはくれない。



いつもお読み頂き有難うございます。一週間毎日投稿を頑張りましたので、今後は基本二日に一回ペースの投稿に切り替えます。【夢で死ぬたび、現実の自分が削れていく】という同時連載中の作品と日々交互に投稿していく形となります。ご理解のほど、宜しくお願い致します。

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