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第八話 価値を測る者


倉庫の外から聞こえてきた足音は、冒険者のものではなかった。

革靴が石畳を叩く硬い音と、金属製の杖が床を突く澄んだ音。

乱雑な足取りではなく、歩幅も間隔も揃っている。ギルドの職員ともどこか違う。もっと整えられた冷たい音だった。


リネアは棚の上に戻した黒銀の部品を見つめた。

歯車と星の紋様は、あの遺跡の扉と同じ印。

そして、ルクスの胸部にあった機構とよく似た形でもある。


これを持ち帰ることができれば、ルクスの中枢結晶を安定させられるかもしれない。

そう思っていた矢先に、魔道具師協会の調査官が予定より早く到着したのだ。


「バルドさん」


「慌てるな。まだ取られたわけじゃねえ」


バルド・ハーキンは低く言ったが、その顔には険しさが滲む。

倉庫の扉が開くと、先頭に立っていたのは、淡い灰色の外套をまとった女性だった。

年齢は二十代後半ほど。銀縁の眼鏡の奥に、冷静な灰色の瞳がある。

手には細長い測定杖。後ろには協会の助手らしい若い魔道具師が二人控えていた。


「王都魔道具師協会、一級調査官セレス・アルムグレンです」


女性は名乗ると、倉庫内を一瞥した。


「北方未開拓遺跡に関連する可能性のある星紋遺物を回収します。対象物を確認させてください」


バルドが顎で奥の棚を示した。


「こっちだ。予定じゃ明日だったはずだが」


「状況が変わりました。遺跡側で反応が確認された以上、関連物品は協会管理下に置く必要があります」


リネアは胸を強く握られたような気がしていた。

遺跡側の反応。それは、ルクスを連れ出したせいなのだろうか。

あの遺跡の扉が開き、眠っていた機械獣が目覚めた。

そのことを誰かが感知したのかもしれない。


セレスは棚の前まで進み、黒銀の部品を見下ろした。


「これですね」


助手の一人が布を広げ、もう一人が記録板を構える。

セレスが測定杖をかざすと、杖の先端に青白い魔法陣が浮かんだ。

リネアは思わず一歩前に出た。


「待ってください」


セレスの視線が、初めてリネアに向いた。


「あなたは?」


「ギアライト修理店のリネアです。その部品は、たぶんただの出土品ではありません。壊れた魔導機構の……安定器かもしれません」


倉庫内の空気が少し止まった。

セレスは、感情の読めない顔でリネアを見る。


「修理店?」


「はい」


「外縁部の?」


「はい」


セレスは短く息を吐いた。


「修理師と魔道具師は違います。壊れた鍋やランタンを直す技術と、神代遺物を扱う知識を同列に語らないでください」


言葉は静かだったが、だからこそ鋭い棘が感じられる。

リネアは思わず唇を結ぶ。言い返せない。

自分は魔道具師ではないし、神代遺物の学術知識もない。

正式な協会資格もない。あるのは、父から受け継いだ工具と、壊れたものを見続けてきた目だけだ。


だが、そこでバルドが杖を床についた。


「その嬢ちゃん、目はいいぞ。そこらの見習いより、よほど壊れ物を見てる」


「経験則だけで扱える物品ではありません」


「経験則を馬鹿にすると、道具に嫌われるぜ」


セレスは返事をしない。

測定杖を黒銀の部品へ近づけ、杖先の魔法陣が細かく震えると、数本の光線が部品の表面をなぞった。

だが、すぐに光が乱れ、ぱち、と小さな火花が散る。その様子に助手が眉をひそめる。


「測定値が安定しません」


「遺物側の魔力反応が不規則なのでしょう。記録を」


セレスがそう言った瞬間、リネアは違和感を覚えた。

部品ではない。光の乱れ方が、部品の内部から跳ね返っているようには見えなかった。

むしろ、測定杖の先端から出る前に流れが詰まり、無理に押し出された魔力が揺れているように見える。


そう思い至ったリネアは恐る恐る口を開いた。


「あの……測定杖の第二導線、少し焦げていませんか」


助手二人がこちらを見た。

セレスの目が細くなる。


「何を根拠に?」


「杖先の光が、部品に触れる前に一度だけ左へ逃げています。流路の途中で抵抗が増えている時の揺れ方です。魔法灯の伝導線が焼けかけている時と似ています」


「協会支給の測定杖です。定期点検も受けています」


「でも、昨日か今日、高負荷で使いませんでしたか。強い魔力場の近くで」


セレスの表情が、ほんのわずかに変わった。

沈黙が落ちる。助手の一人が小さく言う。


「……調査官。昨夜、北門詰所で回収品の予備測定をした際に、少し過負荷警告が出ていました」


セレスはそこで初めて測定杖を下ろした。


「確認を」


助手が工具を取り出し、杖の外装を開く。

内部の細い銀線の一本が、わずかに黒ずんでいた。

バルドが低く笑う。


「ほらな」


リネアは慌てて首を横に振った。


「完全に壊れているわけではありません。ただ、このまま測ると数値が跳ねると思います。応急処置なら、できます」


「協会備品を外部の修理師に触らせるわけにはいきません」


セレスは即座に言った。

だがバルドが肩をすくめる。


「壊れかけの測定器で神代遺物を測る方が危ねえだろ」


セレスはしばらくリネアを見ていた。

冷たい視線ではあったが、さっきとは少し質が違う。


「応急処置のみ許可しましょう。構造の改変は認めません」


「はい、承りました」


リネアは測定杖を慎重に受け取った。

高価な道具だ。手の中で感じる魔力の流れは、普段扱う魔法灯や懐中時計とは比べものにならないほど繊細だった。

それでも、壊れている原因は分かる。


焦げた導線の傷んだ部分を切り詰める。

倉庫にあった古い魔法灯から細い伝導線を少しだけ取り出し、仮の橋渡しにする。

接点を磨き、絶縁布を細く裂いて固定する。最後に魔力を弱く流し、詰まりがないか確かめる。


不思議だった。

セレスに見られていて、助手にも見られている。バルドにも見られている。

失敗すれば笑われるかもしれない。外縁の修理屋が出しゃばったと言われるかもしれない。

それでも、目の前に壊れたものがあると、リネアの手は震えず、心は静かになった。


「できました。長くは持ちません。本修理は協会でしてください」


セレスは仮修理された測定杖を受け取り、魔力を流す。

杖先の魔法陣が、今度は綺麗な円を描いた。

助手が小さく息を呑む。


「出力、安定しています」


セレスはしばらく魔法陣を見ていた。

そして、リネアへと視線を戻す。


「……応急処置としては、悪くありません」


その一言が最大限の譲歩なのだろう。

リネアは小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


改めて測定が始まる。

黒銀の部品の上に、青白い光が降りる。

今度は乱れずに、部品の外縁に刻まれた細い溝が順に光り、中央の空洞へ向かって淡い線が集まっていく。

セレスの表情が変わった。


「これは……蓄魔器ではない」


助手が記録板に走り書きする。


「魔力を溜めているのではなく、流れを整えています。振動制御……いえ、拍動安定?」


リネアの胸が高鳴った。

やっぱりそうだったのだ。

ルクスの胸部で揺れていた碧い結晶。

あの不安定な光を受け止め、整えるための部品に見える。


「中枢結晶の安定器、かもしれません」


リネアが呟くと、セレスは否定しなかった。


「仮称、星紋安定器。用途不明の神代部品として記録します」


星紋安定器。

その名を聞いた瞬間、リネアの中で部品の輪郭が確かなものになった。

是が非でも欲しい。どうしても必要だ。


「セレスさん」


「協会回収品であることは変わりません」


リネアが何か言う前に、セレスは事務的に言った。


「北方未開拓遺跡の調査に関連する可能性があります。個人への払い下げは認められません」


「でも、それは壊れたものを直すために使えるかもしれません」


「何を直すつもりですか」


問いは簡潔で鋭い。

リネアは息を止める。ルクスのことは言えない。

黒い機械獣。碧い単眼に壊れた胸部。自分を守ってくれた、名を与えたばかりの存在。

それを口にした瞬間、全部奪われるに相違ない。


「……古い魔導機構です」


リネアは曖昧に答えた。


「まだ、確証はありません。でも、この部品の状態を調べれば、何に使えるのか分かるかもしれません。私に、一晩だけ調べさせてもらえませんか」


「論外です」


バッサリと切り捨てるような即答だった。

だがリネアはそれでも引けない。


「この倉庫の修理可能品の選別を引き受けます。簡易修理できるものは直します。記録も出します。星紋安定器についても、外観所見と清掃記録を提出します。だから、触れる時間だけでもください」


セレスはいよいよ熱意に押されて沈黙した。

バルドが横から口を挟む。


「悪い話じゃねえ。こっちは廃棄倉庫が片づく。協会は修理師の所見を一つ得る。どうせ正式回収は手続きがいるんだろ」


「あなたは簡単に言いますね」


「簡単じゃねえから、この嬢ちゃんがやるって言ってんだ」


セレスはリネアを改めて見た。

リネアは決して目を逸らさなかった。

やがて、セレスは観念したように短く息を吐く。


「一晩だけです」


リネアは顔を上げる。


「持ち出しは禁止。倉庫内での外観調査と簡易清掃のみ。明日の朝、協会立ち会いのもとで正式に回収します。その時までに、あなたの言う修理師の所見を提出してください」


「はい。ありがとうございます」


「礼を言うには早いです。所見が無意味であれば、以後、協会管理品への接触は認めません」


「分かりました」


セレスは測定杖を助手へ渡し、倉庫の出口へ向かった。

リネアとのすれ違いざま、彼女は一度だけ足を止める。


「ギアライト修理店、と言いましたね」


「はい」


「覚えておきます」


それが評価なのか警戒なのか、リネアには分からなかった。

だが、少なくとも無価値と断じられて無視はされていない。


セレスが倉庫を出ると、外で待っていた協会職員が書類を差し出した。


「調査官、北方未開拓遺跡の先行隊名簿です。《暁の剣》の参加が正式に承認されています」


その名を耳にして、思わずリネアの手が止まった。


《暁の剣》


レオン。ミーナ。エリス。カイル。

彼らが、ルクスの眠っていた遺跡へ向かう。


黒銀の部品。魔道具師協会。北方未開拓遺跡。

そして、自分を捨てた幼馴染たち。

すべてが静かに繋がり始めている。


リネアは棚の上の星紋安定器を見つめる。

持ち帰ることはまだできない。

ルクスの胸に合わせることもできない。

けれど、一晩だけ触れる権利は得た。

何もないよりは、それだけでもずっといい。


「ルクス」


小さく、声に出さずに呼ぶ。


待っていて。

これはきっと、あなたの胸に届く。


リネアは工具鞄を開き、白い布を作業台に広げた。

捨てられた部品の価値を測る激動の一夜が、そこから始まった。



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